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第19話 プリンセス様、もっと友人づくりの大切さを学ばれる

 放課後。


 いっしょに下校しようというミースの誘いを「鹿ヶ瀬先生に呼ばれてるから」と云って断った俺は、重い足取りでLL教室に向かった。


 英語のリスニングの授業などで使用する視聴覚器材が置かれているLL教室は、2ーAと同じ校舎の三階にある。階段をのぼり、教室の前でスリッパにはきかえた俺は、ゆっくり入り口の扉をスライドさせた。


 中には当然のように、藤巻さんが教室の中ほどの席に座っていた。


「ごめんね。呼び出したりして。ここに座って」


 そう云って横の席をうながす藤巻さん。俺はとぼとぼと歩いていき、指示通り席に座る。すると、藤巻さんは逆に立ち上がった。


「ちょっと待ってて」藤巻さんは俺が入ってきた入り口に向かう。そして扉がしっかり閉まっていることを確認すると、ガチャっと扉をロックするスライドを押し下げた。


 ……厳重だ。


 藤巻さんがスタスタと戻ってくる。そして元の席に座ると、ひとつ小さく息をついた。


 少しの間、二人に沈黙が訪れる。


 俺は何も云えず、ただ藤巻さんの表情をうかがっていた。彼女の端整な瞳には、どこか焦燥の色がにじんでいるようにみえる。このふってわいた「キャッキャウフフを壬堂光一に目撃された問題」に対してどう対応すべきか、いまのいままで迷っているというように、彼女は何もない空中へ視線をさまよわせていた。


 そして決心したように、その鋭い目を俺のほうに向ける。


「――どうしたら黙っててくれる?」


 小さく、おごそかな声で、藤巻さんは俺に訊いた。


「……黙るって、なにを」


「とぼけないで。昨日、隣町で私の姿をみたでしょう?」声をうわずらせ、藤巻さんは俺をにらむ。「正直に答えなさい!」


「い、いや……俺、昨日隣町なんかに行かなかったし、藤巻さんにも遭ってないけど……」


「この期に及んでまだシラを切るつもり?」


「いや、でも本当に身に覚えが……ないんだけど……」


「壬堂君」藤巻さんは云い聞かせるように告げた。


「まだウソをつく気なら、あなたが強制的に真実を話すよう、私が知っている中で最悪の拷問をありとあらゆる手段を講じてあなたに施すことになるわ」


「拷問!?」


 冗談かと思うほどのおよそ模範生に似つかわしくない言葉。だが、藤巻さんの目はどこまでも本気だ。


「勘違いしないで。私にはそんな趣味はないのよ。ただ知識として知っているだけ。でも事情が事情だから。あなたが話さないなら、もう手段を選んでいられないわ」


「ちなみにそれはどういう……」


 藤巻さんの目に、邪悪な火が灯った。


「鉄製の巨大な鉢をかかえこむようにあなたの手足を錠で縛りつけ、鉢の中に一個一個燃えさかる炭を入れていく拷問よ。炭を入れるたび鉄鉢の温度が徐々に上がっていき、やがて燃えた炭と同じくらい熱くなるの。そうなれば、壬堂君の手足はだんだん焼け」


「すみませーーーーーーーーーーーーーん! 全て見てしまいましたぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!」


 俺は即断で陳謝した。するしかなかった。


「隣町のゲーセンで藤巻さんがUFOキャッチャーをやりながら彼氏とイチャイチャする姿をじっくりみてしまいましたぁぁぁぁぁ! 俺はとんだ愚か者ですぅぅぅぅぅ!」


 白旗をあげた俺をみて、藤巻さんはまたため息をついた。


「最初からそう言えば、無駄な話をせずにすんだのに」


「いや、なんていうか……見てはいけないものを見たというか、無かったことにしたほうがいいかなと思ったもんで」


「変な気の回し方は逆効果よ。特に私にはね。そういうのキライだから」


「はい。すみません……見てすみません……」


「別に謝らなくてもいいわ。私がうかつだっただけだから。あと、ですます調はやめてって」


 藤巻さんがまたため息をつく。やっぱり、俺に見られたのをかなり気にしていたらしい。朝みた彼女の表情は、他のクラスメートにばれないよう必死にとりつくろったものだったんだろう。


「……でも、まさか壬堂君に見られるとは思わなかったわ」


「俺も、藤巻さんがあんな風に彼氏に甘えるとは思っても……ってか、俺が見たのってやっぱり藤巻さん、だったんだよな」


「だからそうだって言ってるでしょう。何度も言わせないで」


 そう云う藤巻さんのほおが、ほんのり赤くなる。


「人目を避けてわざわざ隣町に行ったのに……あなた、いつもあんな遠くのゲームセンターまできて遊んでいるの?」


「いや、その日はたまたま近所のゲーセンが休みだったから、ミースに車で連れていってもらってたんだ」


「ミース――も、もしかして、衿倉さんも私のことを!?」


 藤巻さんが声をうわずらせながら、取り乱して立ち上がる。俺はひきつった顔で、首を横に振った。


「いや、ミースは見てねえよ。俺だけだ」


「そ、そう……」


 明らかにほっとした表情で、藤巻さんは席に座った。その瞬間、ほんの少しだけ、藤巻さんがいつもの完璧な模範生じゃなく、ごく普通の高校生にみえた。


「……でも、壬堂君にみられるなんてね」


 鉄のような無表情に戻った藤巻さんが再度つぶやくように云う。俺もそれに同調した。


「それは俺も同じだって。藤巻さんとゲーセンで遭うなんて、思ってなかったからな」


「仕方ないでしょう。ユウヤがゲームセンターに行きたいって言ったんだから」


「ユウヤ、か……。いい人そうだったけどな。でも、藤巻さんに彼氏がいるってのもびっくりしたんだけど」


「彼氏じゃない」


 藤巻さんの強い口調に、俺は思わず聞き返した。


「……え?」


「だから、彼氏じゃないんだけど」


 彼氏じゃないのか?


 だとしたらなんだ。兄とか? でも藤巻さんって確か一人っ子だって瓜生が云ってた気がするし。なら、いとことか。でもいとこ相手にあんなにデレデレ甘えたりするか? それも違う気がする。


「……彼氏にしかみえなかったんだけど」


「違うって言ってるでしょう」


「じゃあ、あの人は?」


 一瞬、間があってから、藤巻さんは答えた。


「――父よ」


 俺はずっこけそうになった。


「ちち!? ちちって、あのちちか!?」


「あの父以外になんの父があるのよ」


 いや、それしかねえんだけど……あまりに衝撃的だったから、つい。


「でも……若すぎねえ? 高校生とはいわねえけど、どうみても二十代前半だったぜ?」


「二十四歳」


「二十四歳!? ってことは、藤巻さんはええと――父親が、七歳のときに産まれたってことに……そ、そんなに早熟だったのか」


「そんなわけないでしょう。相変わらず考えのない発言ね。もう少し頭を回しなさい」


 考えのないは余計だ。実際なかったけど。


「正確には義父よ」藤巻さんは云った。「今年の春に母がユウヤと再婚したの。ユウヤが二十四で、母が三十六だから、十二歳差。いわゆる年の差婚ね」


「でも、ならなんで父親を名前で呼んでんだ?」


「ユウヤがそう呼べって言ったのよ。年がそんなに離れていないのにパパなんて呼んだりしたら、周りの人が不審がるからって」


 まあ、それは一理あるけど……。


「でも、どうみてもカップル並みのアツアツさだったんだけど。父親って感じの接し方じゃなかっただろ」


「それは――」そこで、藤巻さんはまた少しほおを紅潮させた。目線も少し泳ぎ始める。


「ユウヤといると、安心できるっていうか……楽しいっていうか……。包容力があって、つらいことがあったりするとだまって抱きしめてくれたりとか……。ちょっと天然なところもあるけど、そこが逆にかわいくて、でもいつもは私よりしっかりしてるから、休日はつい甘えたく……って、何言わせるのよ!」


「いや、そこまでは聞いてないって」顔を引きつらせる俺の前で、藤巻さんが恥ずかしさで顔を両手で覆ってしまう。


「隣町だからクラスメートには遭わないだろうと思っていたのに、甘かったわ……。私としたことが、十七年間の人生で最大のミスよ……」


 そう云って顔をふるふると横にふるわせる。


 ……いまの藤巻さん、ちょっとかわいいかもしれない。


 いつもの冷静沈着で他人とは二枚三枚壁をつくっている彼女と、他人の目を恥ずかしがるいまの彼女との激しいギャップに、少しだけ心がひかれる。


 ……でも、人生で最大のミスって、そんなおおごとか。まあ、藤巻さんにとってはそうかもしれない。なにせこれまで、学級委員長としてのイメージづくりに必死だったもんな。


「ってか藤巻さん、父親とはいつもあんな感じなのか?」


「…………」


 その瞬間、藤巻さんが両手をどけ、俺を「ギロッ」とにらみつけてきた。


「え、ええと、気にさわったんなら……謝る、けど……」


 藤巻さんは、もう何度目かわからないため息をついた。


「……ええそうよ。あんな感じよ。悪い?」


「い、いえ! 悪くないです。好きだったら、あれくらいやって当然だと思います!」


「おべっかを使うのは止めてね。壬堂君、基本的にウソをつくのが下手だってこと、自覚した方がいいわ」


 ……見透かされてる。ってかおべっかって。


 そこで藤巻さんは、再び俺の方へ顔を向けた。


「――で、どうしたら黙っててくれる?」


「……え?」


「だから。どうしたら昨日見たことを黙っててくれるのかって訊いてるのよ」


 藤巻さんの顔に、また焦りの色が浮かぶ。そんな彼女の態度に、俺は少しきょとんとしていた。


「……どうしたらって、俺は別にこのことを他の人に話すつもりなんてないんだけど」


「……え」


「だから、話さないって。だいたい、他人に話して別に俺がなにか得するわけでもないし」


「でも、日ごろの話題とかで、なんとなく話したりとか」


「話さねーよ。藤巻さんはたぶん黙っててほしいと思ってるって気がしたし、だから俺からこのことを誰かに話すつもりはさらさらねーし」


 たぶん瓜生あたりだったら即行で広めるんだろうなと思いながら。最近、俺が瓜生と話す場面も増えてきているから、藤巻さんもそのあたりのことを心配しているのかもしれない。


 と思っていたら、少し違っていた。


「……信用できないわ」


「は?」


「信用できない。何の代償も無いのに、他人の秘密をだれにも明かさないなんて。どうすればいいのか言って。お金? それとも、壬堂君の成績を上げればいい?」


「……いや、ほんとに何もしてもらわなくていいんだけど」


 ってか、藤巻さん権限で俺の成績上げられるのか……?


「それじゃだめよ。そう言って、結局他人に話したときに『俺は何もしてもらってないからな』とか言い訳されるに決まってるわ。」


「別に何もされなくても、言わねーよ。犯行現場目撃したわけじゃねえんだし。単に父親と遊びに行ってただけだろ?」


「それを見られただけで、私にとっては十分脅迫のネタよ」


「脅迫!? だから、そんなことするつもりなんて全然ねえって。気にしすぎだっつーの」


 すると、藤巻さんが鋭く云った。


「それじゃ、私が納得できないわ。あなたにだけ貸しができたままだもの。私が何かやらないと、イーブンにはならないわ。私にも何かさせなさい」


 藤巻さん、変なところで自己中心的だな……。


「とにかく、何をすればいいのか条件を提示して」


「だから、何もしてもらわなくてもいいって。俺、藤巻さんのことを他のやつに話すつもりなんてねえから。信じてくれよ」


「それじゃ私の気がすまないって言ってるでしょう。何でもいいから指示してもらわないと、私が困るの!」


 いや、俺の方が困ってるんですけど……。


「壬堂君にこのことを黙っててもらうには、壬堂君へも私が何かを貸す必要があるのよ。私、口約束は信用してないから」


「っていわれてもな……別に藤巻さんにやってもらいたいことなんて……」


「何でもいいから。でも何もしないのは許さない」


 ……なんか立場逆になってないか?


 でもこのままだと藤巻さん、解放してくれなさそうだよな……。それだけ今回の一件を気にしてるってことだろうし。


 少し考えてから、俺はしかたなく告げた。


「……なら、何でもいいから何かくれよ。藤巻さんが思う一番安いものでいいから」


「一番、安い……?」


「ああ。パンでもジュースでも。一番安いやつでいい」


 俺なりに考えた妥協案だ。別にパンもジュースもほしくないが、藤巻さんの気がすむなら何でもいいだろ。


「……ほんとに、安いものがいいの?」


「それでいいよ。藤巻さんが一番安いと思うやつ。何でも」


「……ほんとに?」


「だから、それでいいって」


「……し、仕方ないわね」


 そう云うと、藤巻さんはとつぜん首元に手をかけると、ブラウスの一番上のボタンを外しはじめた。


「……え?」


 戸惑う俺の前で、藤巻さんは上から順番にゆっくりと乳白色のボタンを外していく。それが胸あたりまできて、ブラウスのすき間から藤巻さんの桃色の下着がみえかけたとき、俺は思わず声をかけた。


「え、えーと、藤巻さん……いまから何をされようと?」


「だから、私の思う一番安いものをあげる」


「それは……」


「わたしだけど」


 なぜそうなるーーー!?


「待て、藤巻さん! 早まるな!! 俺はそんなつもりで言ったんじゃねえ!! ってか藤巻さん、自分の体が一番安いと思ってるのか!?」


「ええ。そもそも私のミスだもの。売店のパンやお菓子を犠牲にするくらいなら、いくらでも私の体を差し出すわ。それくらいお安い御用よ。私、胸無いしやせぎすだけど、こんなものでいいなら、あなたにあげる。好きにしてくれて結構よ。それとも私じゃやっぱり不満?」


「いや、そんなことはねえけど。俺だって男だから素直にうれしい部分もあるし、藤巻さんの気持ちを精一杯受け止める準備も――って違う!」


 焦りすぎて変なセリフが口をついてきた俺。落ち着け。


「そういうことじゃなくてだな。藤巻さん、自己犠牲にもほどがあるだろ! だいたいそんなことしたら、本当に俺が脅迫したみたいになるから!!」


「そうかしら。なら、やめておくわ」


 またボタンを元に戻し始める藤巻さん。ああ、焦った……。ってか藤巻さん、変なところで大胆だな……。


 今度は俺の方がため息をついて、藤巻さんを眺めた。


「……で、どうしても何かしてもらわないといけないのか」


「ええ。私の体でダメなら、他に思いつくものはないわ」


「そんなことないだろ。はぁ……」


 どうすっかな、この状況。


 あまり深く考えずに、パンでも買ってきてもらって簡単にことを済ませるか。それが一番早いような気もする。そうすれば、これ以上このLL教室に拘束されずにすむし。でもふだん藤巻さんに頼めないことをお願いするチャンスでもあるんだよな。そう考えると――


 ――まてよ。


 そこで、ふと俺は思いついた。


 あった。


 藤巻さんにやってほしいことが、ひとつだけ。


 少し前から、俺がずっと思い続けていたことが。どうしていままで思いだせずにいたんだ。


 どうせ云っても藤巻さんに断られるだけだからと半分あきらめかけていた、その願い。


 いまが、それを云う機会だ。


 俺は藤巻さんの顔をみつめる。彼女の視線が、俺の視線と交錯する。俺は正面から彼女と向き合い、口を引き結んで真剣な顔をみせた。これまでと表情を変えた俺に、わずかにうろたえた藤巻さんは視線をそらす。


「……何よ」


「藤巻さん――」


 しっかり聞いてもらえるよう、俺ははっきりと藤巻さんに伝えた。




「ミースの友だちになってくれ」




 俺の言葉に、一瞬、藤巻さんの表情がこわばる。


 想定外の答えだったのか、藤巻さんは少しの間、言葉が出ない。俺はその間も、ただ彼女の返事を待ち続けた。


 やがて藤巻さんがつぶやいた。


「……それは、できないわ」


「何でもやってくれるんだろ。なら、ミースの友だちになることだってできるだろ」


「ほ、ほかのじゃだめ? たとえば、超高級フランス料理が食べたいとか、フランス旅行五泊六日の旅とか、フランスのブランド品豪華十点セットとか」


「いらねーよ。ってかなんでフランスばっか? 俺べつにフランスに興味ねえし」


「なら、超高級イタリア料理が食べたいとか、イタリア旅行五泊六日の旅とか、イタリアのブランド品豪華十点セットとか」


「……それ、藤巻さんが興味あるだけだろ」


「う」


 図星らしい。焦りからか、めずらしく藤巻さんがつまる。


 だが彼女は頭をフル回転させ、俺の興味をひこうと必死になった。


「じ、じゃあ、アーケードゲーム百回無料券はどう? 壬堂君、ゲームセンターが好きなんでしょう?」


 うっ、それはそそられるかも。でも――


「――それもいらね。無料券なんてもらったら、ゲーセンでゲームするスリル無くなるし」


「アーケードゲームを自宅に設置するなんてどう? これでいつでもゲーセン気分をご自宅で」


「それじゃ意味ねーだろ。ゲーセンで金かけてやるからアーケードなんだよ」


「私には理解できないわ。そんなお金を日常的にすりへらす遊び。将来はパチプロにでもなるつもり?」


「ならねーよ!」


「困ったわね……」


 藤巻さんが本当に困ったように眉をひそめる。俺は純粋な気持ちで訊いた。


「なんでそんなにミースと友だちになるのがイヤなんだ?」


「前にも言ったけど、私は友だちをつくらないことに決めてるの。特定の友だちを作ってしまうと、学級委員長として他のクラスメートと公平な関係を保てないから」


「なら、他の学級委員長はどうしてんだ? まさかみんな友だちがいねえわけじゃねえだろ」


「他の三人はうまくやってると思うわ。友だちは友だち、仕事は仕事、ってきちんと分けてる。でも私には無理。友だちができたら、その子だけひいきしてしまいそうで怖いの」


 ――そうか。


 藤巻さんの言葉を聞いて、いま、彼女の心の一端が理解できた気がした。


 藤巻さんはいつも冷徹な完璧主義者だと思っていた。でもそれは、本当の彼女じゃない。


 彼女は学級委員長として模範的かつ冷徹な高校生にみえた。もとからそういう人間なんだと思っていた。でもじつは、彼女は必死にその役を演じていただけなんだ。胸の中にあるはずの温かな心にずっとふたをして。


 本当は父親に甘えるときみたいに、学校でもみんなと仲良くしたいのかもしれない。手をたたきあって、遊びたいのかもしれない。でもだれよりも真面目な彼女は、学級委員長に推薦されてから、自分が抱く委員長という形の枠に自分をあてはめた。優しい心も、豊かな感情も、全て押しこめて。


 友だちができると、友情と学業を分ける冷徹さを保てなくなる。他人なら一秒でも遅刻すれば学級日誌に「遅刻」と記すのに、友だちだとそれができなくなる。その「差」が生まれることを、藤巻さんは恐れている――。


「私が衿倉さんの友だちになれば、あの子だけをひいきしてしまうかもしれない。だから、友だちになるというのだけは――」


「それなら――」


 俺は藤巻さんの言葉をさえぎって、はっきりと伝えた。


「それなら、逆にクラスメート全員と友だちになればいいだろ」


「ぜ――」


 俺が口にした解決法に、藤巻さんが一瞬、言葉を失う。


 でも――結局そういうことなんじゃないか。


「もしだれかと友だちになってフェアじゃなくなるんなら、同級生全員と友だちになればいい。それなら全員アンフェアだから、つまりフェアだ」


「そ――それだけって、あなたは簡単に言うけれど」


「簡単じゃない。でも、できる。藤巻さん自身が、前にミースに言ってただろ。『できるかどうかは彼女次第』って。だからミースは、いまもクラスメート全員と友だちになるために毎日がんばってるんだ」


「でも、私には――」


「できるって。藤巻さんにも」俺は自分の正直な思いを、藤巻さんに伝えた。


「藤巻さん、いつも学級委員長の仕事に徹してるからみんな近づきにくいとは感じてると思うけど、藤巻さん自身を嫌ってる人は一人もいないと思う。クラスのために毎日がんばっている藤巻さんを、みんな尊敬してるから」


 まあ、ぼっちの俺が云うのもなんだけど、と付け加えて。


 いつもは冷徹な藤巻さんが、いまは迷いと決断の狭間に沈んでいる。彼女の瞳には、視線の先にあるLL教室の木製の床ではなく、友だちをつくることへの彼女自身が作り出したいくつもの壁が映っているはずだった。


 俺は待った。いくらでも待つつもりだった。藤巻さんから言葉がつむがれるまで。それが壁を乗り越えるための、太いロープをつむいでくれると信じて。


 やがて――


 藤巻さんが、淡い唇を静かに開いた。


「……衿倉さんと、友だちになればいいのね」


「! ――あ、ああ。なってくれるのか?」


「……仕方ないわ。口止め料として、これくらいのことはさせてもらうわ」


「あ、ありがとう、藤巻さん!」俺は思わず声を上げていた。それに、藤巻さんは目をそむけて答える。


「いいわよ、別に。感謝しなくても。それより、このおかげでクラス全員と友だちにならなくちゃいけないんだから。これからのことを考えると、頭が痛いわ」


「なら、ミースと一緒に友だちづくりをすればいいんじゃないか。ミースも喜ぶと思うし」


「衿倉さんと……?」


「俺に友だちができたのも、ミースのおかげなんだ」俺は頭の中で、二学期からの自分を振り返っていた。


「はじめにミースが『クラス全員と友だちになる』って決めたときは無茶だと思ったけど、あいつ、アンドロイドならではの遠慮のなさっていうか、押しの強さみたいなのがあって、自分からどんどん同級生にアタックしていくんだ。俺はそれについていくだけなんだけど、それがきっかけで瓜生とか射原さんとか、小野原さんと話せるようになったし、演劇部の田中君や木打君ともいまは前より断然声をかけやすくなった。ミースには本当に感謝してるし、正直すげえと思ってる」


 だから、と俺は藤巻さんに伝えた。


「藤巻さんにも、できると思う。絶対に」


 藤巻さんは、ほんの少しだけうなずいてくれた。


「……あなたがそこまでいうのなら、それでいいわ。しかたないけど」


 認めたくないという表情で、つぶやくように藤巻さんは云った。肯定だと、俺は感じた。


 いつも学級委員長として奮闘している藤巻さん。でも、本当はみんなと仲良くしたいという思いがあった。いままでみてきた冷徹な学級委員長としての藤巻さんは、本当の藤巻さんじゃない。昨日ゲーセンで見せた彼女こそが、本来の藤巻さんだ。そのことが、いままでの彼女の話で理解できた。なら、自分の気持ちにもう少し正直に生きてみてもいいんじゃないか。自分の気持ちに嘘をつくのは、もっと大人になってからでもいい。


「決まり」俺は席から立ち上がった。「ありがとう、藤巻さん」


「だから、感謝される筋合いはないんだけど。あくまで口止め料なんだから」


 藤巻さんは答え、続けて云った。


「壬堂君」


 LL教室から出ようとする俺を、藤巻さんは呼び止めた。


「……何?」


「ひとつ訊きたいんだけど」


 俺は振り返った。そこには、また元の冷静沈着な学級委員長がいた。


「あなたは、どうしてそこまでミースの肩をもつの? 彼女は、ただのロボットでしょう?」


 彼女の言葉に、俺はきっぱりと答えた。


「ミースは、友だちだからだ。ミースはそう思ってねえかもしれねえけど、俺はそう思ってる。ロボットだからとか、機械だからとか、そんなの関係ねえよ」


「……そう」


 藤巻さんは、ぽつりとこぼした。わずかに笑顔を浮かべて。


「――明日、ミースに伝えるわ」


「ああ。ミースもきっと喜ぶとおも――」


 そのとき。


 とつぜんLL教室の扉がバンッ! と開いた。


「――!?」


 扉には鍵が――。


 でもそんなものははじめからなかったかのように、扉は勢いよく開かれていた。


 そして、そこから現れたのは――


「……ここにいらしたのですね、壬堂さん」


「――ミース!?」


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