第6話 プリンセス様、瓜生のご友人になられる
そして、放課後。
学校に何も用事のなかった俺は、同じく用事のないミースと一緒に下校した。だけど帰る途中に教室に忘れ物をしたのを思い出して、俺はミースを先に行かせて学校に戻ってきていた。
クツ箱から上履きを出して、下足を入れる。つま先とかかとに茶色のゴムがぬりつけてある丸長い上履きをかかとをつぶして履くと、俺は履き替え場からすぐのところにある教室2-Aに向かっていった。
木製の細い板を幾重にもつないでつくられた、光沢感のある廊下。見た目は木質なわりに踏みごたえが反発するのは、たぶんはりぼての木だからだ。表面に木目のシートをかぶせてあるだけで、そのすぐ下にはコンクリートが塗り広げられ、鉄筋が張り巡らされている。その硬質な感じをごまかすための、うわっ面だけの木。
きれいだし、新しいし、別に文句があるわけじゃない。むしろ他の高校に比べれば、よほど恵まれていると思う。でも違和感があってあまり落ち着かないなと、俺はいつも思っていた。
そうしてふみしめた廊下をわたり、教室へ。
もうだれもいないだろうと思ってがらっと扉を開けたら、中にひとりだけ生徒がいた。それも、見知った同級生。
「やあ、なんだい。こんな時間に。さては私に会いたくなって戻ってきたのかな?」
そう机に腰かけながらいたずらっ気たっぷりの顔を向けてくる彼女は、瓜生沙弥香。茶髪をツインテールにくくった、快活な性格の女子だ。
人あたりがよく、だれに対してもフランクに話す、クラスの中でもわりと中心グループにいる人気者。クラスメート二十人全員と三日に一回くらいは話しかけているように思う。藤巻さんもクラス全体に向けて話したりはするが、ひとりひとりにいつも声をかけるのは彼女だけだ。
そんなだれにでも気がねなく話す性格からか、特に男子から人気で、週2~3回ペースで告白されるという学園伝説まであるほどだ。といっても、瓜生にはどうやら他校の彼氏がいるらしんだが。
そんな瓜生に、俺は二学期に入るまで手下にされていた。
「ちょうどよかったよ、手下A。いつものとおり私の命令、聞いてくれるかな?」
そう云って悪気の無い――いや、ある意味悪気をたっぷり含んだ顔で瓜生がニヤニヤした笑みを向けてくる。
俺はミースがこの高校にくるまでの間、瓜生の手下として彼女のあらゆる要望をこなしてきた。
詳しい説明は省くが、いろいろあって俺はまだ学校に入学する前の「お嬢様服を着て町中を平然と歩く」ミースとの関係が瓜生にばれて、学校中にばらしてほしくなければ、という条件で無理やり瓜生の手下にさせられていた。買い物に行けと云われれば買い物に行き、一発芸をやれといわれれば一発芸をやり……そんなこきつかわれる日々を俺は一学期の間に過ごしていたのだ。
でも、いまは違う。俺は瓜生の言葉を無視して、置き忘れていたノートを自分の机の中から取り出した。
「……あれ、どうしたの。なんかイヤなことでもあったかい」
「別にねえよ」
「なら、ちょっとのどが渇いたから、飲み物を買ってきてほしいんだけど」
当然のように云う瓜生に、俺はノートをカバンにつめながら答えた。
「なんで俺が瓜生さんの命令を聞かなくちゃいけないんだよ」
「え、だって手下じゃん」
「もう手下じゃねえよ。俺とミースの関係はクラス中にバレバレだし。っていうかミース自体もうこの学校に通ってるし」
俺の返事に、瓜生は反抗するでも残念がるでもなく、ただ平然とニコニコした表情を俺に向けてきた。
「まあそうだね。光一君、クラス全員の前で衿倉さんとキスしてたくらいだからね。私にはあんな勇気ないよ。えらいね」
いきなりその話かよ!
詳しい説明は省くが、その……まあ、詳しい説明は省く。
「あれはなりゆきっていうか、ミースが勘違いして突然やってきたから……」
「へえ、光一君はなりゆきでキスする人なんだ。なるほどね~。また他人の知られざる一面を垣間見た気がするよ」
「そんなたいそうなもんじゃねえ! 本当になりゆきなんだって!」俺は必死にとりつくろった。「とにかく、だからもう瓜生さんの手下になる理由は無くなったからな。命令を聞く必要もないってことだろ」
「えー、残念だなぁ。せっかくいい手下ができたと思ったんだけどなぁ」瓜生は眉根を寄せて困ったような顔をする。だがその困った顔にもどこかイタズラっ気が含まれているようにみえる。
「じゃあ友だちでいいからさ。飲み物買ってきてくれない? バド部の部員を待ってるんだけど、この教室暑くってノド渇いちゃってさ」
「結局パシリじゃねえか!」
「頼むよ~。私、この教室離れるわけにはいかないからさ。友だちとしてお願い♪」
軽い調子で両手を合わせ、申し訳なさそうに俺を見る瓜生。憎めないその態度は、彼女の得意なやり方なんだろうなと思う。
「……ほんとに手下としてじゃないんだろうな」
「じゃないじゃない。そんな気持ち一切無くなったから。これからは、光一君と私とは対等な立場だということで。頼みます! お願い!」
俺はため息をつきつつ仕方なくカバンを置くと、教室を出て、いつも命令されていたときによく使っていたのと同じ自販機へ向かった。
瓜生は「ティリンレモン」か「朝の紅茶ストレートティー」のどちらかしか飲まない。でもあいにくそのどちらも売り切れていたので、俺は瓜生の好みを考えながら、別の自販機に百三十円を入れて「桃色の天然水」を選択した。
がちゃん、と下りてきたペットボトルをつかみながら、瓜生のかけてきた言葉を思い返す。友だちとかいいながら、結局俺をパシリ扱いするんだよな。やってることは変わんねーじゃねえか。
そんなことを考えながら、俺はふと気がついた。
そういえば瓜生、俺のことをさらっと「友だち」って呼んでたな。
「おお~、ご苦労ご苦労! ――ってあれ? いつものと違うじゃん」
教室に戻ってきた俺は、瓜生に「桃色の天然水」をみせながら云った。
「ああ。どっちも売り切れてたから、これにしたんだけど」
「やるねぇ。私、桃色の天然水も好きなんだ。さすが元・下僕!」
「ポジション下がってねえか……?」
「いやはや、友だちにしておくにはもったいないねえ。ぜひもう一度私の手下になっていただきたいものだよ」
「二度となるか!」
「あれ、残念。手下になれば、またチュウチュウランドのチケットあげるかもしれないよ?」
二学期初めの登校日に、俺は瓜生からなぜか「一学期手下として働いたごほうび」として、日本最大のレジャーランド「東京チュウチュウランド」の一日フリーパスチケットをもらった。どうやら夏休みに他校の彼氏と行くつもりだったのが、結局行く機会が無くて使えなかった券らしい。
「ってか光一君、いとこにチケットあげるとか言ってたけど、もうあげたの?」
「いや、それが……あげるチャンスが無くて、まだうちにあるんだけど」
「ふ~ん、そうなんだ。もったいない」瓜生は俺から桃色の天然水を受け取りながら云った。「では沙弥香様が、そのフリーパスチケットの有効な使用方法を提案してあげようか?」
「どうせ『チュウチュウランドで沙弥香様の手下として一日こきつかわれるのだ!』とか言うつもりだろ」
「う~ん、惜しいね。正解は『チュウチュウランドで沙弥香様の手足となり一日馬車馬のように働き続けるのだ!』です」
「同じだろ! 結局俺の立場は下僕じゃねえか!」
「いやー悪い悪い。どうしても手下意識が抜けなくてね。もう友だちだったんだね。忘れてたよ」
「自分で言っておいて忘れるな!」
「壬堂さん――」
……と。
俺と瓜生以外の声が、教室に響く。
俺は後ろを振り返った。そこには――
教室の入り口でたたずむ、金髪白肌の女子生徒の姿。
「壬堂さん、ずるいです――」
うつむき加減の顔でつぶやく彼女は、やっぱりミースだった。
彼女は少しだけにらむような視線で俺の方を見つめてくる。発する声が若干ふるえているように聞こえたのは、気のせいじゃないらしい。ミースにしては珍しく、怒りの感情が前面に出ているように、俺は感じた。
「ミース……先に帰ったんじゃなかったのか?」
「はい。最初はそのつもりでした。ですが壬堂さんの挙動が怪しかったので、わたくし後をつけてみたんです」
全く気づかなかった……ってか、俺がいつ怪しい挙動をしたんだ?
「そうしたら、やっぱり壬堂さんは教室でひそかに、私の見ていないところで瓜生さんと――」
「お、おい、ミース。何か誤解してないか? 俺は本当に忘れ物を取りに来ただけで、瓜生さんはたまたま教室にいただけだし――」
「私にだまって、一人で瓜生さんとご友人になるなんて――ずるいです!!」
……ん?
「ミース、ご友人って――」
「わたくし、藤巻さんとご友人になるために、クラス全員の方とご友人になるというミッションを実行中なのです。壬堂さんはそんなわたくしの困難なミッションにこれまで尽力下さいました。だからわたくしも、壬堂さんには全幅の信頼をおいておりました。なのに……わたくしに黙って、自分だけお友だちを増やそうとなさるなんて、ひどすぎます!!」
「ま、待て、ミース! 俺は瓜生さんと友だちになるために教室に戻ってきたわけじゃないから!」
「うそです! 壬堂さんはわたくしの存在が邪魔だったから、わたくしをのけ者にして瓜生さんと秘密裏に友だちになる作戦をくわだてたのです!!」
「違うって! ってかなんで秘密裏に友だちつくんなきゃなんねえんだよ! 瓜生さんと友だちどうこうっていうのはなりゆきで――」
俺とミースのやりとりに、瓜生はただあっけにとられたような表情を浮かべている。そりゃ、いきなり教室に入ってきてこんなこと云われたら、わけわからんよな……。藤巻さんがミースと交わした約束のことなんて、瓜生知らないだろうし。
……と思いながらも。
「瓜生さんからもなんとか言ってやってくれよ。俺は別にミースに隠れてこそこそ瓜生さんと会ってたわけじゃないんだって……」
瓜生に無茶な助け舟を求めてしまう。ごめん、瓜生……。
でも当の瓜生は、ぽかんな顔のまま、でもミースに向かってはっきり云った。
「う~ん……よくわからないけど、でも私は衿倉さんのこと、前から友だちだと思ってたよ?」
ミースに自然な笑顔を向ける瓜生。
意外な彼女の言葉に――
ミースの表情が、一変する。
「前から……友だち?」
「うん、そう」つぶやくミースに、瓜生は笑顔でうなずく。「何回か話したから、それで私の中では友だちのつもりだったんだけど」
なにげない口調で当然のように云う瓜生に、ミースは一瞬たじろいだようだった。そして、俺のほうに戸惑った視線を向ける。
「壬堂さん。こんなに簡単に『友人』ができてしまっていいものなのでしょうか――?」
「え……? あ、ああ……」
俺に訊かないでくれ……。
でも瓜生的にはそうなんだから、そうなんだろう。彼女は俺より1000倍くらい友だちづくりがうまいから、たぶん。
「瓜生さんがそう思ってるんだから、素直に受け取るだけでいいんじゃねえの」
「そうですか……。瓜生さん、ありがとうございます」
どこか拍子抜けしたままの表情で瓜生に頭を下げるミース。そんな彼女を見て、瓜生は苦笑した。
「いいよいいよ、頭なんか下げなくたって。友だちかどうかなんて、どうでもいいからさ。楽しく話せれば、それでいいじゃん」
「瓜生さん……」
頭を上げたミースは、裏のない彼女の言葉になぜかこみあげるものがあったようで。
「わたくし……瓜生さんのような心の尊大な人間に出会えて、感激の極みです!」
そう云うが速いか、ミースは瓜生に思い切り抱きついた。それに少し驚きつつも、自然に受け止める瓜生。
「瓜生さん……どうか末永く、お付き合いをお願い致します……!」
「うんうん、こちらこそよろしくね。あと、私のことはさやりんでいいよ」
「さやりんさん、よろしくお願いします……!」
ミースが瓜生と抱き合っている。瓜生は「よしよし」という感じでミースの背中を優しくたたく。
――こういう光景って、女子だから許されるんだろうなぁ。
そんなことを思いながら、俺はミースが自然と離れるまで、ただぼーっと二人の横でたたずんでいた。
「そしたら、衿倉さんはなんて呼べばいいかな。あだ名とかあるの?」
瓜生がミースの両肩に両手を置きながら訊く。ミースはまた新しくできた友だちに、安心しきった表情で答えた。
「『ミース』がすでに壬堂さんからつけていただいたあだ名ですわ。わたくしの正式な名前は、『MEASE-205Ω メカニカルヒューマノイドN型プリンセスタイプver.2』です。その中の『MEASE』から、壬堂さんにミースという名前を頂きました」
「へえ、そうだったの? 意外だね~。光一君がそんな気のきく男だったなんて」
「どういう意味だよ」俺は云った。「ってか別に気をきかせてつけたわけじゃねえし。なりゆきで俺が名前をつけただけだって」
「なにかとなりゆきが多い男だねぇ。『ミースは俺の女だから、俺が名前をつけるのは当然だ』くらい男らしいこと、言えばいいのに」
「いつから俺が独占欲の塊みたいになってんだよ! ミースはそんなんじゃねえから、別にいいんだよ」
「ふ~ん。まあいいや。またあだ名決めておいてよ。呼びづらいからさ」
「だから、なんで俺が瓜生さんの命令を聞かなきゃ――」
「んー、命令じゃないんだけどな~。光一君も手下癖が抜けないね~。あと、私のことはさやりんだからね。そこんとこヨロシク!」
「さやりん……」
俺は口にして、思わず恥ずかしくなった。「おはよう。今日もいい天気だな、さやりん」とでも云えってか。そんな自分を想像して噴いた。
そのとき、俺の後ろでまた教室の扉が開く。
「さやり~ん、ごめ~ん。遅くなっちゃった」と云いながら入ってきたその子は、どうやら瓜生が待っていたバド部の部員らしかった。
二言三言その部員と言葉を交わしてから、瓜生は俺たちの方を振り返った。
「それじゃ私、部活があるから。また明日ね~」明るい笑顔で手をふる瓜生に、ミースは全力で右手をふり返した。
「はい。また明日からよろしくお願いします!」
「こちらこそ。じゃあね~♪」
「ちょっと待った!」
そうして教室からしれっと出ようとする瓜生を、俺が止めた。
「なんだい、光一君。私、もう忙しいんだけどなぁ……」
「瓜生さん、お金」俺は云った。「さっきのそれ。まだもらってないって」
俺が指差した先に、瓜生が人差し指と中指でネックの部分をはさんだ「桃色の天然水」のペットボトルがあった。
「あれ? そうだっけ?」瓜生がすっとぼける。「さっき払わなかったっけ?」
「一円ももらってねえよ。百三十円」俺が催促するように開いた右手を前に出す。でも瓜生はこめかみを指でかくしぐさをして申し訳なさそうな顔をする。
「あー……ごめん、光一君。私、いま財布もってないからさ。ツケ。ツケにしといてよ」
「え……ツケ?」
「そう、ツケ。あと、私はさやりんだからね。んじゃ、そういうことで~」
すばやく瓜生が部員とともに去る。ピシャッと扉を閉められ、俺はその場に立ち尽くすしかなかった。
……百三十円……。
手下でも友だちでも、結局俺の扱いは変わらないらしい。――いや、さやりんはそういう人間だ。前から分かっていたさ。そうそう。そうさ。はは……。
「壬堂さん」心が白くなっていた俺の耳に、ミースの声が入ってきた。俺は何も考えられずにただ口だけを動かして反応した。
「なんだ、ミース……」
「ツケ、とはなんでしょうか? 」
純粋に尋ねるミースに、俺は神妙な顔で云った。
「ツケってのは『都合のいい男だから、そのくらいのお金あとでまとめて払ってもいいよね? いいとも!』っていう意味だ」
俺の答えに、ミースは驚いて目を見開いた。
「す……すごいです。たった二文字の言葉に、そんな長く深い意味があるなんて……。日本語とは、やはり世界で最も神秘に満ちあふれた、趣深い言葉ですわ!」
だな。