第5話 プリンセス様、環田のご友人になられる
「リストアップしましたわ」
六時間目の授業が終わったあと、ミースが俺の席に一枚のプリントをもってきた。何が書いてあるのかと思ったら、このクラス全員の名簿だった。
A4サイズのその紙には、パソコンで打ったとしか思えない正確なゴシック体で左端に同級生の氏名がずらっと縦に並んでいる。このクラスは全部で二十名。なので、二十行の名前が整然と書かれていた。俺の「ミドウ」は表の下のほう、ミースの苗字「エリクラ」は上の方にある。どうやら五十音順に並んでいるようだ。
表の項目は右にずっと続いている。一番左が氏名で、その右が性別。その右が年齢。そして身長、体重、スリーサイズが――
「……あ、あの、ミース?」
「はい、なんでしょう」
「これ……体重とか、スリーサイズが書いてあるんだけど」
「わたくしの視覚情報と赤外線情報、その他を総合して得た分析値を表示しています」
「そんなのも分かるのか?」
「はい。みなさんの身体変化は、わたくし毎日手に取るように把握しています」
……ってかこれ、すごい個人情報じゃね?
俺は思わずミースの項目に目をやった。体重はアンドロイドだから圧倒的に重いんだが、スリーサイズは……えっ? ミースって、こんなに胸あったの
「ぶはああああぁぁっっ!?」
その瞬間、俺の右顔面にミースの鉄拳が飛んできた。
席から思い切りふっとばされ床に転がる俺。ミースは右拳を立てつつ、とびきりの笑顔を向けてきた。
「壬堂さん、淑女のスリーサイズをご覧になるのは紳士的ではありませんわ」
お前が見せてきたんじゃねえか……。
鼻血をとめつつなんとか立ち上がった俺は、机の上に残ったその名簿をながめながらミースに訊いた。
「……で、それをどうするんだ」
「わたくしこの名簿に、友人になれた方をチェックしていきたいと考えております」ミースは云った。
「ただ、友人づくりにあたり様々な評価法を先ほどの授業中に考えてみたのですけれど、これといったものができあがらなかったのです。このままでは優先順位がつけられません。そこで壬堂さんに、アドバイスを頂きたいと思ったのです」
授業中に何してんだよ……まあ、俺も黒板とか無視して参考書に落書きとかしてるから、人のこと云えねえけど。
「評価法とか、優先順位とかは知らねえけど、とりあえず環田あたりから話しかけてみるか」
「環田さん、ですか」ミースはプリントを確かめる。「性別:男。身長:189cm。体重:89kg、スリーサイズ バスト108cm、ウエスト90cm、ヒップ97cm。友だち優先順位:17位。少々ハードルが高いのではないでしょうか」
ミースは何基準でハードルの高さを決めてるんだ。
「まあ身長とかはともかく、あいつも女子と友だちになりたがってたから、ミースが話しかければ多分だいじょうぶだ」
「そうなのですか……? では、壬堂さん基準を信じます」
ということで、とりあえず環田のところにいってみることにした。
環田徹次。スリーサイズが明らかにされたんで分かると思うが、かなり大柄な男。中学のときは柔道部で、わりと真剣に体をきたえていた時期があったらしい。だが高校に入ってからは俺と同じ帰宅部で、体格はそのままに筋力は衰える一方。スリーサイズほどの圧力感はいまのやつには無い。
しかしそんなことよりも、環田を色濃く特徴づけていることがある。それは、やつが自他ともに認めるマンガ中毒者であるということだ。
毎週読んでいるマンガ雑誌は少年ダンプ、少年マガジーヌ、少年サムデイをはじめ、ヤングダンプ、ヤングアフタヌーン、少年グランプリ、ガンガンガンヤング、少年サバイバル、エリスネクスト、コンプエリス、コミックブレイダー、はては少女マンガのアカリボン、ハロー!、ユージン、ユメミラン、DXユメミラン、しょこら、プリプリ、Kisses等々。とにかく書店の棚にあるマンガ雑誌はすみからすみまで読み尽くしている。環田ほど図体のデカい男が女児向けの「ハロー!」を読む姿は相当人目を引くと思うんだが、本人はもはやなれてしまったためかなんとも感じていないらしい。
そんな男だが、とりあえず俺と同じ帰宅部ということで、学校でもちょくちょく声をかけあったりはしている。ようは、ぼっちな俺が話しかけられる、数少ないクラスメートというわけ。
俺とミースが環田の席にむかうと、案の定、やつは教科書類を早々にカバンにつめこみ、学校から出ようとしていたところだった。
「環田さん、少しよろしいかしら」
話しかけたのはミースだった。環田は振り返ると、ミースと俺を交互に見やる。そして、仕方なさそうにカバンを持ち上げた。
「……壬堂。どうせワシをバカにしにきたのだろう」
なぜか俺に向かって云う環田。
「いきなりなんだよ。バカになんかしてねえって――」
「ウソをつけ! 女子と一緒なところを見せつけて、たった一人で家路につくワシのことをあざ笑いに来たのだろう! 壬堂はワシのことを裏切ったのだ! ワシは同じ帰宅部として、壬堂とともに女っ気の無いストイックな高校生活を過ごすものだと思っていたのに……そんな北欧風の金髪美女とつき合い始めてリア充になってから、壬堂は完全に変わってしまった!!」
大柄な環田が涙を流しながら叫ぶ。俺はそれに悲しい気持ちで右手を振った。
「いや、環田。俺、実はどうやらミースとは友だちにもなれていないみたいで――」
「世の中は無情じゃ! 天はこの世に環田を生まれさせておきながら、なにゆえ壬堂まで生まれさせたのじゃー!!」
俺の言葉には全く耳を貸す様子もなく、環田はまたどこかで聞いたようなセリフをはいた。そして教室から全速力で逃げ出そうとする。
そんなやつに対して――
「環田さん」
ミースは一瞬で環田に近寄ると、その肩を右手で「ぐわし」とつかまえた。
「折り入ってお話があるのです。少しお時間を頂いてよろしいかしら」
丁寧な言葉づかいとは裏腹に力任せに引き戻そうとするミース。そんな彼女に環田はなぜか全身をびくっとさせると、反抗もせずにすぐ振り返った。
そんなやつの目は、なぜか完全に泳いでいる。
察するに、たぶんやつの日常生活で女子に体を触れられることがほとんど無いからだろう。緊張しているのを隠そうと強がっているみたいだが、バレバレだ。
環田は目線をあさっての方に向けながら、ふるえた声で云った。
「なっ……なんだね。ワシは、お、おまえなんぞに興味など……な、ないんだからな……」
ツンデレのつもりか。
「おちつけ環田。ミースはお前と友だちになりたいって話をしにきただけだ」
「と、とと、とととととともだち……?」
いまだミースの白い手が肩に置かれたままの環田は、顔を真っ赤にしてもはや沸とう寸前だ。
「と、とっ、ともだちというのは、つまり、その、あれ、と、ともだち……わ、ワシとあ、とととととともだちに――」
「環田さん、どうかされましたか……?」ミースが尋ねるのにも、環田は混乱したまま、
「ワシとともだちに……じょ、女子がワシとと、とともだちに」
「環田さん……?」
「女子が、ワシととととととととともだち、ともだちに、そ、それはその、ワシもどうしたのか……と、ともだちなんて……???」
「――――壬堂さん」
ミースが珍しく戸惑って俺の方を振り返る。そりゃ戸惑うよな。
ミースの不安をうち消すため、俺は仕方なく環田にカンフル剤を打つことにした。
「――環田。今週、ついにヤングアフタヌーン誌で『聖なる町のプリンセス』が連載再開するんだったな」
そうつぶやくと、環田は――
「お、おおおおおおおおおおおお!!」
突然叫びだし、いままで真っ赤だった顔色を変えて何かから目覚めたようにまくしたてた。
「そうだぞ壬堂。ようやくワシの待ち望んでいた、いずれ伝説になるであろうマンガ『聖なる町のプリンセス』が復活するのだ! あのようなリアルかつ感動的な作品は、もう今世紀中には読むことはできないであろう! 過去五十年分のマンガを読みあさったワシだからこそ言えるのだ! 洗練されたストーリー、計算しつくされた展開、ときに繊細ときに大胆なタッチの絵柄。どれをとっても一級品、いや、もはや新しいカテゴリー『ゼロ級品』と言っても過言ではないだろう!! さあ壬堂。いまからでも遅くはない。すぐにこれから書店に行って、『聖なる町のプリンセス』1~23巻を大人買いするのだ! いますぐにだ! さあいくぞ――はっ!?」
――と、環田は我に返った。
「わ、ワシは、いままでなにをしていたのだ……?」
「よかったよ、環田。こっちの世界に戻ってきてくれて」俺は感慨深げに云った。「一瞬、このまま無理やり書店に行かされるのかと思ったけど……とにかくよかった」
「壬堂、ワシは一体――ぬ!?」
そうしてミースの存在にやっと気づく環田。そのタイミングを見計らって、ミースは口を開いた。
「環田さん。お願いがあります。どうかわたくしとお近づきに――友人になっていただきたいのです」
ミースの言葉に、環田は不意を打たれたように表情をこわばらせた。
「わ、わしと……友だちに……?」
「はい。わたくし、環田さんとご友人になって、環田さんのお話をお聞きして、もっと自己の見識を広げたいのです。どうかお願い致します」
「け、けんしき……?」
また環田が戸惑い始めている。ミースは言葉がいちいち固いんだよな……。
俺はミースの気持ちを代弁した。「ようするに、ミースはお前と友だちとして話したいって。だからお前も気兼ねなく話しかけてきてくれって。そういうことだよ」
「わ、ワシが……ミースさんと友だち……」
一応、ミースには「さん」をつけるのな。そう思っていると、環田は大きな体に似合わず、小さな声でつぶやくように云った。
「……わ、ワシでよければ……と、友だちになってやってもいい、ぞ」
そして上から目線かよ……。でもミースはそんなこと気にせず、ぱっと表情を明るくした。
「本当ですか? わたくし、うれしいです。環田さん、これからも末永いおつき合いをよろしくお願いします!」
ミースがぺこっと頭を下げる。なんだか仕事上のつき合いみたいだが、環田はミースの言葉をそのまま受け取ったようで、
「す、末永い……!? と、ということは、ワシはミースさんと今後ずっと友だちで……」
……ああ、なんだかめんどくさくなってきた。
とにかく、環田はミースの友だちになることを了承してくれた。思えばこれがミースにとっての初友だちだ。のぼせ上がっている環田をよそに、俺はミースに言葉をかけた。
「よかったな、ミース。このクラスで初めて友だちができたんだぞ」
「はい。これも壬堂さんが仲立ちして下さったおかげです。ありがとうございました」
「仲立ちって感じでもねえけど、まあ、とにかくよかったよ」
「ええ。それでは早速――」そう云うと、ミースはなにを思ってかいきなり左腕の袖を肩までまくりあげた。彼女の白くてつややかな肌があらわになる。
そして、ミースはどこからか黒のマジックを取り出すと、自分の真っ白な細い左肩に小さく「×」の字を書いた。
「……なにやってんだ?」
「はい。ご友人が一人できましたので、記念に撃墜マークをしたためました」
「なんで友だちをつくることが敵機撃墜になるんだ……」
「あら、違うのですか? 落とした相手の数を自分の腕に記すのは周囲の人間への自信と誇りの表明であると、最近読んだ戦闘機パイロットの方の本に書かれていたものですから」
……なんか色々勘違いしていてどこから訂正すればいいのか分からない。
俺はあきらめて、ひとことだけミースに進言した。
「ミース。友だちとして言うけど……それ、完全に間違ってるから」
「あら、そうですの?」ミースはやっぱり意外そうな顔をする。「書物に書かれていること全てが正解とは限らないのですね。さすが壬堂さんです。勉強になりました。このことは早速反省記録として残し、次の友人づくりに活かしたいと思います」
もうじゃんじゃん活かして。そして早く常識を身につけてくれ。
「ちなみに壬堂さんはいま『友だちとして』とおっしゃいましたが、わたくしは壬堂さんのことをやはり友人だとは思っておりませんので、あしからず」
それは云わないで。悲しくなるから。
「もういいよ……俺のほうで勝手に思っておくから……」
「そうしておいて頂けると、助かりますわ」
助かられてもなぁ……。