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第9話 プリンセス様、レッスンをお受けになる

「次のセンテンスは……Toko Fujimaki?」


「Yes」


「OK. Stand up please!」


 うちの高校――椥辻学園第二高校は、変わった授業が多いことで全国的に有名らしい。それは学校自体が科学技術系に特化した人材育成を目的としていること、そのために学校の設備に国や財団等々から補助を受けて設置された何に使うのか分からないさまざまな妖しい機器がそろっていることに起因している。


 中には反重力を生み出して空中に浮かべる装置や、自分そっくりの別人をバーチャルで映し出す装置、絶対零度を作り出す装置なんてのもあり、うわさでは魔法能力を人間に身につけさせる装置や幽霊を会話ができる装置もあるらしい。どこまで本当なのかは俺にもよく分からないが。


 とはいっても、もちろん普通の科目もある。というか普段はそっちの方が多い。基本五教科(英・国・数・社・理)はうちの高校でもしっかりおさえており、授業時間も長い。社会は地理・世界史・日本史・倫理など、理科は化学・物理・生物・地学などに分かれ、それぞれに担当の教師がついている点はその辺の高校と変わらない。


 俺は基本的にどの授業もあまり乗り気ではなく、いつもぼーっとしているか、教科書に落書きをしているかして授業中を過ごすことが多い。俺が天才ならそんな授業態度でも問題ないのかもしれないが、あいにく俺の脳みそは凡人なので、成績は常に下のほうだ。得意な教科は社会、苦手な教科は数学だが、どちらもさしてテストの点数は変わりない。ようは極端にいい教科・悪い教科が無いということ。


 ――まあ、俺の話は置いておいて。


 高一のときは赤点すれすれの点数を取り続けてなんとかしのぐ。授業とはそれだけのものだった。高ニになってからもこのままなんだろうなと思っていた。変わりなく、いままでどおり粛々と時間を過ごすだけ――。


 だが、ミースが学園に来てから、毎日の授業がいままでとはがらりと様相を変えた。もちろん俺たち生徒にとってもそうだが、どちらかというと先生の方に大きな影響があった。


 例えば、英語の授業。


「Is there a person you respect or admire?(あこがれの人や、尊敬する人は?)」


「I admire my grandfather. He was an amazing person.(祖父を尊敬しています。すばらしい人でしたから)」


「Why do you admire him?(どうして尊敬しているの?)」


「He went through so much adversity, and yet he was still the most loving and gentle person.(多くの逆境を乗り越えてなお、愛情にあふれ、やさしい人だったからです)」


 教科書にある例文をもとに質問する先生に対し、流ちょうな英語で答える藤巻さん。優等生っぷりをいかんなく発揮している。ってか、どうやってあの英語特有の発音(Lは上あごに舌をつけて、Rは舌をまいて、とか)を身につけたんだろう。ものすごく自然な英語に聞こえる……。英会話教室にでも通っているのか、それとも家庭教師でもついているのか。凡人の俺には分からない。


 だが、それに輪をかけてすごいのがミース。


「では次の質問について――衿倉さん、答えてください」


「はい」


「What are you into lately?」


「Recently I'm really into joke」


「Oh, joke? That's interesting. For example? 」


「Yes. A tale I knew recently ―― A couple had two little mischievous boys, ages 8 and 10. They were always getting into trouble, and their parents knew that if any mischief occurred in their town, their sons would get the blame. The boys' mother heard that a clergyman in town had been successful in disciplining children, so she asked if he would speak with her boys. The clergyman agreed and asked to see them individually. So, the mother sent her 8-year-old first, in the morning, with the older boy to see the clergyman in the afternoon. The clergyman, a huge man with a booming voice, sat the younger boy down and asked him sternly, "Where is God?" The boy's mouth dropped open, but he made no response, sitting there with his mouth hanging open. The clergyman repeated the question. "Where is God?" Again, the boy made no attempt to answer. So, the clergyman raised his voice some more and shook his finger in the boy's face and bellowed, "Where is God!?" The boy screamed and bolted from the room. He ran directly home and dove into his closet, slamming the door behind him. When his older brother found him in the closet, he asked, "What happened?" The younger brother, gasping for breath, replied: "We are in real BIG trouble this time! God is missing, and they think we did it!"」


「Oh, tee-hee. It's funny story! フフフ!」


「Is it? ウフフフ!」


 いったい何で笑ってるんだこの二人……。


 クラスの他の生徒を完全に置き去りにして、先生とミースだけが笑ってる。みんなは二人のただ愉快そうな様子をひたすらながめるしかない状態だ。


 完璧な発音。そのまま通訳として働けそうなくらい、ミースは完全に英語を身につけている。もしかしたら、ドイツ語や中国語あたりも話せるかもしれない。


「あら、わたくしの言葉は十六ヶ国語に変換可能ですわ。英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語等のヨーロッパ圏の言語のほか、ロシア語・中国語・韓国語・アラビア語等を話せます。エスペラント語にも対応しておりますわ」


 ミース、それで今後食っていけるよ。きっと。






 その他の教科についても、ミースは通常の高校生ならざる能力を発揮する。歴史の授業では複雑に絡み合った長い世界の史実を整然と整理して時系列に並べることができるし、化学の授業では元素記号や化学式を大学教授レベルまで暗記して黒板に記述する。


 Sr(NO3)2(aq) + 2 NaOH(aq) + 8 H2O(l) → Sr(OH)2・8H2O(s) + 2 NaNO3(aq)


「硝酸ストロンチウム水溶液に濃度の高い水酸化ナトリウム水溶液を反応させると、八水和物が析出しますわ。これでよろしいかしら」


「う、うむ……あとで調べておく」


 化学の先生も太刀打ちできない答えをミースは頻繁に出す。もうこうなると、他の生徒は一切ついてこれない。藤巻さんでさえも、たぶん。


 全体的に授業におけるミースの存在感は、ただならないものがある。先生よりよほど詳しく、それをお構いなしにばんばん表明するものだから、先生も対応につまることが毎回の授業で最低一、二度はある。


 それが最も際立っているのは、数学の授業のときだ。


 午前九時四十分。二時間目の授業が始まる。科目は数学。このときだけは、クラスの雰囲気が少しだけ変わる。緊張したような、どこか怖さとおかしさとがない交ぜのスリルめいた空気が漂い始める。


 ピリリリリリリリリッ! と、授業の開始を告げる音が教室のスピーカーから響く。うちの高校の始業ベルはよくある鐘の音ではなく、緊急時の警報みたいな効果音だ。


 クラスのみんなが席につき始める。瓜生だけは最後まで他のクラスメートの席の近くにいたけど、ガラガラと教室のドアが開いたとたん、すぐに自分の席に戻っていった。


 入り口から現れたのは、灰色のスーツに身を包んだ、まだ若い男性教師だった。


 前髪を斜めになでおろしたやや細身のその数学教師――小革先生は、教師になってまだ二年目。この学校への赴任が現役デビューの新米教師だ。優しく真面目な性格で、授業では難しい数学の問題をひとつひとつときほぐすようにわかりやすく教えてくれるし、課外時間でも生徒の悩みや相談に親身になってのってくれる。特に女子生徒からは人気で、「小革先生の笑顔って癒し系最強だよね~」と瓜生なんかもよく云っているのを耳にする。


 そんなわけで、小革先生の授業は毎回楽しく明るい雰囲気だった。そう、ミースが来るまでは。


 以前は背筋をピンと立てて教室に入ってきた先生が、いまでは見る影もなく自信なさげに背中を少し丸めながら教壇に立つと、どこかおどおどした様子でクラス名簿を開いた。生徒のだれにも視線を一切合わさない。合わすことで、自分が知りたくない不吉なことを知ってしまうとでもいうかのように。


「えー……では出欠をとります。愛内さん……」


「はい」


「射原さん……」


「はい」


「瓜生さん……」


「はーい」


 点呼をとる声も弱々しい小革先生は、瓜生さんの次の名前で急に顔をこわばらせた。息を止め、額に汗をにじませる。明らかに様子がおかしい。


 先生は、おそるおそるといった調子で口を開いた。


「え、衿倉さん……」


「はい」


 ミースが律儀に手を上げて答える。その動きに、なぜか小革先生はびくっと過剰に体を反応させる。そして、一段と暗い表情になって名簿に目を落とした。


「はい……。ええと、次は小野原さん――」


 一気に先生の声がしぼむ。どこかやつれたようにも見えていた先生の顔が、さらにやせぎすったようにしぼむ。「癒し系最強」と呼ばれた笑顔など、今の先生からでは想像がつかない。


 全員の出欠確認を終え、小革先生の授業が始まった。


 ぱらぱらとのぼせたように教科書を開いて、先生が前回の続きから説明を始める。


「……では、67ページのⅡ-1の数式ですが……分かる人いますでしょうか?」


 先生がなぜか必要以上におそるおそる尋ねる。それへ即行で手を上げたのは、ほかでもない、ミースだった。


「ひっ」


 先生が一瞬後ずさる。そこまでビビる必要はないと思うんだが、先生にとっては手をぴしっと90°垂直に上げたミースの姿がこれ以上無い脅威になっているらしい。


「で、では……衿倉さん……」


 消え入りそうな小さい声を発する小革先生。ミースはそんなことにお構いなく、先生とは対照的に元気のいいはっきりした声で云った。


「はい。答えは『5/3<a<3』ですわ」


「せ、正解です……。ええと、じゃあ次の問題は――」


「はい」


 また手を上げるミース。先生の顔が完全に引きつっている。


「では、衿倉さん……」


「はい。答えは『-2』ですわ」


「そ、そうですね。正解です。ではなぜそうなるのかというと――」


「はい」


 三度ミースが手を上げる。先生は黒板に向かおうとしていたのを青ざめた顔で振り返った。


「え、衿倉さん……なんでしょうか」


「それはわたくしがご説明いたしますわ。簡単な設問ですもの。先生の手をわずらわせるわけにはいきませんわ」


「いや、その……でも」


「あら、わたくしがご説明差し上げて、なにか不都合でもありますの?」


 そう云うミースの目から光が消える。そっと右手をあげ、人差し指を先生に向け――


「え、い、いえ! なんでもありません!! では衿倉さん、答えてください!」


 小革先生は取り乱しながら、若干引け腰で答える。ミースの目に再び光が戻った。


 あれで以前、先生はミースの人差し指から発射された電熱線で黒板ごと体を焼ききられるところだったのを思い出す。ミースの目から光が無くなると、ろくなことがない。俺には先生の気持ちが痛いほど分かる。


「はい。ではお答えしますわ。まず根号内は完全平方より (1-4m)y^2-18y+9=0 の二次方程式は二重解をもちますから、その判別式は0でなければいけません。よって、 9^2-9(1-4m)=0 より m=-2 となります。このとき (根号内)=9(y-1)^2 ですから、これは (x-y-1)(x+2y-4)=0 からなる二直線を表しますわ」


「はい、完璧です……」


 先生はもはや観念してうなだれた。


「では、次の章に移ります。第一問目ですが――」


「はい」


 ミースが自動的に手を上げる。


「答えは『-log2』ですわ」


「では、次の問題は――」


「はい。答えは『A=1 B=-1』ですわ」


「では、次の問題――」


「はい。答えは『P(x)=-(x+1)/2, Q(x)=1/2』ですわ」


「では、次のもん――」


「はい。答えは『-1/(x+1)+(x+1)/(x^2-x+1)』ですわ」


「では、次の――」


「はい。答えは『k=0,1のとき0, k=2のとき1, k=3のときa+b+c』ですわ」


「では、つ――」


「はい。答えは『(x-y)(x-z)(y-z)(x^2+y^2+z^2+xy+yz+zx+x+y+z)』ですわ」


「で――」


「はい。答えは『x,y,zのうち少なくとも二つは0ではないから、x≠0,y≠0とすると、xy(x+y)=yz(y+z) y≠0より x(x+y)=z(y+z) よって x^2-z^2+xy-yz=0 (x-z)(x+y+z)=0 よって x=z または x+y+z=0 同様にして y=z または x+y+z=0 よって x=y=z または x+y+z=0』ですわ」


「――――」


 もう声も出せなくなった先生。でもかわいそうなことに、これは毎回のことだ。


 教科書に載っている問題や、先生が用意するプリント等、その日の授業がなんにせよ、ミースは全て先行して完璧な答えを示してみせる。たとえそれが、大学受験レベルであっても、超高校級のレベルであっても。


 最初は小革先生も、ミースの力量に答えようと難しい問題を個人的に精選して授業に持ってきていた。だがいくら難しいものを見せても、ミースはものの五秒以内に答えてしまう。何回かそういったやりとりが続いたが、ある日張りつめた糸が切れたように先生があきらめ、いまとなっては惰性で教科書の問題を流して、こういう結末に至ることが多い。


 ぼうぜんとする先生。そこへ、純粋無垢な子供がふと疑問に感じたとでもいうような悪意ゼロの表情で、ミースは容赦なく尋ねる。

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