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第7話 プリンセス様、初キスの味を思い返される

 射原小知火。


「……いりはら・こちびさん、でしょうか」


 メモ用紙に鉛筆で書かれたその文字をしばらく凝視してから、ミースは自信なさげに答えた。彼女の周りには机に座っている女子が一人と、ミース同様机を囲んで立っている女子が一人いる。


「やっぱ読めへんよね。うちの名前、初めてでまともに呼んでもろうたことないし」机に座っている女子が苦笑する。そしてもう一度右手ににぎっていた鉛筆を持ち直し、メモに書き始めた。


「これで『いりはら・ともしび』って読むん。変な名前やろ」


「ともしびさんですか……。考えが及びませんでした。苗字の方は藤巻さんや先生方がお呼びになっているので分かったのですが、お名前の方の読み方がどうしてもわからなかったもので……」


「しゃあないよ。うちも自分の名前、嫌いやないけど、もうちょい読みやすい方がええなって思うてるし。まあよろしく、衿倉さん。あ、うちのことは『ともちん』でええから」


 そう云って、関西弁の彼女――射原小知火は、少しだけ目を細めたクールな笑顔をミースに向けた。


 前を少しおろしたポニーテールの長い黒髪。やや細い切れ長の目。身長は女子の中ではかなり高いほうで、体型はとにかくスマート。運動部に入っているわけでもなく、家でも特に運動はしていないらしいが、手も足もすごく細くて長い。モデルみたいな体型だ。いまは制服を着ているからわからないが、きちんと着飾ったらガールズコレクションにも出られるんじゃないかと俺は勝手に思っている。


「そうよねー。ともちんの名前最初に見たとき、中国のことわざかなにかだと思ったのー。びっくりしたよー?」


 そう云ったのは、ミースの横にいたもう一人の、ふわふわした長い桃色の髪が目立つ女子。


 なぜか語尾がいつも間のびしているマイペース気味な彼女は、低めの背で、丸型の顔に大きくきれいな赤味がかった瞳をしている。ちょっとミステリアスだがかわいらしい雰囲気を周囲に放っている、天然っ気全開の女の子だ。


「でも私の名前もちょっと変わってるのー。だから国語の先生じゃないと、あんまりちゃんと呼んでもらえないのー」


「そういえば、小野原さんも読み仮名登録できませんでしたわ。確かこのようなお名前でしたわね」


 そう云ってミースは射原さんのメモ帳を借りると、その紙面を指でなぞった。彼女がなでた後には、なぜかインクで印刷したようなきれいなゴシック体の字が浮かび上がる。


「……分かっとったけど、衿倉さんってやっぱ何かとすごいんやな」射原さんが驚いて顔を引きつらせている前で、ミースは字を「書き」終えた。


 小野原雲母。


「おのはら、うんもさんでしょうか」ミースが訊くと、小野原さんは「ううん」と首をふるふる横に振った。そのしぐさがまたかわいい。


「『雲母』って書いて『きらら』って読むのー。おのはら・きららでーす。よろしくねー」


 小野原さんはなぜか名前を呼ばれたときのように右手を挙手して笑顔を見せる。ミースも自然に笑みを返した。


「よろしくお願い致します。ところで、小野原さんのことは何とお呼びすればよろしいかしら」


「きらりん? きらりんのことは『きらりん』でいいよー」


「きらりんのこと……? きらりんのことさんとは、どちらの方のことでしょうか」


「? きらりんは、きらりんのことだよ~」


「きらりんのことさんを、きらりんさんとお呼びするのですか? では、小野原さんのことは」


「??? きらりんのことは、きらりんでいいよ?」


「ですから、きらりんのことさんはきらりんさんで――」


「はいはい、そこまで」射原さんが仕方なさそうに口を挟んだ。「きらりんが自分のことをきらりんって言うからややこしくなるんやんか……。ようは、小野原さんを『きらりん』って呼んで、ってことやん」


「小野原さんのことを『きらりん』とお呼びすればいいのですね。ようやく理解しましたわ」


「文法が正確ちゃうと伝わらへんねんな……。これは、きらりんと会話すんの大変かもしれへんね」射原さんが苦笑するのに、小野原さんはむすっとほおをふくらます。


「どういう意味なの、ともちんー。きらりん、これでも演劇部だから文法には気をつかってるのよー」


「うん。そういうことにしとく」


「ともちん、ひどいー。きらりん、そんなこといわれたら放課後ひとりで人知れずほおをぬらすからー」


「ごめんごめん」射原さんは苦笑して、またミースのほうに向き直る。


「さやりんから色々聞いてて、うちも一回しゃべってみたい思うてたんやけどね。教育係がいたからあんま無理に話しかけへん方がええかな思うて……」


 そこで初めて、ちらっと射原さんが俺の方を見る。


 俺はいま、ミースと一緒に友だちづくりのために射原さんと小野原さんのところにやってきていた。


 あれから瓜生に、ミースと藤巻さんが交わした約束「2-Aのクラスメート全員と友だちになれたら、最後に藤巻さんが友だちになる」を教えた。すると瓜生はなぜかやる気になって「そういうことなら、とりあえずともちんときらりんを紹介するよ」と云われてついさっき紹介してもらった、という状況だ。……当の本人は藤巻さんになぜか呼び出しをくらっていまはいないんだが。


 射原さん(ともちん)と小野原さん(きらりん)は、いつも瓜生と一緒にいる女子だ。瓜生自体はクラス中の人たちとわけへだてなく毎日話して回っているんだが、特にこの二人といることが多い。放課後や休日も、さやりん、ともちん、きらりんの三人でよく出かけたりするらしい。


 そんな感じなので、射原さんも小野原さんもミースの友だちにあっさりなってくれた。二人ともやっぱりただ単にミースに話しかけにくかっただけで、別に嫌いとかじゃなかったらしい。……というか、最初の藤巻さんの反応が珍しかったわけで。


 ってか、俺も別にミースの保護者ではないんだが。


「……俺ってそんなにミースの支配的なポジションにみられてたのか」


「まあ、一応先生からの話で壬堂君が教育係ってことになってたし、それに初登校早々に壬堂君とあんなこともしてたしね」


「……あんなこととは、つまり、ミースとなりゆきでキスしてしまったあれのことか」


 そこで、なぜか小野原さんがびっくりする。「ええっ!? 壬堂君って、衿倉さんと、き、キスしたの……? どこで?」


「いや、してたやん。クラス中の目の前で」射原さんがツッコむ。「覚えてへんの?」


「う~ん、そんなことしてた気もする。うん、してた。そういえばしてた!」


 適当すぎるだろ……。


「で、壬堂君とキスしたときって、どんな感じやったん? 胸が熱くなったりとかしたん?」と射原さん。


「初キスだよねー? 初キスって二回目以降よりずっと甘く感じるんだって。本当にそうなのー?」と小野原さん。


「胸部は特に熱くなったりはしませんでしたわ。味としては、甘みよりもミネラル成分の方がより多く感じられましたが、なにしろ時間にして1.12秒ほどのことでしたので、詳細にデータを見返さなければ判断が難しいで――」


「やめろミース」


 俺はミースの肩をぐわしとつかんで云った。


「あら、どうかされましたか壬堂さん。そんなに厳しい顔をなさって」


「それ以上『あのときのこと』にふれるのはやめてくれ。風紀に反するから。教育係として言う」


「風紀に反する……壬堂さんがそうおっしゃるのなら、仕方ありませんわ。この話題はここまでにしておきましょう」


「えー、そうなのー。残念ー」小野原さんが本当に残念そうにため息をつくと、射原さんも「ほな、次は壬堂君のいいひんところでこっそり教えてや。だれにも言わへんから」なんて云ったりする。もう俺は顔から火が出そうな気分なんだが、それをむしろこの二人はおもしろがっているようにみえる。ほんと勘弁してほしい。


「もういいだろ……あれはほんとになりゆきなんだって……なあ、ミース。お前からも言ってやってくれ。あれはそういう意味じゃないんだって」


「そういう意味とは、どういう意味でしょうか?」


 本気で疑問の顔を向けてくるミースに、俺はあきらめた。


「いや、いい。なんでもない……。そ、それより」俺は必死に話題転換しようとした。「俺なんかのことより、ミースのことをもっと話した方がいいんじゃねえか。友だちとして」


「なんやそれ」射原さんが噴く。「まあええけど……。ほなとりあえず、衿倉さんのあだ名でも決めてみいひん?」


「はいはいー。きらりんもさんせー」小野原さんがまた手を挙げる。「なににするー? 衿倉ミースだから『ミーちゃん』とかかなー」


「なんか猫っぽいな。それもええけど、もうちょいほかにないかな」


 すでにミースがあだ名だと思っていたので、俺からはなんともいいがたかった。


「エミーとか。『え』りくら『ミー』スで」


「エ~、エミーちゃん~? うーんー……それじゃあ『なのはちゃん』なんてどうー?」


「どこからなのは……?」


「きらりんの読んでるマンガに出てくるロボットの女の子の名前がなのはちゃんなのー。だからなのはちゃん」


「……それは却下やな」


「えーだめー? じゃあどうしよう……あ、なら『キリノちゃん』なんてどうー? きらりんの読んでるマンガに出てくる戦闘型アンドロイドの女の子の名前が――」


「それも却下」


「ええー!? どうしよう、じゃあぜんぜん浮かばない……」


 ってか、マンガのキャラしか出してないし小野原さん……。


「わたくしは、ミースのままでもかまいませんわ」ミースがそう云うのに、でも射原さんが首を少しかしげる。


「ミースでもええといえばええんやけど、親近感がわかへんし。なんかあったらな、って思ったんやけど。壬堂君、なんかない?」


「っつってもな……瓜生さんにも言ったけど、ミースって名前自体が俺がつけたあだ名だし」


「え、そうなん?」射原さんが訊くのに、ミースが答えた。


「はい。わたくしの正式名称は『MEASE-205Ω メカニカルヒューマノイドN型プリンセスタイプver.2』です」


「ながっ」


「その中の『MEASE』から、壬堂さんがわたくしのあだ名をつけてくださったのです」


「そうなんや……。てっきり衿倉ミースが名前や思うとったんやけど。『MEASE』でミース。なるほどやね。……あれ、ほな『衿倉』はどこからきたん?」


 ――そういえばそうだ。衿倉ってなんだ? 俺もいままで気づかなかった……。


「衿倉とは、わたくしのお母様の苗字ですわ」


 なるほど。ミースを開発した人の苗字か……。射原さん、ありがとう。


「でもま、結局いまはミースが名前みたいになってもうとるからね。あだ名のあだ名になるけど、何かあったほうがええかな思うんやけど」


 うーん、それもそうか……。俺はもうミースで呼びなれてるけど、女子どうしだとその方がいいのか……。


「ちぃーっす……」


 そこへ、俺たち四人の輪の中へ入ってきた女子が一人。だれかと思ってみてみると、藤巻さんのところに行っていた瓜生だ。俺とミースの間に割って入ってきた彼女は、なぜか表情が疲れ切っている。


「……みんな楽しそうな話してるみたいだね。話題はなに」


「さやりんこそどうしたん、そのひどい顔」射原さんが少しだけ意地悪に微笑む。「塔子様に何か言われたん」


「言われたどころじゃないよ。もう滅多撃ちだよ」瓜生はせいせいしたような顔でつぶやく。


「最近一時間目によく遅刻してるとかさ~、宿題よく忘れてるとかさ~、そんなことばっか延々二十分も。参ったよ……。先生以外にあんなに怒られたの、初めてだわ」


「まあ先生にはよく怒られとったからね。代わりに塔子様が怒ってくれた、いうことちゃう? たしかに最近、さやりん遅刻とか多かったし」


「仕方ないじゃん。毎日フェイスブックスとかミクシーズとかしてたら夜遅くなるのよ」


「やからそれがあかんねんて……」射原さんがため息をつく。そこへ小野原さんが手を挙げる。


「はいはーい。きらりんは毎日深夜までツイッターズやってるけど、一時間目にはちゃんと出てるよー」


「きらりん、そういうとこ結構マジメだもんね……」瓜生は苦笑した。「――で、なんの話だっけ?」


「ミースのあだ名を決めようとしてたんだ」俺が発言すると、瓜生はなぜかびくっとした。


「うわっ、光一君、いつのまにいたの?」


「いただろ最初から! しかも瓜生さんから一番近い位置に!」


「あれ、そうだっけ。このメンツに男子が入ってる光景に慣れてなくてさ。いやー、ごめんごめん」


 ……まあ確かに、俺もミースがいなけりゃ、ここにいる可能性は限りなくゼロだと思うけど。


「で、何? あだ名だっけ?」瓜生が云うと、ミースが答えた。


「はい。わたくしのために、みなさんがあだ名を考えてくださっているのです」


「あだ名ね~。ミーたんとかでいいんじゃない?」


 ミーたん……。


 それを聞いて、ミースは少し首をかしげた。


「わたくし、お肉と同じ名前は少し……抵抗がありますわ」


「「「お肉?」」」


 さやりん、ともちん、きらりんが同時に訊き返す。たぶん俺以外の人間には一切伝わらないネタだろう。


「光一君、お肉ってなんのこと?」瓜生が尋ねてくるのに、俺はわざとらしく堂々と答えてみせた。


「ミーたんってのは、ミーテルピンクノイアデスタン、ひらたく云えばタンの一種だ。牛の舌。ミーテルは牛の品種名。ピンクはそのままピンク色の。ノイアデスは牛の産地。『ノイアデス産のミーテル牛のピンク色をしたタン』っていう意味。ミーテル牛はノイアデス特産の牛で、種類の決まった良質の牧草だけで育てられていて、脂と赤身のバランスが絶妙なやわらかい肉がとれる。ピンク色というのは専門の資格を持った人が肉の色や質を判別して、特A級と認められたものだけにつけられる称号。だから、素人が見た目でピンク色って名前をつけたわけじゃないってことは、絶対覚えておいてほしい」


 俺の説明に、瓜生以下三人はだまりこんだ。


「……というわけで、ミーたんというあだ名はやめておいたほうがいいんじゃないかなと思う」


 俺が云うと、瓜生は顔をひきつらせながら答えた。


「光一君の家って、お肉屋さんかなにかだっけ……?」


 そこで次の授業を告げるベルが鳴った。


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