第8話 プリンセス様、メールで顔文字をご使用になる
今日の六時間目はホームルーム。学校からの伝達事項をクラスのみんなに伝えたり、なにか決めないといけないことをクラス全員で話し合う時間だ。前述の通り、うちの学校には各クラスの担任の先生というのがいない。だからホームルームの進行を務めるのは、我らが学級委員長・藤巻さんだ。
いつものように慣れた調子で教壇に上がると、そのまま担任の教師といっても通用するくらい堂々とした態度で、自然に話し始める。
「ではこれからホームルームを始めます。まず最初に学校通信が届いているので、みんなに配布します。端から順番に配るから、後ろに回していって下さい。(プリントを回しながら)主な内容としては、これから秋に入るので、季節の変わり目だから体調には注意してください、ということね。風邪をひきやすいので、特に夜更かししたりして睡眠不足になって体力を落とさないよう気をつけて下さい。もし学校にいるときに悪寒がしたり、熱っぽいと感じたら、遠慮なく保健室へ行ってね。あと、これから台風の季節に入りますから、もし台風がこの辺りを直撃した場合の休校の条件。もうみんな分かってると思うけど、暴風警報なら自宅待機、注意報なら登校ね。で、朝11時を過ぎてもまだ暴風警報が出ていたら、その日は休校。確認しておくこと。それからまだ先の話だけど、これから少しずつ体育祭と文化祭の準備のための時間が入ってきます。体育祭が10月26日、文化祭が11月30日の予定だけど、まだ変更する可能性もあるから注意してください。特に体育祭は天候次第で延期になるから。ちなみに来月なかばのホームルームでチームと出場種目を決めると思うから、そのつもりでね。あとは細かい行事の内容とかが書いてあると思うけど、各自読んでおいてください。では次に、各教科担当の先生からの伝達事項だけど――」
……完全に藤巻先生だ。とても同じ年齢だとは思えない。
あれだけさらさらと流れるように説明できるのは、前もって配布するプリントに目を通して頭の中で話す内容を整理しているからだろう。いや、常日頃から学校の規則や行事を頭に入れるようにしているから、プリントをぱっとみただけで話すことが思い浮かぶのかもしれない。いずれにしても、決して俺にはマネできない。いや、このクラスの中でもなかなかここまでうまく先生をこなせる人はいないだろうと思う。藤巻さんが2-Aの学級委員長でよかったな、と素直に感じる時間だ。
(す、すばらしいです……。これだけの生徒の中であれだけ堂々とお話をされるなんて、やはり藤巻さんはただものではありませんわ)
ほら、横にも藤巻さんの進行ぶりに感動している人がひとり。ミースだけど。
ミースの席は俺の隣。当然、教育係の俺の席を考慮してのものだ。――まあ、決して不満なわけじゃないんだが。ミースの質問にもすぐ答えられるし。
でもたまにスイッチが入ると、ミースは授業中でも猛烈に俺に小声で話しかけてくる。
(藤巻さんのあのトークスキルは、きっと日ごろの鍛錬のたまものですわ。いつもどのようにあの演説を技術を磨いていらっしゃるのか、ぜひお聞きしたいものです!)
(演説なんてたいそうなものじゃねえだろうけど……まあ、あの話しっぷりは純粋にすごいと思うよ)
(やはり藤巻さんとはぜひお友だちになり、演説スキルの修習方法を一週間かけてお聞きしたいですわ)
(そんなにもたねえよ、いくら藤巻さんでも……)
(そうですか? では、三日間だけでも)
(いや、三日ももたないと――)
「壬堂君」
――と。
俺がミースとささやきあっているのが、藤巻さんにばれた。
「ホームルーム中よ。私語は慎みなさい」
「あ……す、すいません」
思わずですます調になってしまう。藤巻先生の放つオーラに押されて。
「衿倉さんも。この時間は私の話していることに集中して」
「は、はい。すみませんですわ……」
うわ、ミースでさえですます調に……。さすが藤巻先生。
瓜生らは藤巻さんのことを「塔子様」と呼んでいるらしいが、そう呼びたくなる気持ちもなんとなく分かる。なにせ同級生とは思えない風格というか、別次元の雰囲気をまとっているからな……。
成績優秀(英・数・理・国・社のテスト点数が常に全クラス中三位以内)、スポーツ万能(飛びぬけているわけではないが、どんな種目も上の中くらいのレベルでこなしている)、性格良好(模範生としてどの先生からも認められている)という、学級委員長の鑑みたいな――というより、鑑そのものの生徒。クラスメートみんなから尊敬され、一目おかれ、近寄りがたい存在になっている人。それが、藤巻さんという存在。
彼女はきっと俺には全く及びもつかないような思考回路をもっていると思う。そもそもの人種が違うという気さえする。決してクラスで友達をつくらないという信条からも。きっと家に帰ってからも、休みの日も、勉学と自己研鑽に励んでいるに違いない。
そんなことを考えていると、俺のスラックスのポケットがとつぜん「ブルルルルル……」と震えた。携帯電話だ。
(なんだ……?)
俺は折りたたみ式の携帯をポケットから取り出す。ふだん俺はほとんど携帯を使う機会がない。連絡をとりあう相手がいないし、ごくまれに親から「店を手伝え」という電話がかかってくるくらいで、自分からかけることは滅多に無い。最近では、三日前にいたずらメールが送られてきただけだ。だからいまだに自分の携帯の電話番号もメールアドレスも覚えていない。考えてみると何か泣けてきた。
なので携帯を開くのは三日ぶり。画面を見ると「新着メール1件」の文字がみえた。
(またいたずらメールか……。もうアドレス変えた方がいいかもな)
そう思いながらメールを開くと、送信元は案の定、よく分からない長いアドレス。そして件名は「ミースより」となっていて――
(あれ、ミース?)
本文に目を移すと、そこにはこう書かれていた。
〈――でも藤巻さんの説明は常に理路整然としていますわ。やはりわたくし、学級委員長としての風格をどのように藤巻さんが身につけたのかにとても興味があります。必ずあと14名のクラスメートとお友達になり、藤巻さんとお約束したミッションを達成いたしますわ(-_-; ――〉
ミースからのメールだった。しかもどこで覚えたのか、顔文字までついてる。
俺は横にいるミースのほうをのぞいてみた。だが、彼女が携帯電話をいじっている様子は無い。そもそも、ミースは携帯をもっていないはずだ。「通話は頭部に内蔵された通信システムで行いますので、わざわざ電話をもつ必要性はありませんわ」と云ってたくらいだし。ってことはもしかしてミース、頭部に内蔵されていた通信システムでメールを打ったのか? でも俺は一度もミースにメルアド教えてないんだが。
一体どうやって、ミースは俺にメールを送ったんだろう。
ミースはそしらぬ顔で、マジメそうに藤巻さんの説明を聞いている。俺は藤巻さんにばれないよう机の下で携帯電話を開け、ためしにメールを打ってみた。
〈――ミース、どうやって俺にメールを?――〉
送信、と。
メールを返信してから、ミースの方を見てみる。相変わらず彼女はずっと前を向いたまま。
すると三秒後。
ブルルルルルッ。
(きた!?)
そして返信早っ!
ミースは携帯電話を出すどころか、手も顔も全く動かしていない。藤巻さんの話す教壇の方をみつめたままだ。
俺は携帯の画面を確かめる。「新着メール1件」の文字が。
メールを開くと、やっぱりミースからの返信の返信メールだった。
〈――わたくしの頭部に内蔵された通信機器で、壬堂さんがお持ちの携帯電話にダイレクトにメッセージを送信しております。手先を動かすことなく全ての作業が済みますので、藤巻さんにご迷惑をおかけすることなく壬堂さんとお話しすることができるのです。ちなみにメールアドレスは、壬堂さんの携帯をハッキングして取得しました。無断で壬堂さんの個人情報を閲覧してしまい、申し訳ありませんでした(^_^)v――〉
あの一瞬の間にこれだけのメッセージを作成して返信するなんて、普通の携帯を使ってできる技じゃない。自動返信メールよりも早かった。さすがミースだ。顔文字の使い方が若干間違っている気がするが……まあそこはあまりツッコまないでおこう。
俺はピコピコと返信を打った。
〈――すげえなミース。じゃあアドレス帳とかいちいち呼び出す必要もないんだな。――〉
〈――はい。スマートフォンにも対応しておりますし、パソコンにも送信可能です(・_・ )( ・_・)キョロ――〉
〈――こっちは一文字一文字指で打たないといけないから、面倒だ。――〉
〈――そうですわね。壬堂さんも、ミクロ型通信機器を脳内に埋め込んではどうでしょう? そうすれば、わたくしとの授業中の会話がいっそう便利になりますわ(-_-メ)――〉
〈――いや、それは遠慮しとくわ。色々怖いから。――〉
〈――あら、そうですの? わたくしとしては、授業中も壬堂さんにお聞きしたいことがよくでてきますから、脳内に通信機器を埋め込んで頂けると非常に助かるのですが。大丈夫です。簡単な手術ですから(-_-メ)――〉
〈――……いや、それだけは勘弁してくれ。――〉
〈――残念ですわ。壬堂さんならわたくしのため――ひいては医療技術のさらなる進歩のために、まだ実験段階の手術をすすんで受けてくれると思っていたのですが。いまなら小型バルカンもセットで搭載できてお得ですし、いかがでしょうか。壬堂さんにとっても、決して損な話ではありませんわ【'゜メ】――〉
〈――無理。絶対無理。――〉
〈――仕方ありません。では、壬堂さんの代わりとなる被験者を探す必要がありますわね。命の保証は致しかねますが……このクラスの中で最先端の生体人工化手術を受けて頂ける方は果たしておられるでしょうか。いないなら無理にでも連れ去って――あ、大丈夫です、壬堂さん。たとえその結果クラスメートの誰かが命を落とすことになったとしても、決して壬堂さんのせいではありませんから。フフフ……(-。-)y-~~~~タバコ .。o○――〉
ミース、文面も顔文字もすげえ恐いんだけど……。
ミースは変わらず、真剣な表情でじっと藤巻さんの話に聞き入っている。あれで頭の中では「クラスメート一人を犠牲にして脳内手術」のメールを打っているのが信じられない。俺は机の下で携帯を握りながら、慣れない手つきで文章をつむぎ、またミースへメールを送った。
〈――ミース、あんまり物騒なことばっかいうなよ、恐いから(^。^;)――〉
がらにもなく顔文字を使ってみたり。すると、いままで三秒以内に返信が来ていたミースからのメールが、急に届かなくなった。
(――あれ?)
ミースの顔色をのぞく。変わらず正面を向いたままだが、少し眉根を寄せているようにもみえる。なにか困ったような、理解しがたいものを目にしたような、そんな表情。
ほどなく、ミースからの返信がきた。
〈――そんなに恐かったでしょうか。壬堂さんの利益になるかと思いご提案したのですが、まだまだ勉強不足でしたわ。申し訳ありませんでした。……それから、さきほど壬堂さんが送られた文章の最後が読み取れなかったのですが、どういう意味だったのでしょうか。それともバグがなにかでしょうか(^-^;――〉
……バグ?
文章の最後って……もしかして、『(^。^;)』のことか?
〈――いや、あれは顔文字のつもりだったんだけど。――〉
〈――あれも顔文字なのですか? 壬堂さん、かなりマニアックなものをお使いになるのですね。わたくしには全く理解できませんでしたわ(^_^)b――〉
……いや、ミースの『(-。-)y-~~~~タバコ .。o○』の方がはるかにマニアックだろ。
〈――だいたい、ミースは顔文字をどこで覚えたんだ?――〉
〈――瓜生さんがよくわたくしにメールをして下さっていたのですが、そのときに顔文字というものがあるのを初めて知りました(>_<)――〉
〈――えっ、瓜生さんとメールしてたのか?――〉
〈――はい。三日に一回ほどのペースで、お互いの意思疎通を図っておりましたn(_ _)n――〉
〈――さすが瓜生さん、マメだな。……ってか瓜生さん『(-。-)y-~~~~タバコ .。o○』みたいな顔文字使ってたのか?――〉
〈――はい。ほかに『(°°;))。。オロオロッ。。''((;°°)』や『\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ』のような顔文字も使っておられました(゜-゜)――〉
〈――じゃあ、逆に普通使うような顔文字は使わなかったってことか――〉
〈――いまの顔文字は普通ではないのですか?(^^ゞ――〉
〈――いや、俺もあんまりメールしないから自信ねえけど、たぶん――〉
〈――そうなのですか……わたくしの研究不足でしたわ。もっと顔文字について修練致します__ ――〉
〈――まあ、俺もよくわかってねえし、他人のこといえねえけど……ってか、無理に顔文字使わなくてもいいんじゃね?――〉
〈――えっ、メールには顔文字をつけるのが日本の慣例ではないのですか?(^_^;)\('_') オイオイ――〉
〈――慣例じゃねえし……それ以前にミース、顔文字の使い方間違ってるし――〉
〈――そうなのですか!? どのあたりが間違っていたのでしょうか\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ――〉
〈――それは
「壬堂君」
文字を打とうとした俺の指が止まる。
ゆっくりと顔を上げると、俺の机の横に、いつのまにか塔子様が立っていた。
「あっ――――(゜o゜;」
「ずっと下を向いてだまっていると思っていたら、そういうこと……。私の説明を聞く気は1ミリもないってことね」
俺の顔が蒼白になった。
「い、いや、違うんだ、藤巻さん。決してそんなつもりはなくて、これは……その……」
「その……?」
たった二文字の返事に、藤巻さんの中で静かに煮えたぎる怒りが全て込められているのを俺は感じた。突き刺すような視線が俺の引きつった顔に注がれる。
――殺される。
「す、すみません! もうしません! 二度としません! 絶対しません! たとえ世界が滅びても、藤巻さんのホームルーム中に携帯でミースにメールを送ったりは決してしません!!」
「ミース?」藤巻さんは少しだけミースに目をやってから、また俺の顔をにらみつける。
「衿倉さんはずっとマジメに私の話を聞いていたわ。携帯電話なんて一度も触っていないはずよ」
「いや、それが、ミースは脳内でメールを――」
そう云いつつ俺もちらっとミースの方を見やる。彼女は藤巻さんの方を見上げながら答えた。
「確かにわたくし、セカンダリメモリを使って壬堂さんにメールをお送りしていましたが、メインメモリは藤巻さんの話を記録しておりました。一字一句聞き逃しておりませんわ」
「そう。なら、私が何を話していたか憶えている?」
「もちろんです。来週から選択授業が開始しますが、選択決定までの猶予があるため、その間に受けてみたい授業を実際に色々受けてみて自分の参加したい授業をはっきりさせるように、とのことでした」
「ええ、そうね。では壬堂君、その選択までの猶予とは何日間?」
…………。
「……わかりません」
「衿倉さんは?」
「はい」ミースが笑顔で答える。「十四日間、つまり二週間です」
「よろしい。衿倉さんはきちんと聞いていたようね。聞いていないのはあなただけよ、壬堂君」
何も言い返せない……。
「壬堂君。自分の教育相手を巻き込んで自分の罪を軽くしようなんて、浅はかね。あなたという人間の本質が透けて見えた気分だわ」
俺はすっかりささくれた気分になってつぶやいた。
「もういいよ……なんとでもいってくれ……俺が悪かったよ……ああそうさ、俺が全て悪いんだ。俺にはセカンダリメモリなんてないし……。ミースとメールするか授業を聞くかどちらかしかできないんだよ……俺も脳内にもうひとつメモリを埋め込んでもらおうかな……はは、ははは……」
「壬堂君、ヤケになって現実から目をそらすのは勝手だけど、きちんと反省してね。でないと次は、既定のペナルティを課さなければいけないから」
「既定の……? なんですかそれは」
「今後このホームルームで何かの係や役目を決める際、あなたには一切選ぶ権利が無くなる、というペナルティよ。これは私が決めたんじゃなくて、校則で決まっていることだから」
それはイヤだ……。ってかそんなことまで校則で決まってるのかこの学校は。
「だからこれからはもう少し態度を改めなさい。私の話が面白くないなら聞かなくてもかまわないけど、少なくとも携帯を触るのはやめなさい。いい?」
「はい、先生……」
「先生じゃないんだけど。――はい、壬堂君の件はここまでにして、選択授業の話の続きだけど」
藤巻さんが再び教壇に向かっていく。そのうしろ姿をながめながら、藤巻さんはやっぱり先生という肩書きが一番しっくりくるなと思った。
……とりあえず、授業中に夢中になってメールをしてた俺が悪いのは確かだ。ミースにメールを送る前に注意するべきだったかもしれない。反省しよう。反省。
そう思いながらうなだれる俺。そこへ――
ブルルルルルルルルルッ!
(――ま、またかよ!)
俺のマナーモード携帯電話がバイブする。絶対ミースだ。間違いない。俺の直感がそう告げている。
ミースは相変わらず正面をみつめながら、たぶんメインメモリに藤巻さんの声を録音し、セカンダリメモリで俺にメールを送ったんだろう。もう携帯に触れるのも嫌だったが、仕方なく俺は藤巻さんの様子をうかがいつつ、後ろを向いた瞬間を狙ってすばやく携帯を取り出した。
新着メールが1件。ボタンを連打して開く。送信者はやっぱりミースだ。そのまま本文を読んでみる。
〈――オイタハナシヲ\(^_\)コッチニ(/_^)/モドシテ結局のところ、わたくしの顔文字の使い方はどこがどのように間違っていたのでしょう?――〉
いや、それはあってる。