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記憶の印  作者:
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5.誤解

 偽名は、既に用意してあった。

 エスラル・シューラン。

 特に深く考えたわけでもない、他愛のない名前。




 ――――――四日後。

(フレアには悪かったかな…………)

 エスラルは溜息を吐いた。城に心残りはないつもりだった。しかし、生まれてからずっと共に過ごしてきたフレアの存在は大きかった。

 そしてきっと一番悲しんでいるのは彼女だろう、とエスラルは思う。フレアがエスラル以外の他人と仲が良さそうにしているのは見たことがなかった。

 小さく呪文を呟き、マントの下から龍笛を取り出した。すう、と大きく息を吸う。

 静かに、低い音を出した。最初は小さく、だんだん大きく。

 龍の咆哮を思わせる鋭い音を混ぜながらも、柔らかで力強い音色を辺りに響かせる。

 数分程度の短い演奏を終え、エスラルは大きく息を吐いた。

 慣れないことをした、とエスラルは近くの岩に腰かけた。

 龍笛自体は、何度も吹いたことがあった。ルッセルの象徴は龍。式典などでは国王が龍笛を吹奏する習慣があるため、エスラルはその練習をさせられていた。

 しかし、王子にその役が回ってくるのは王位継承後。まだ国王として十分やっていける年齢である現国王が引退するまで、かなりの年数があるだろうと言われている。

 そのため、エスラルは龍笛の練習を真面目にしたことは少なかった。しかし、それだけでもルッセル王家の笛の才能は健在である。それほど練習を重ねなくとも、エスラルはある程度上達しているのを感じていた。

 そして、真剣に吹いたのはこれが初めてだった。普段では聞くことのない、彼独特の吹き方。

 奏でたのは国家。それを、エスラルは魔術の球に封じ込めた。伝えたい相手だけに音を届ける、中級の伝達魔術。

「フレア・スタージュ」

 エスラルがその相手の名前を呟くと、透明で泡のような球が城の方へと浮かんでいった。

「これで気づいてくれるかな?」

 考えて、違和感があることに気がついた。

 エスラルは誰にも本気で笛を聴かせたことがなかった。そう、フレアさえにも。




 フレアは、悲しみに明け暮れていた。

 フレアだけではない。城に仕えている者のほとんどが、王子の死に大きな衝撃を受けていた。

 前々から襲われると分かっていたのに、防ぐことができなかった。その上、見つかったのは肉片と骨のみ。葬儀では、棺が開けられることはなかった。その罪悪感に苛まれ、いつもは賑やかな城内もひっそりと静まり返っている。

 自室の椅子に腰かけたフレアは、大きく溜息を吐いた。

 その蒼い瞳は、光が灯るどころか濁ったように疲れを滲ませている。王子からの最後の言葉を見つけてから、フレアは一言も喋ってはいなかった。国王に言葉をかけられた時も上の空で、頭の中は王子のことで埋まっていた。

 そんな状態でも、フレアの魔術の感覚は正常に働いた。部屋に向かってくる魔術の気配を感じ、閉じていた目を開く。

 攻撃魔術ではないと分かり、フレアは再び眠るように瞼を下ろした。でもどうでもいい、とフレアは思った。たとえあれが攻撃魔術で、この部屋を私ごと吹き飛ばしたとしても、抵抗するつもりはない。どうせ、私が死んで困るのは重宝してくれている国王だけなのだから。その国王にしても、私を戦力としてしか見ていない。なら、私は死んでもいいじゃないか。

 自嘲するように、フレアは口の端を吊り上げた。

 次の瞬間、開け放たれた窓から泡のようなものが入ってきた。伝達魔術で作られた、魔術の球。

 フレアは目を開けない。何か重要な伝言であっても、聞く気はなかった。

 しかし本人の意志に関わらず、その球は割れた。

 そして流れ出したのは、笛の音。龍笛で奏でられた、国歌だった。

 フレアははっとして目を見開いた。

 つい先日まで王子に教えていたその演奏は、模範を上回っていた。

「……………」

 フレアは椅子から勢い良く立ち上がった。

「誰ですか!そんなに私を打ちのめしたいのですかっ!?ならさっさと殺せばいいでしょう!!」

 自暴自棄染みた言葉。

 フレアはこれが王子の演奏だとは気づかなかった。勿論、王子が全ての授業において手抜きをしていたということにも。

 フレアと敵対する誰かからの嫌がらせとしか思えなかった。しかし、そんな不謹慎なことをする輩が城内にいるとはフレアは思わない。

 残るのは、かの殺人組織。

「『アサシン』…………!」

 呪うように言った後、呪文を呟く。

 途端、フレアの姿が部屋から消えた。




「あれ、崖かな?」

 エスラルは前方で突然消えている地面を見つめた。その下からは、水の流れる音が響いている。

 立ったままだと何かの拍子に落ちてしまいそうで、エスラルは屈んだまま眼下を覗き込んだ。

 予想通り、川が流れていた。上流なのか、勢いが激しい。一度身を攫われれば抜け出すのは困難だろう。そして、水面からは鋭く尖った岩がいくつも突き出ている。人間一人なら完全に串刺しにできるほどの長さ。その先端に見える黒ずんだ染みを発見して、エスラルは身震いした。どうやら、ここは自殺場所に最適らしい。早く立ち去ろう、と後退しようとした。

 と、唐突にエスラルの横に女性が現れた。驚いた拍子に、危うく自殺者に仲間入りしそうになる。

 なんとか踏み止まり、エスラルは出現した女性を見上げた。

「あ…………」

 その顔は、紛れもなく見慣れた教育係のもの。エスラルは硬直した。

「えっと………?」

 混乱するエスラルに目も暮れず、フレアは一歩前に踏み出した。

(落ちる気!?)

 エスラルは慌てて立ち上がり、フレアの腕を掴んだ。

 周りが見えていなかったらしいフレアは驚いて、彼の顔をまじまじと見つめる。

 気づかれないかと冷や汗を流しながら、エスラルはフレアを見つめ返した。そして、驚いた。王子と会話している時に見せる楽しげな表情は欠片もなく、その表情からは絶望と憎悪が見て取れる。

 フレアのそんな顔を、エスラルは見たことがなかった。僅かに、罪悪感を覚える。自分がいなくならなければ、フレアはこんな所に来ることもなかった――――――。エスラルは、自分が他者に与えていた影響を考えてもいなかった。自分の存在の大きさなど、微塵も頭になかった。

「あの……落ちないでください」

 はっきりと、言った。

 どちらかというと懇願するような視線をフレアに向け、エスラルは困ったような顔をする。変化を解けば、フレアの自殺を止められるが、それでは意味がない。しかし、見殺しにするわけにもいかない。

 しかし、フレアはエスラルの予想に反し、手を振り払った。

「もういいの!貴方には関係ないでしょう!!」

(大有りだよフレアさん…………どうしよう……………)

 エスラルは困り果て、溜息を吐く。

「あのですね、子供の前で教育に悪いもの見せないでくれませんか」

 教育という言葉に反応し、フレアが振り向く。しばらくエスラルを眺め、その目に涙を滲ませた。

 初めて見るフレアの涙に、エスラルは戸惑いながらも言う。

「良かったら、何があったのか聞かせてもらえませんか?」

 フレアが僅かに首肯したのを確認し、エスラルは安堵の息を吐いた。

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