最終話 壬堂光一、プリンセス様のパートナーになる
ブロンドの髪を揺らしながら、神出鬼没の衿倉ミース様が教室に入ってきた。
「ってかミース、もう帰ったんじゃなかったのか……?」
「ええ。そのつもりでした。ですが、壬堂さんの挙動が何となく怪しかったもので、わたくし途中できびすを返して学校に戻ってきたのですわ」
だから、俺の挙動がいつ怪しかったんだ……。
とつぜん現れたミースに、藤巻さんも驚いていた。
「え、衿倉さん。あなた、鍵は? 入り口は内側からロックしてあったはずよ」
「はい。ですが調べたところ、耐久性は高くないと分析できましたので、多少力を込めてそのまま開けました」
ようするに無理やりだな。
「……鍵は粉々ってことね」藤巻さんが痛そうに眉間をおさえる。藤巻さん名義でこの教室借りてるもんな……あとで先生にしかられるんだろうな。
「そんなことより」ミースは俺の方をにらんだ。
「瓜生さんのときと同じパターンですわ。やはり壬堂さんは、わたくしを先に家に帰らせる日には、学校でクラスメートと秘め事にいそしんでおられるのですね」
「ち、ちがうって! なんだよ秘め事って!!」
「壬堂君。いまの衿倉さんのセリフ、聞き捨てならないわ。瓜生さんと学校で何をしていたの?」藤巻さんまで責めるような目つきで俺を見る。
「誤解だ! 俺は何にもしてねえ! ってかただつかいっ走りやらされただけで、俺はむしろ被害者だ!! ミースも知ってるだろ?」
「はい。ですが、わたくしが到着するまでは何をされていたのか存じません。きっと、わたくしにばれてはいけないことをなさっていたのかと」
「壬堂君……まさか、瓜生さんと?」藤巻さんの目が本気になる。
「だから、ほんとに何もしてねえって……。えん罪だ。無実だ。この世に神はいないのか。もしいるなら、おとしめられている俺の現状を救ってください」
「何を訳の分からないことを。ま、その件については別の機会にじっくり聞かせてもらうとして」
藤巻さんがミースをふり返る。
「さっき、壬堂君からあるお願いを受けたの。今日壬堂君と放課後残っていたのは、その話よ」
「お願い……ですか」
ゲーセンの話は出さずに、自然な形でミースに切り出す藤巻さん。ミースは藤巻さんに対して絶対的な信頼をおいているので、疑いもせず彼女の話を受け入れようとする。俺とは大違いだ。なんでだろう。涙。
「お願いとは、どんな内容でしょうか」
「私に、あなたの友だちになってほしいっていうお願いよ」
「えっ――」
ミースが紫色の瞳を大きく見開く。
「わたくしの、友だちに……?」
思ってもみない言葉だったのか、ミースの表情が一瞬固まる。藤巻さんはさらに告げた。
「壬堂君がどうしても、衿倉さんの友だちになってほしいっていうの。私の前で土下座までして。そこまでお願いされると私としても受け入れざるを得ないから、しかたないけどあなたの友だちになってあげるわ」
(藤巻さん!)
俺はミースに聞こえないよう、小声で藤巻さんに云った。
(なんだよ土下座って!? 俺、そこまで卑屈になってなかっただろ!)
(仕方ないじゃない。あれだけ友だちをつくらないって言ってた私が急に態度を変えたら、怪しまれるに決まってるわ。衿倉さんを納得させるには、それなりの理由が必要よ)
(それはそうかもしれないけどな……)
(ここは私に任せなさい。あなたは私の話に適当に合わせて)
藤巻さんは再びミースに向き直った。
「だから、これからは私とあなたは友人どうしよ。そうよね、壬堂君」
「あ、ああ。よかったな、ミース。藤巻さんが友だちになってくれて」
だいぶ顔が引きつったままだが……まあ、藤巻さんが云う分にはばれないだろう。前々から藤巻さんと友だちになりたがっていたミースのことだ。藤巻さんの言葉を聞いて、さぞうれしさに胸がこみあげて――
だが、ミースの表情は俺の想像していたものと違っていた。
ややうつむき加減になったミースは、何かを考えているように、どう云おうか迷っているように、視線を手前に落としていた。さほどうれしいという雰囲気でもなく、感動で心を砕いているようでもない。どちらかといえば、藤巻さんの言葉に困っているようにみえる。
「――ミース?」
いったいどうしたんだ。しばらく返事のない彼女に、俺は声をかけた。
すると、ミースは俺の言葉に反応するようにぱっと顔をあげた。そして藤巻さんにむかって、彼女はきっぱりと伝えた。
「おことわりします」
――えっ?
ミースの言葉の意味が一瞬つかめず、俺はきょとんとした。そのまま藤巻さんの方へ首をめぐらせると、彼女も同じような表情をしていた。
「おことわりしますって――衿倉さん、あんなに私と友だちになりたがってたでしょう?」
「ええ。ですが、いまはおことわりします。申し訳ありません」
そう云って両手を前でそろえ、ぺこっと頭を下げるミース。先日と全く正反対の彼女の態度に、俺と藤巻さんの中で疑問がうず巻く。
「なんでだよ、ミース」俺は思わず訊いた。「藤巻さんと友だちになって、人前での話し方とか、考え方とか、聞きたいことが山ほどあるって言ってただろ?」
「はい。それでも、わたくしは藤巻さんの『友人になりたい』という要請を、おことわりいたします」
彼女はいつもみせるような白く清楚な微笑みではなく、端正な顔を真剣に引きしめ、俺たちに告げた。
「たしかにわたくしは、藤巻さんとご友人になりたいと以前申し上げました。その気持ちはいまでも変わりません。ですがいまは、藤巻さんがわたくしにお与えになったミッションを優先させたいのです」
「ミッションって……『2-Aのクラスメート全員と友だちになれたら、最後に藤巻さんが友だちになる』っていうあれのことか?」
「はい」
「でも藤巻さんがいますぐ友だちになってくれるんだから、もうそのミッションは無効だろ?」
俺の言葉に、ミースは神妙な顔つきをした。
「はい。わたくし、そのミッションを一刻も早く達成して藤巻さんのご友人になろうと、いままで努力してまいりました。ですがその中で、わたくしは気づいたのです。このミッションを遂行する過程で、他のクラスメートとご友人になれるということの喜びに」
ミースは両手を胸に当て、俺たちに光る瞳を向けた。
「藤巻さんのミッションを達成したいという一心で、わたくしはクラスメートとの友人づくりを全力で進めて参りました。ですがそれは、この困難なミッションが無ければ成立し得ないものでした。もしわたくしがこのミッションを受けていなければ、わたくしの友人づくりはいまほど順調なものにはなっていなかったでしょう。藤巻さんに与えられた『クラスメート全員と友人になる』という目標が、わたくしにとっては友人づくりの推進力であり、原動力であるということに、恥ずかしながら最近になって気づかされたのです」
ミースはうれしそうに表情をゆるめた。
「さやりんさんや、ともちんさん、きらりんさんとご友人になれたことや、田中さん、木打さんと部活動を通じてお知り合いになれたのも、藤巻さんとご友人になりたいと思えばこそのもの。そう思っておりました。ですがそれはあくまできっかけであって、わたくし自身はそうして話し合えるようになった方が増えるたび、いつしかこれまでに感じたことのない無上の喜びを感じるようになっていたのです。
友人をつくるということは、自分の趣味趣向に合う対象を自分のそばに引き入れる、または自分がその対象へ近づいていく行為であると、わたくし解釈しておりました。もちろん、それもひとつの方法ではあるかと思います。ですがわたくしがいま感じているのは、人それぞれで『友人』の基準が大きく異なっていること、そして友人をつくるという行為は、自分がどう思うのかではなく、『相手が自分をどう感じてくれているのか』が重要な要素であることを、わたくし学びました」
ミースのはっきりした答えに――
俺は、胸を深くえぐりとられたような気分になった。
「ミース、お前――」
「ですから、わたくしはご友人から好まれるよう、『友だちでいたい』と思っていただけるよう、これまで以上に自分に磨きをかけなければと思うのです。わたくしはアンドロイドです。まだまだ人間社会について学ばなければいけない知識や蓄積すべき情報が数多くあります。でもまず、わたくしは人から好かれるような、一個人としての魅力を作り上げることに専念するべきであると、これまでのミッションを通じて総合的に分析したのです」
ですから、とミースは言葉を継いだ。
「藤巻さんがわたくしのご友人になるという要請は、おことわりします」
セリフとは裏腹に、ミースはようやく白い薔薇のような晴れやかな笑顔をみせた。
ミース――。
俺の知らないところで、ミースは友だちづくりについて真剣に考えていた。ミースはただ藤巻さんと友だちになるために、最短となるルートを探っているだけだと俺は思っていた。
浅はかだ。藤巻さんの云うとおりだ。俺はミースの考えていること、感じていたことを、なにひとつ分かっていなかった。いつも一緒に行動していたはずなのに。
藤巻さんと友だちになるために他のクラスメートと友だちの輪を広げていく中で、ミースはいつしかそれ自体に喜びを感じるようになっていた。いつも人間として必要な情報は何なのかアンテナを張っていたミース。たぶん、ミースは藤巻さんと知り合い、お近づきになることが、その最短ルートだと思っていたんだろう。
でもその途中で、ミースは他のクラスメートと触れ合う中で得られることに、目に見えない価値を見出した。瓜生沙弥香の明るさ、射原小知火のクールさ、小野原雲母の演劇への情熱、田中雄弾のミリタリーヲタクさ、木打嶺のオカルトホラーマニアさ。あと、環田徹次のマンガ好きも。それらは全て、ミースがこれまで知りえなかった種類の情報、つまり人間の本質、性だっただろう。
本を読むだけじゃ手に入らない。インターネットにアクセスするだけじゃ実感できない。相手の声をきいて、表情をみて、自分の言葉にどう反応するか。相手の言葉に自分はどう感じるか。それは高校生活で手に入る、とても貴重な情報なんだと、ミースは分析したんだと思う。
そんなことに、俺はいまさら気づかされた。
俺はただミースの後ろにくっついていって、知ったようにクラスメートを紹介して、授業の説明をして、部活動に参加するだけ。
俺自身は、その中でなにを学んでいただろう。
ミースみたいに必死にあれこれ考えて、自分を磨こうなんて、ほんのわずかでも思っていたか。
ミースについていけば、自然と友だちが増える。ただそれくらいにしか思っていなかった。
友だちの作り方なんて人それぞれだ。俺自身はそんなに根つめて友だちを増やしたいなんて思ってないし、最終的にいなくてもいいと思っていた。友だちなんてできるときにはできるし、焦って無理くりつくらなくていいだろ。そう考えていた。
でもそれは、単に自分のつくった「自分らしさ」という部屋から出ようとしなかっただけじゃないのか。
本当は外に出れば、無限に魅力のある世界が広がっているのかもしれない。でも俺は自分の部屋に閉じこもったまま。そのことを知らずにすませていた。むしろ知らずにいることが「自分らしさ」だと思っていた。
でも――
そんな部屋に殴りこんできたのが、衿倉ミースだ。
彼女は俺の部屋の窓をマシンガンで粉々にし、壁をロケットパンチで破壊し、天井を「スカーレットキャノン」で撃ち抜いた。
丸裸の俺の部屋。開かれた世界。でも俺は「まだそこに透明の壁がある」と思って、その場から動かずにいた。ミースに誘われて、仕方なく一歩二歩外へ出るだけのことしかしなかった。
もしかしたら――
俺は、自分が高校生活を楽しむ機会を、自分で逸しているのかもしれない。
俺がいままでつくっていた壁を、ミースが次々に取り払ってくれる。ミースがいなければ、たぶん射原さんや小野原さん、演劇部のみんなと話すことも、三年間のうちでほぼなかっただろう。
ミースの行動力には際限がない。たぶん近いうち、クラスメート全員と友だちになると思う。
なら、俺は――
俺は、どうなっているだろう。
ミースの行動力に対し、俺は――
「壬堂さん」
考えに沈む俺に、ミースが尋ねた。
「わたくしの答え、受け入れてくださいますでしょうか?」
ミースは上目づかいで、俺の顔を見上げる。願うように。そして、なにかを望むように。
藤巻さんと友だちになるために、他のクラスメート全員と友だちにならなければならない。このいまの状況を、維持したい。それが、自分の成長につながる一番の近道だから。
ミースが、そう判断したんだ。
それに対して、ミースに俺が云えることは、ひとつだけ。
「ああ。ミースがそういうなら、俺はなにも文句は――」
「困るわ」
そのとき――
藤巻さんが、息巻くようにミースへ横槍を入れた。
「あなたが友だちになってくれないと、私が困るの。衿倉さんの気持ちは分かったし、言いたいことも理解したけど……でも、やっぱりいま私の友だちになってくれないとだめよ」
「おことわりします」藤巻さんへ視線を移し、ミースはきっぱり答えた。それへ、藤巻さんはいつになくこわばった表情で、
「形だけでもいいから。私の友だちになって」
「いやですわ。友人とした時点でこのミッションは終了です」
「友だちになるだけよ? 私のミッションはそのまま続けてもかまわないから」
「いやですわ。強制力が無くなりますもの」
「なんでもいいから。友だちになりなさい!」
「いやですわ。なんでもよくありませんもの」
「なってくれないと、私が困るの!」
「それでもいやですわ」
「なんでなってくれないの! あなたがうなずくだけでいいのよ? それだけで、壬堂君との約束が――」
そこではっと、藤巻さんが口にフタをした。ミースがそれへ問いかける。
「藤巻さん。壬堂さんとの約束、とは?」
「……な、なんでもないわ。とにかく、あなたは私の友だちになりなさい!」
「おことわりします」
「友だちになるの!」
「おことわりします」
「友だちになるっていいなさい!」
「おことわりします」
ひたすら云い合いになる二人。藤巻さんは顔を高潮させて必死だが、ミースはひたすら笑顔で答えるだけ。友だちになろうとしている藤巻さんを、ミースが無下に断り続けている。
これ、この間と立場が全く逆だよな……。
思わず噴いた俺の視線の先で、藤巻さんが反応する。
「なに笑ってるのよ。壬堂君のせいでこうなっているんだから、なんとかしなさい!」
「でもミースが友だちになりたくないって言ってるんだから、仕方ないだろ」
「わ、私はあなたが『ミースの友だちになってくれ』って言ったから、ここまでしてるんじゃない! そんなに無関心なら、私もう衿倉さんと友だちになるのをやめるから」
「そうか。じゃああの約束は無かったことに――」
「――! え、衿倉さん。形だけの友だちでいいのよ。本当の友だちは、衿倉さんがクラスメート全員と友だちになってからおいおいということで」
「それではご友人登録の意味がありませんし、外見と内実が違っていることはわたくしが最も許せないことですの。ですから、藤巻さんのご要望はお受けしかねますわ」
「じゃあ、新しいミッション。衿倉さんと私が友だちになってから、クラスメート全員と友だちになるっていうのはどう? 報酬はお金でも成績でも、何でも払うわ」
「それでは意味がありませんわ。友人はお金などでは代えられないものです。先日藤巻さん自身がそうおっしゃっていたではありませんか」
「うっ……こ、今回は特殊なケースなのよ……」
「特殊なケース? それはどのようなケースなのでしょうか?」
「だからそれは――」
……ごめん、藤巻さん。
でもこうした二人のやりとりをみていて、なぜかほっとしている自分に気がついた。
最初はミースが学校になじめるかどうかが心配だったけど、少しずつ、なんとか形になってきてる。友だちもできてきてるし、授業も平穏に受けられている。――数学とロボット工学は別として、だけど。
ミースはこれからも、学園でトラブルを巻き起こしていくと思う。あちらこちらを破壊して、またミースといっしょに先生や、藤巻さんと怒られにいく場面もあるだろう。
それでも俺は、ミースとの付き合うことを、心のどこかで楽しいと思っている。それは、高校生活の可笑しさを、刺激を、感動を、ミースが教えてくれるような気がしているから。
これまで俺が閉じこもっていた波風たたない平穏無事な学園生活を、彼女がむりやり壊してくれたから。学校が破壊されるたびに、俺自身がつくった壁も、破壊されていったんだ。
だからミースは、俺にとってかけがえのない友だちだ。
「でも衿倉さん、クラス全員と友だちになるなら、壬堂君とも友だちにならないといけないんじゃないの? あなた、壬堂君より先に私と友だちになりたいって言ってたじゃない。これはあなたの抱えているミッションと矛盾するんじゃないかしら」
「壬堂さん――」
そこではじめて、ミースは言葉につまった。藤巻さんが盛り返した形だ。
「壬堂さんは……友だちではありません」
聞くたびに悲しいが、もう慣れたな。
「じゃあ、ミッションを達成するのは不可能よね。壬堂君が友だちにならなければ」
「それはできません」
「どうして? 形だけでも友だちになればいいじゃない。だから私も――」
「壬堂さんは、友人ではありません。だから形だけでの友人もおことわりします」
「なぜそんなにかたくなにいやがるの? 壬堂君だってあなたと友だちになりたがってるのよ?」
「それでもだめです。壬堂さんは、このミッションの対象外です」
「……どういうこと? あなたにとって、壬堂君って何なの?」
「壬堂さんは――」
ミースはうつむきながら、そっと口にした。
「――壬堂さんは、わたくしにとって、特別な存在です。それは『友人』という言葉ではとても表現できません」
「――えっ?」
俺は思わず、彼女の言葉に反応していた。
特別な存在、って――まさか。
「ミース、ひょっとして俺のことを彼氏だと」
「彼氏ではありませんわ」
そこはきっぱり否定された。はは。やっぱりね。涙。
「でも――わたくしの知っている日本語では、いまの壬堂さんの立場を表現するに足る言葉がみあたらないのです。申し訳ありません」
不安そうに俺の方をちらっとみるミース。それに、俺は自然な笑顔を向けていた。
――ありがとう。ミース。
言葉の問題じゃない。ミースの気持ちが伝わっただけで、俺には十分だ。
ミースの告白に、俺は晴れた気持ちで答えた。
「いいって。友だちでもどっちでも。俺はミースのパートナーだ。何があっても、ミースを裏切ったりしないから」
「――! あ、ありがとうございます、光一!」
って、いきなりなんだ!?
「唐突な名前呼びだな!?」
「あら。いまの言葉でわたくしと壬堂さんとの親密値が上昇したと判断いたしましたので、名前呼びにシフトしたのです。『親密値が50を超えたら相手のことを名前やあだ名で呼ぶのが鉄則』とお母様に教わりましたわ」
親密値ってなんだよ……。
――まあ、なんでもいいや。
とにかく、俺とミースのドタバタ学園生活はまだまだ続きそう、ということで。




