3月 出会い⑤
翌朝、雲ひとつない晴天の春の空。太陽は奈々に悪さでもしているのか、今日は窓に差し込む光が一段に多い。そんないたずらにも負けず、奈々は窓の外を見ている。いつもの時間になっても彼は現れない。
それが嬉しいてたまらない。昨日の帰りに透のポケットにコインロッカーの鍵をこっそりと入れておいたのだ。本当に来てくれるか心配だけど、待つしかできないのはとっても緊張する。
もしこなかったらどうしよう……昨日のことで嫌われたりしていないかな……
だけど、いつもの時間になっても現れないってことはこっちに向かっている可能性もあるってことよね。自分自身に言い聞かせるように心で呟く奈々。
窓の外ばかり気にして、病室のドアに映る人影に奈々は気づいていない。
透はすでに奈々の病室の前に突っ立っているのである。紙袋と見舞い用の花を携えていて、彼も病室に入ってもいいものか。と、悩んでいる。
昨日のことがなければ、まだスムーズに入れたものの……と病室の前で何度目かのため息を付いた。
5分……10分……刻々と時間が過ぎていく。
さすがに平日とはいえ、お見舞いに来る人がいるわけで、病室の前で突っ立っているだけで中にも入らず、ノックもしない人間を不審者扱いするのは容易なこと。コソコソっと二人の女性が透に聞こえないように「なにあれ?」と耳打ちし合っている。
それに気づかないほど、緊張しているわけでもない透は、もう一度、「ハァ」とため息を付くと、ゆっくりのノックした。
病室にノックの音が小さく響いて、奈々はビクンっと体を反応させて、息を呑む。
「どうぞ」
喉の奥から自分の声が聞こえてきて、ゆっくり扉が開いていき、彼が姿を現した。
無愛想な顔に紙袋、手にはどこかのお店で見繕ってもらったガーベラのフラワーアレンジときた。無愛想な割には気が利いている90点。と自己評価。
窓の淵に手を置いて、こっちを見てくる奈々は逆光となって、俺に向かって飛び込んでくる陽が天使が現世に降臨してきたかのような錯覚を覚える。
「いらっしゃい。椅子にでも座ったら?」
奈々はベットの横に置いてある椅子に向けて手を向ける。
透は遠慮することもなく、椅子に向かって歩き出し「ほらよ」と紙袋を奈々に向かってちょっとだけ強く投げ、奈々はそれをキャッチする。
「ナイスキャッチ♪」
自分で自分を褒めれるのは、一種の才能かもしれない。透の気持ちはキャッチ出来てないけど。
椅子に腰掛け、奈々がベットに戻って来る。ベットの背中をコントローラーで背上げして、もたれかかれるように調整する。
「花、ここ置いていいか?」
ベットの横にあるテレビ台に視線で合図すると、「えぇ」と返事が来たので、花をテレビの前に置いた。テレビは埃がかぶっていて、長年使われている形跡がなかったから。
ベットの近くに置かれているポプリがハーブなどの匂いを撒き散らしていて、テレビの前のガーベラがハーブと思えるほどきつい匂いがする。だけどこれだけのきつい匂いにも関わらず嫌な気分にはならない。透は薄々気づいている。消毒液の臭いを消すためにポプリにきつい匂いがするモノを使っているのだろうと。
「いい匂いとは思えないけど、やっぱり病院独特の臭いって私、苦手なの」
クスリと笑う奈々を可愛いと思ってしまった。
なのに、俺の心は拒絶反応を示す。
『また裏切られるんだぞ?』
透の心は悪魔に支配されている。もう何年も前にあったことが悪魔を植えつけ、人を拒絶し、関係を断ち切り、孤独を選んだ。なのに、この女は悪魔の住む場所まで入ってくる。
そして、透の手を握り天使はこう言った。
「また私に逢いにきたでしょ?」
奈々は知っている。
この人の心は蝕まれていて、誰かに治してもらえるような簡単な病ではないことも知っている。私では治せないかもしれないけれど、和らげてあげることはできるかもしれない。
昨日、透と出会って。
昨日、奈々と出会って。
二人が感じたことは、正反対な生き方で、太陽のように光り輝く存在に、漆黒の闇に食わそうになっている弱い存在。二人はそう思ったのだ。
昨日出会った人間なのに、二人は磁石のSとN極のように強く引き付け逢おうする。
透は拒絶しなくてはいけない。
過去の教訓がそう言っているのに、手が離れようとしない。
「大丈夫。私は太陽であなたの心を暖めるために出逢い、あなたの心を照らす存在になってあげる。ほら、ここの病室……暖かいでしょ?
暖房が効いているからじゃないよ。
私の家族の暖かさ。
私の体を支えてくれている人達の暖かさ。
そして私が想うあなたへの暖かさ。
だ・か・ら……明日から毎日ここへ来ること。わかった?」
これが奈々と透の最初の出会いで、ここから紡ぐ物語のスタート地点となる。