放課後
放課後は一番暇な時間だ。なぜなら、僕は部活に所属していないから。興味が無いわけではないがやりたいとは思わず、結局どこにも所属しないまま、高校二年生となっている。
そんな僕には、ある習慣があった。
「……何で、僕の席に座ってるんだよ」
「私がどこに座ろうと勝手でしょー」
誰もいない教室で、幼馴染みはけらけら笑った。
茶色がかった黒髪を肩まで伸ばし、鳶色の瞳をつんと吊り上がった目に収めた、大人びた雰囲気の美少女である。規定より少し短いスカートから伸びる脚は長く、細い。組まれているせいでそのスカートがめくれ、まばゆい太ももが目に毒だった。
職員室に呼ばれて、荷物を取りに戻ったら、幼馴染みはすでに僕の席を陣取っていた。教室には、彼女以外の人影は無い。
彼女に会わないよう、急いで戻ってきたつもりだったのに……
「で……何」
「自転車乗せてって♪」
「断る」
「冷たい!」
彼女はますます笑い転げた。脚をばたつかせて笑うものだから、スカートの中が見えそうでこちらがはらはらする。顔は可愛いのだからすましていればいいものを、彼女はそれができないらしい。
「いいじゃん。お隣なんだしさ。歩くのに、ちょっと時間かかるし」
「だったら、自分で自転車こげよ」
「無理なの、知ってるくせに」
彼女はに、と笑って右目を指差した。彼女の右目は、一見すると何も無いように見える。しかし右目だけ、生まれつき極端に視力が弱い。と言うより、無いに等しいのだ。
コンタクトや眼鏡でどうにかできるレベルではないらしく、それゆえに平衡感覚を取るのが苦手らしい。日常では慣れもあって支障は無いが、自転車などのバランスを取る必要のあるものは扱うことができないのだ。
別にそれを失念していたわけではない。彼女を皮肉ったわけでもない。こんなもの、ただのじゃれあいだ。
「解った解った。乗せていってやるよ。あーあ、今日も筋肉痛かあ」
「いつも筋肉痛ね」
他人ごとのように、彼女は言った。実際他人ごとなのだけれど。冗談だと解っての言でもある。
ともあれ、僕は今日も彼女を乗せて自転車をこぐことになる。
これが、僕の放課後の習慣。今日も僕は、彼女と共に帰宅する。
―――
僕と彼女の関係は、十年前にまでさかのぼることになる。
僕は兄と姉を持つ、根っからの弟属性。逆に彼女は、弟を一人持つ、根っからのお姉さんだった。
彼女が隣に引っ越してきた時のことは、今でもよく覚えている。当時の彼女はどちらかと言えば引っ込み思案で、母親の後ろに隠れて挨拶にきていた。
その時は可愛いなどは特に思うことは無く、ただ単純に友達が増えたぐらいにしか思わなかった。美的感覚が養われた今となっては、幼馴染みの欲目無く、彼女は可愛いと思うけれど。
そんな、美少女と言っても過言ではない彼女が、青春真っ盛りの――自分で言うのもどうかと思うけど――男子高校生と自転車で二人乗りをしている。これは、他人から見てどう見えるだろうが。
やはり、付き合っているように見えるのだろうか。クラスの友達からはそう疑われたことがある。けれど僕達はそんな甘い関係ではなくて、本当にただの幼馴染み。普通からずれているところと言えば、家族みたいに仲がいいことぐらいか。
仲がいい。それも、他人としてじゃなくて、身内としての仲のよさ。
それを打開しようと思ったことはない。僕は彼女に特別な感情は抱いていないし、彼女もまたしかりだ。少し前に彼女ともし付き合ったら、と考えたことがあったが、結局想像できなかった。
漫画や小説のように、幼馴染みに密かな恋心を寄せている――なんてことは、一切無い。やはり僕にとって、彼女は家族のような存在なのだ。
つい先月、彼女に何となく僕と付き合ったらどうするかと訊いたところ、ありえないと笑い飛ばされた。その時、僕は特に傷付きはしなかったのである。
むしろ安堵した。お互いの関係は、あの頃から何ら変わっていないのだと。
きっとこれからも、僕と彼女の関係は変わることがないのだと、安心した。
「今日、うちに来るでしょ」
秋の冷たい空気を顔で受け止めつつ意識を思考の彼方へと飛ばしていた僕は、彼女の声に我に返った。
危ない。自転車をこぎながらぼうっとするなんて、危険でしかないじゃないか。ましてや、彼女を後ろに乗せているこの状態では、事故になりかねない。
ちなみに彼女は、自転車にはまたいで座らない。いつも横座りだ。前にまたいで座った際、スカートが盛大にめくれたので僕が止めたのだ。彼女は特に気にした様子は無かったが。
人並みの羞恥心を持ってほしい。
「今日? 何で?」
「あれ、聞いてない?」
不思議そうな声。どうやら、僕の知らぬうちに約束を取り付けたらしい。
「今日、両方のお父さんがいないから、夜はみんなですき焼き食べようって、お母さんが」
「……聞いてないぞ」
本当に聞いてない。携帯は自転車に乗る前に確認したし、マナーモードを切ってあるから、すぐ気づくはずだ。さては母さん、連絡を忘れたな。
彼女の母親がそういうことにまめなのに対し、僕の母親は大切なことほどすぐ忘れるたちだった。今回も、母は僕に対する連絡をすっかり忘れているのだろう。余計なことは覚えているくせに、そういうことばかり忘れるとは、なんて都合のいい頭だろう。一度覗いてみたいものだ。
そんなことを愚痴ったら、幼馴染みはどこの親も同じね、と笑った。彼女にも、どうやら覚えがあるらしい。本当に、どこの親も一緒だ。
「でも、おまえち行くの、久しぶりだな」
「昔からお互いの家には、あんまり入らなかったもんね。外で遊ぶことが多かった」
なつかしむような声に、顔は見えずとも笑っているのだろうと感じ取れた。一方の僕は、無反応だ。表情の一つ、変えるぐらいわけないはずなのに、それができなかった。あまりの寒さに、顔の筋肉が固まったのかもしれない。
「今まで一緒に食べたこともあったけど、最近じゃめっきり減ってたしな」
「あはは、そうだね」
彼女の笑いが起こした震えが、密着する僕に伝わってくる。その際に彼女の胸を意識してしまい、我ながらあきれ返った。
普段彼女を意識していない分、こういう時に彼女が異性なのだと認識してしまう。恋愛対象にはならなくとも、やっぱり僕と彼女は違うのだと思わされた。
「しかし、父さん達がのけ者扱いってのは、ちょっと心苦しいな」
「いいんじゃない? 女性だけで仲よくするのはいいことだって、お母さんもおばさんもよく言っていたわよ」
「……僕と兄貴の肩身が一気に狭くなったな」
女性はやっぱり強いんだな。よく聞くフレーズは本当のようだ。
ちなみに彼女の弟は他県の学校に通っており、向こうで下宿しているため、彼女の家にはいない。一人いるだけでも随分違うから、できれば帰ってきてもらいたいものである。あきらかに無理だろうが。
「気にしなくていいんじゃない? お父さん達みたいにならなければさ」
「そ、それは……」
僕は何も言えなくなってしまった。僕は結構父さんやおじさん、好きなんだけどな……尊敬しているかどうかは、また別だけど。
「まぁ、なるかどうかはともかくさ、スピード上げてよ。手伝う約束してるの」
「解ったよ。掴まってろ」
僕は自転車をこぐ脚に力を込めた。彼女の腕にも、力がこもる。
僕達は家に向けて、全力で進み始めた。
こんな何気ない日常がいつまでも続くと思っていた。
そんなのは何の根拠も無い傲慢なんだって、すぐに実感することになったんだけれど、この時は、確かにそう思っていたんだ。
―――
あれから一ヶ月がたったある日、冬期試験が近くなって、空気も冷たいどころか痛いぐらいになっていた。
相変わらず、僕と彼女は一緒に帰っている。
関係性は、やっぱり変わっていない。相変わらず、僕らは幼馴染みのまま、それを打破するつもりもことも無かった。
「今日さ、ちょっと疲れることがあったの」
彼女は言葉通り、疲労の色がにじむため息をついた。
「へぇ。何があったんだ?」
「告白」
「へぇ……。……は?」
「だから、告白された」
「それは聞いたけど……」
意外だ。告白なんてそれこそあきるほどされている彼女は、そのあしらい方も知っているはずなんだが……
「先輩だったんだけど、やたらしつこくてさ。口で言っても解ってくれないから、つい殴っちゃって」
「殴ったって……いや、おまえらしいっちゃおまえらしいけど」
思わず自転車を止めそうになった。よりによって先輩殴るか、こいつは。
確かに、彼女は護身術として空手と合気道を習っていた(おじさんのすすめらしい。親馬鹿もいいところだ)から、腕は並以上に立つけど……
ちなみに僕は剣道を習っていた。そこら辺にいるチンピラぐらいなら倒せる自信はあるけど――彼女との喧嘩は勝った試しは無い。剣道三倍段と言うけれど、彼女は武術を二つも習っているから、それは無効だ。むしろ、僕が負けている。
でも、よく先輩を殴れたものだ。僕らの先輩と言ったら、三年生のことである。男子の三年生を殴り倒す女子高生……ちょっと見てみたかったかもしれない。
しかし、よっぽどしつこかったのだろう。
「どんな先輩だった?」
「ん……顔はまぁまぁよかったかな。でもナルシストっぽくて、私の好みじゃなかった」
そういや、こいつの好みは男らしい――というか、男臭い奴だった。その上年上趣味。だから、好きになるのはいつも学校の教師だった。今だって、自分の担任に片想いしているらしい。相談された時は、どれほどいたたまれなくなったことか。そういう色恋沙汰は、女の友達に相談してほしい。
「女遊びが酷そうだったから、しばらく何もできないように顔にパンチと股間にキックを一撃ずつしといた」
「おぉう……そ、それは……」
これは……ざまあみろと思うべきなのか、同じ男として同情すべきなのか。何とも微妙なところだ。
僕自身、男としての目線として、そういうやからは許せないけど、それにしたってやり過ぎな気がしないでもないな。
「しっかし、それは後が怖そうだな」
「私悪いことしてないし、先生達は私の味方だもん」
「あー……そりゃ」
普段の彼女は成績優秀、品行方正で通っている。何があっても、教師達は彼女の庇護をするだろう。彼女は年上趣味であると同時に、年上に好かれやすいようなのだ。
「あーあ。さっさと先生に告白しちゃおうかなー」
「卒業まで待つんじゃなかったのかよ」
嘆息する彼女は、本当に今日の告白が嫌だったらしい。そんなことを言い出した。
しかし今そんなことをしたら色々まずいと言ったのは、一体誰だったか。大体彼女と担任の歳の差は、十も離れているのだ。
もっとも、その差は彼女にとっては問題無いらしい。普通に考えたら犯罪ちっくだが。
「そうだけどさ。けど、ほら、来年の春には、私達受験生じゃない」
「おう」
「私が目指してる大学、ちょっと難しいし、遠いから、今のうちにケジメ漬けとこうかと思ってさ。勉強に集中したいし」
「ふぅん。……え? 遠い?」
今度こそ、僕は自転車を止めてしまった。凍ったアスファルトに滑りそうになるが、足でなんとか停止させる。
僕は安堵に息をつくと、彼女を振り返った。彼女は急に止まったことに驚いたのか、目を丸くしている。自分が言った言葉がどれほど衝撃的だったかなんて、つゆほども感じていないらしい。
「ちょ、どうしたの?」
「遠いって……どこに行くつもりなんだよ」
「どこって……」
彼女がおずおずと口にした大学は、県外も県外、往復だけで一日消費しそうなくらい遠い県だった。
「まさか、あの家出るつもりか?」
「まぁ。家からじゃ通えないし」
そりゃそうだ。でも、ということは。
「いなくなるのか」
「え?」
「おまえ、いなくなるのか」
思わず口をついた言葉だった。我に返った僕は黙り込む。彼女も驚いたのか、何も返してこなかった。
「………………」
「………………」
気まずい。何だ、この気まずさは。どうしてあんなことを言ったんだ、僕は。
別に彼女が好きだとか、そんな感情は相変わらず浮かばないけれど、それでも彼女がいなくなると考えた時、もの凄く嫌だと思った。
彼女がいなくなるのは嫌だ。どこかに行ってしまうのは嫌だ。絶対に嫌だ。
それは大切にしていたものをなくしてしまった感覚に似ていて、失ったわけでもないのに喪失感を感じていた。
「……紅茶飲みたい」
と。
彼女は突然、そんなことを言い出した。目を瞬く僕に、彼女は言葉を重ねる。
「あそこの公園にある自動販売機。あそこのミルクティー、飲みたい」
……どうやら奢れということらしい。
―――
公園のベンチに、僕らは並んで座った。彼女の手には、白に青い模様の入った缶、僕の手には、小豆色の缶。二人の間の距離は、人ひとり座れるぐらい空いていた。
寒い風にさらされる公園には誰もいなくて、まさに二人きり。そんな状況に、僕はときめきも緊張も感じなかったけれど。
いや、緊張はしている。何を言われるかという、一種の恐怖で。
「あんた、私が行く大学のこと、聞いてなかったんだ」
「……うん」
素直に頷くと、彼女はため息をついた。あきれられたのかと思いきや、どうやら違うらしい。
「私も知らない。どこ行くの?」
「え、あ、地元の大学」
夢も進路もあいまいな僕は、とりあえず手近で無難な大学を選んだ。その大学の卒業生の就職率が高いというのも、理由の一つだけれど。
「おまえは、どうしてその大学選んだんだ?」
「私? 私はね、欲しい資格があってさ」
彼女は少しだけ笑った。細くなった目は、まるで猫みたいだ。
「その大学に行くのが、一番の近道だから」
「そ、か」
何だか恥ずかしくなってきた。彼女はしたいことがあって大学を決めたというのに、僕は何も考えずに、ただ近いというだけで決めていたなんて。
「だからね、早めにこの気持ちに決着つけて、整理つけて、受験に挑みたいの。だから、今年中に。断られた時は、まぁしょうがないよ」
彼女はけらりと笑った。彼女らしい発言だ。
彼女はいつもそうだった。強くて迷わなくて、僕とは大違いだ。そんな彼女が、僕は昔から好きだった。恋愛感情は関係無く、彼女が好きだ。
それはやっぱり家族に対する親愛の情で、彼女のことを異性と見ることは無かった。恋愛漫画や小説のような展開は、僕らには望めない。
そんな、今は必要無い思考が頭を支配している中で、彼女の言葉が染み込んできた。
「正直叶うとは思ってないよ。やっぱ教師と生徒の壁は大きいし、先生堅物だしさ」
「確かに」
それは言えてる。あの先生の身持ちの固さは有名だ。モテるくせに結婚もせず、彼女もいないらしい。今時珍しい人物だ。
教師と生徒が付き合っても特に問題無いと思うのはやっぱり少数派で、大抵の人間は騒ぎ立てる。公平さがどうこう聞いたけど、人間に公平になれという方が難しいと思う。普通にしていたって、ひいきにする生徒が出てくるのだから。
「というわけで、フラれたら慰めてね」
「……それ以前に、男に恋バナしてる自覚あるか、おまえは」
僕は頭を抱えた。前にも一度言った記憶があるんだが。
「えー、私は単純に家族に話してる感覚なんだけど」
「母親に言え。……ていうか、何の話してたっけ」
「だから、私の大学の話でしょ」
「ああ、そうだったな」
僕はため息をついた。何だろう、このぐだぐだ感は。
「何なんだろうなあ、ほんと。……とにかく、いつかおまえは、いなくなっちゃうんだろ?」
「そうだね」
「それが、僕は凄く嫌だって思ったんだ」
「そっか」
彼女はこくり、とミルクティーを喉に流し込んだ。
「私がいないと、嫌?」
「うん。というより……多分、寂しいんだと思う」
その方がしっくりくる。僕は、彼女がいなくなるのが寂しいんだ。
なぜなら、僕にとって、彼女がいることは当たり前だから。
いて当然。風景の一部みたいな感じだろうか。あまりに溶け込みすぎて、いないと違和感がある。
結局、僕にとっての彼女はそういう存在なんだ。近過ぎて、当たり前過ぎて、だからこそ、恋愛対象になりえない。
感情も意識も、そこには混じらない。無感情で無意識。それが僕らの間にあるもの。無関心ではないけれど、深く踏み込むことはしない。
そこまで考えて、僕はふと思った。僕は彼女の何をを知っているのだろう。何でも知っているつもりだったけれど、よくよく考えれば、お互いに関する問答をしたのはこれが初めてだった。
「なあ」
「んー?」
「おまえ、将来何になりたいの?」
「弁護士」
即答だった。女弁護士か……確かに彼女に似合いそうな肩書きではある。
「個人事務所を持てるぐらいの実力派になりたいの。別に正義の味方を気取るわけじゃないけどさ、真実を追求できるような、そんな弁護士になりたいの。あそこの大学は有名な弁護士を多く輩出しているらしいから、うまくいけば、身近で弁護士の仕事が感じられるかも」
「へえ。おまえらしいな」
僕はしっかりとした彼女の語り口調に、ただただ感心するばかりだった。
昔から一本芯が通った奴だったけれど、今の彼女には、ちゃんとした未来のビジョンがあるらしい。
「あんたは、何かなりたいものある?」
「え……」
突然の質問に、僕は言葉に詰まった。
僕は、彼女のような夢も目標も無い。ただ惰性で生きているだけに過ぎず、これからもそんな風にしか生きられないのではないかという危惧も抱いていた。
僕は得意なことも特異なことも持ち合わせていない。彼女とは違い、僕はただの平凡な高校生なのだ。将来のことなんて考えず、今日のような日常が永遠に、延々と続くと思っていた大馬鹿者だ。そんな僕は、夢を考える必要なんて感じていなかった。
もっとも、漫画家になるとか(美術の成績が二のくせに)ミュージシャンになるとか(カラオケの最高得点が六十点のくせに)、そんな夢見がちなことは考えたことはあるけれど。
だから結局、僕は解らないと答えた。自分の夢を熱心に語る彼女に対して、なんと情けないことかと思い、羞恥で頬が熱くなる。きっと彼女もあきれたに違いない。
案の定、目を丸くする彼女と顔を突き合わせることになった。
「何にも考えてないの?」
「あ、ああ」
「やりたいことも、無いの?」
「……ああ」
その場から走り去りたくなった。夢が無いことは、こんなにも恥ずべきことだったろうか?
彼女はうーん、と唸って、小首を傾げた。
「普通、やりたいことの一つや二つ、あるものなんだけど」
「悪かったな、無気力人間で」
言い放った言葉は、思った以上に投げやりだった。我ながら情けない。
「もしかしてそれって、解らないだけなんじゃない?」
「解らない?」
「何かに打ち込んだことがないから、解らないんじゃないかって、私は勝手に思ったんだけど。今からでも、打ち込めるもの探したら?」
「打ち込めるものって……」
無理難題だった。今からじゃあ間に合わないし、間に合ったとしても掴めるかどうか解らない。本当に何で僕はこんなに無気力人間なんだろう。今更ながら悔やまれる。
「間に合うか間に合わないかが問題なんじゃないんだよ」
と。
彼女は笑って缶をあおった。冷めていたらしく、豪快にぐびぐびと飲み干す。ミルクティーがお酒に見えた気がした。
「したか、していないか。問題はそこよ。何もしない人間ほどつまらないものはないからね」
「うぐ……」
「つまらない人間にならないでよ。この私の幼馴染みなんだから」
彼女はいっそ、傲慢に言い放った。そんな言い種さえ様になるのだから、本当に美人は得だ。
「ほら、帰ろう。いい加減家につかないと、怒られちゃう」
「……そうだな」
僕は頭をかいて、重い腰を上げた。
手の中の缶は、もうとっくに冷たくなっていた。
―――
冷たい風が頬を撫でる。その風のせいで顔が切れそうだ。けれど、彼女が背中にいるおかげで、身体だけは冷えずにすんだ。
「なあ」
「うん?」
自転車をこぎながら、僕は背後に語りかける。気の抜けたような返事をする彼女に、僕は問うた。
「僕は、何をすればいいと思う?」
「知らなぁい。自分で考えれば?」
彼女は笑う。からかわれている感じだ。
彼女の言葉はもっともなので、僕はそれ以上何も言わなかった。
あと何度、彼女と一緒にこうやって帰れるのだろう。あと何度、彼女とくだらないやり取りができるのだろう。
あと何度――
僕はただ、自転車をこぐ。彼女は落とされないように僕にしがみつく。
そんな僕らは特別な関係などではなくて、ただ一緒にいて当たり前の関係だった。けれどいつか、その当たり前はあっさり消え去るのだ。
それを永遠だと感じていたのは僕だけで。
彼女はいつか終わると悟っていた。
僕もまた、不本意なことにそれに気付かされた。
けれど、僕は性懲りもなく思ってしまう。
愚かにも、思ってしまう。
この放課後の習慣が、ずっと続けばいいのにと。
叶わないことは解っている。けれど今だけは、そう願っていた。願って、いたかった。
―了―
初めましての方もそうでない方も、こんにちは、沙伊です。
今回投稿させていただいたのは、沙伊が大学で所属している文芸部の部誌に掲載した短編です。切ない系の青春ものを目指したのですが、どうでしょう、そうなっていると幸いなのですが。
前にも短編を投稿したのですが、その際は長編小説の番外編のようなものでした。今回のは完全に独立しております。
つたない作品ですが、感想・評価お待ちしております。
では。