16.ただの夢
ぼうっと意識の霞んだ頭で、眼下を見下ろしていた。
何処かで感じたのか分からない、思い出せないものを、体が感じている。
記憶の何処かに、同じ感じが残っていた。
緑豊かな森が広がり、その中央に、小さな村がある。
頭上では青白い月が、世界を照らしている。
澄み切った空で、星達が瞬いている。
風は無く、鈴の音のような虫の声が幾千も響いていた。
すう、と息を吸う。
理性は冷静に頭の中に呪文を紡ぎ出していたが、感情は烈火の如く怒りに満ち溢れていた。
叫びたくなる衝動を必死に抑え、村を見つめた。
もう夜も遅く、人影は見当たらない。
決心して、口を開いた。
口からすらすらと、単調に呪文が流れる。
呟くように、けれどはっきりと。
ポッと、火が灯った。
風に揺れる蝋燭のような、小さな炎。
しかしそれは瞬く間にあちこちに点き、規模を増した。
火は燃え広がり、村を混乱に陥れる。
やがて小屋から人が飛び出してくるのを、じっと見つめていた。
下方から飛ぶ火の粉が宙を舞う。
逃げ惑う人々を、無感情に見つめていた。
嬉しくも、悲しくも、ない。
ただ、先ほどまでの怒りが、すっと収まっていった。
自分は何をしようとしているのだろうと、首を傾げるほどに。
それでも、燃える村を、森を見ていると、心が落ち着いた。
これで良かったのだと、信じられた。
燃え盛る小屋や木々から離れようと必死になるが、次々と燃え移る火はだんだんとその速度を上げ、仕舞いには、逃げ道は一つも無くなった。
火の手はそれでも容赦無く、襲い掛かった。
悲鳴が飛び交い、燃えたままの木や家が人々の上に崩れ落ちる。
森の木々は、火達磨と化し、既に原型を留めてはいない。
「助けて!」
耳に、悲鳴が飛び込んできた。
小さな、少年の声。
「姉さん!」
倒れて動かない少女を、少年は揺すっていた。
もう少女は目を開けることは無いと分かっていながらも、泣きながら叫んでいる。
そう分かるほどに、少女は悲惨な状態になっていた。
上半身は顔を含めて焼け爛れ、片足は失われている。
「姉さん、姉さん、姉さん!」
少年の声が、聞こえてくる。
何故だか、耳を塞ぎたくなった。
弟が姉を呼ぶ悲痛な声を、耳に入れたくなくて。
「止めろっ!」
耳に手を当てたまま叫ぶ。
その声に反応するかのように、炎は一瞬の間に二人を包んだ。
姉を抱えたまま、少年は燃えた。
じゅう、と音を立てながら、二人の子供は燃えていく。
それさえからも目を逸らし、上を見上げた。
綺麗だと思った月は、不気味に見えた。
と、憎しみが込み上げてきた。
この世界の全てへの憎悪が。
自分でも自分が分からなくなった。
はっとして、目を開けた。
目の前には、フレアの顔がある。
「大丈夫?」
心配そうな目が、エスラルを見つめていた。
「あ…無事ってことは、解決したんですね……事件……」
「ええ」
短く答えるフレアの顔は、暗かった。
「……魘されていたけれど、夢でも見ていたの?」
「あぁ……」
夢の内容を思い出して、エスラルは苦笑した。
「ただの夢です」