第12話 プリンセス様、もっと体を分解されそうになる
そんなこんなで、鹿ヶ瀬先生の「ロボット工学」が始まった。
今日集まった生徒の数は結局三十人ほど。平均からすると十分多いのだが、「五十人を目指す!」と豪語していた先生は少し物足りなさそうな顔をしていた。でも今日はあくまでお試し授業。ミースがこの授業を受けることが知られれば、次回からは先生も云っていた通り「ミース目当ての生徒」がやってくる可能性はある。他のクラスの生徒がアンドロイドであるミースの姿や行動を直に見ることができるのは、この専門科目の授業だけだから。
なにもわざわざ見に来るほどでも、と俺は思うのだが、他クラスの生徒からするとそうでもないらしい。「アンドロイドって本当?」「あのひとがウワサの……」というひそひそ声を俺も何度か耳にしたし、瓜生や射原さんも他クラスの友だちから「衿倉さんってどんな人なの?」「本当に衛星撃ち落したの?」とかいう質問を受けたりしたらしい。まあ俺も他のクラスだったら、見にいったりはしないまでもやっぱり気になるとは思うし、当の本人もいまのところ気にしている様子はないから、ある程度はしかたのないことだと思う。
だけど、もしそれが高じて批判的なことを云う人まで出てきたら――そのときは、ミースがその人をバルカン砲や電気ショックでねじふせるだろうから全く心配ない……って違う。そのときは、俺がミースを守らないといけない。
敵中二騎。あいにく周りには見知ったクラスメート――小野原さんや環田もいない。頼れるのは、自分だけだ。
とても学校の授業を受ける前とは思えない、戦々恐々の心持ちで臨んだ今日の第一試合……じゃなくて一時間目。だめだ、頭が勝手に格闘ゲームモードになってる。
その一時間目の授業。鹿ヶ瀬先生が教壇に立つ。ミースは一番前の、一番廊下側の席。こういう自由な席に座っていい授業のとき、ミースは決まって一番前の一番中央の席に真っ先に座るのだが、さすがに鹿ヶ瀬先生に正面から相対してはあらゆる意味で危険だと判断したのか、彼女はいつでも教室から逃げられるポジショニングをとっていた。いいぞミース。備えはばっちりだ。
先生が話し始める。簡単な自己紹介に始まり、ロボットの意味、起源、開発の歴史について、先生がすらすらと説明していく。
いまのところは普通の授業だ。でもいつミースに「じゃあここにきて教壇の上にあお向けになって。今からロボットの内部構造について、実際に分解しながら解説するわ♪」等という危険な命令が飛んでくるか分からない。俺は心の中でかまえながら先生の動きに注意を払っていた。ミースもじっと先生の方を見つめている。心なしか、肩に力が入っているようにもみえる。
そして先生は、現代のロボットの体系、それから様々なロボットの種類について具体的に説明する。工業用の単純作業ロボから、近ごろ急速に開発が進んでいるお掃除ロボ、人目にはつかないが実は活躍している災害用ロボット等を、各種エピソードを交えながら楽しく話す。先生のたくみな話術に、みんなもだんだん引き込まれて聞き入っているようだ。
――あれ? これ、意外に普通の授業だぞ。
いつもの物理の授業なら、ことあるごとにミースを呼んで「じゃあ次の問題。あ、次の問題も。ああ、次の次の問題も答えて!」と興奮気味に話すんだが、今日はそんな様子がみじんもない。
意外と身近なロボットの話やフィクションに出てくるアンドロイドの話など、話が進むにつれ、ロボット工学にさほど興味の無かった俺ですらだんだんひきつけられていった。
と思った矢先。
「さて、そんな中でもやっぱり最先端のロボットいえば、人型ロボット、つまりアンドロイドよね。じつは今日この教室にもアンドロイドがいたりするんだけど……ま、みんな気づいてるわね。そっちの席に座っている、2-Aの衿倉ミースよ」
――きた。
この授業で初めて先生がミースに視線を向ける。満面の笑顔の先生に対し、ミースは顔をこわばらせて答えた。
「は、はい……」
「なんだ、今日はちょっと緊張してるみたいね。私もいまだに信じられないんだけど、本当にアンドロイドなの? って思うくらい人間に近いのよ。というよりもう人間そのものといってもいいくらい。他のクラスの生徒はたぶん会うの初めてだと思うけど、いい子だから仲良くしてやってね。ま、アンドロイドについてはとても理論体系が複雑で高度だから、授業の内容がある程度進んだ段階で説明するわ。――じゃあ次はもう少し細かい話に移るわね。ロボットのしくみについてなんだけど――」
……って、あれ?
なんかものすごく普通に、っていうかむしろかなり好意的な感じで紹介されただけで終わったんだけど……。
先生はそれ以降も平然と授業を続けている。クラスの生徒に質問することもあるし、ミースにも一度「モーションキャプチャーっていう手法なんだけど、これって何か知ってる?」と聞いてきたが、答えを聞くとすぐにまたみんなへの説明にすんなり戻っていった。
いつもと違う……というより普通な……というよりかなり面白い先生の授業に、俺は感心していまさらながらノートを広げ、ミースはメモリーをとる顔がこわばった表情からいつになく真剣な表情に様変わりしていた。
そうしてあっというまに一時間目の授業が終了した。ブザーのような終業音がスピーカーから鳴り響く。
「あれ、もう終わり? なんだぁ、まだ全然話し足りないけど――でももし先生の授業に興味をもってくれたら、また次も受けにきてね。それじゃ!」
つつがなく授業が終わる。完全に肩透かしを食った俺は、ただぼう然とするだけだった。
一体、授業開始前の先生の興奮しきった態度はなんだったんだ。普通にただ面白い授業だったぞ。ってか先生、あんなに楽しい授業できたのか……。
物理の時間にはただミースに対するマニアなこだわりしかみえなかったが、ロボット工学の授業ではそのマニアさがいい具合におもしろエピソードにつながっていて、ロボオタクならではの確かな知識やトークスキルの高さとあいまって、ものすごく魅力的な講義に仕上がっていた。俺が受けた授業の中でもベスト3には確実に入ってくるくらい、今日の授業は印象的だった。
そんな俺の横で、ミースはすでに何人かの他クラスの女子に声をかけられていた。「衿倉さんって、ほんとにアンドロイドなの?」「全然そんなふうにみえないよね~」というミーハーなものだったが、好意的な感じだったので、ミースも特に嫌がらず受け答えしていた。
「わたくしの体は、人間の骨や筋肉にあたる部分が金属でできているのですが、皮膚は人間の質感に非常に近いものでできているのです」
「ほんと~!? ちょっと腕さわってもいい?」
そうして女子の一人がミースに手をのばそうとする。しかしそのとき。
「こらこら。あんまり衿倉ミースをいじっちゃだめよ」
いつのまにか女子の後ろに立っていた鹿ヶ瀬先生が声をかけてきた。
「さ、早くしないと次の授業が始まるでしょ。ここは他の教室から離れているから、いまから歩かないと間に合わないわよ」
え~、という女子らは残念そうな顔をしたが、すぐにミースに「またね~」と手を振って教室から出ていった。そっと手を振り返すミース。早くも友だちまでできそうな気配だ。
教室には俺とミース、鹿ヶ瀬先生の三人だけになった。先生は今日の資料をまとめて机にトントンとたたきながら云う。
「今日はありがとね。先生の授業を受けてくれて。次も来てよ。他の先生はどうか知らないけど、うちなら大歓迎だから」
「先生……!」ミースが感動したように先生を見上げる。
「わたくし、とんだ勘違いをしておりました。授業が始まるまではわたくし、先生になにをされるのかと不安でしかたありませんでした。でも実際に受けてみたら……先生の授業はわたくしにとってとても、とても興味深いものでした」
「そう言ってもらえるとうれしいわ。じゃあ次も――」
「もちろんです!」先生が云い終わる前に、ミースが意気込んで告げた。「わたくし、専門科目は鹿ヶ瀬先生の授業に致します! ぜひわたくしにロボットの――アンドロイドの真髄をお教え下さい!」
「ええ、もちろん。じゃあまた来週ね」
「はいっ!」
興奮した様子のミースとは対照的に、いたって冷静な対応の鹿ヶ瀬先生。授業前の態度からは全く想像できないくらい、模範的な先生の姿がそこにあった。
先生と別れ、教室から出る俺とミース。廊下を歩き始める道すがら、ミースは話さずにはいられないといった風で俺に話しかけてきた。
「わたくし、鹿ヶ瀬先生があんなにすばらしい教師だったなんて、恥ずかしながらこれまで全く気づきませんでした。先生のロボットに対する造詣はとても深いものですし、その知識、情報量も並大抵ではありません。わたくしですら知らなかったロボットの機能や構造も、今日の短い授業の中ですでにいくつか披露してくださり、それにわたくしに対してもとても謙虚に先生らしく対応してくださいました。鹿ヶ瀬先生は、わたくしがアンドロイドとしてこの上なく尊敬すべき教師そのもので――」
そこで、ミースが俺の顔をみて言葉を止めた。
「壬堂さん、どうかなさいました?」
彼女の目には、どこか釈然としない顔をしている俺の顔が映っているはずだった。
「そんなに厳しい顔をなさって……なにかわたくし、気にさわることでも申しましたか?」
「いや、そうじゃなくて……」
俺は、いまだに疑っていた。
さっきの授業での、鹿ヶ瀬先生の態度を。
あれだけ授業前から――いや、ずっと前からミースのことをでき愛していた先生が、急にあんなまともな態度になるはずがないと、俺は思っていた。
「今日のネタはあなたのこの腕の内部構造についてよ」とか「衿倉ミースの腕は一体どうなってしまっているのかしら。考えるだけでゾクゾクしちゃう」とか云って体をくねらせていたくらい、先生のミースに対する興味関心ぶりはすさまじいものだった。いきなり通常の態度に戻るなんてことがあるだろうか。ものすごく疑問が残る。
「……なあ、ミース」俺は云った。「ひとつ提案があるんだけど」
「なんでしょう?」
「ちょっと、さっきの教室に戻ってみないか」
「えっ、なぜですか……?」
俺はそれに答えず、黙ったまま踵を返した。
「ど、どうしたのです? 早くしないと、次の授業が始まりますわ」
無視して教室に向かう俺のあとを、あわててミースがついてくる。
そしてほどなく、さっき「ロボット工学」の授業が行われた教室に着いた。
だれもいなくなっていると思っていた教室には、明かりがついていた。どうやら鹿ヶ瀬先生がまだ残っているらしい。
俺は足音を立てずに扉まで近づく。ミースは俺が何をしているのか分からないようで、
「忘れ物でもされたのですか? それなら早く扉を開けて――」
「しっ! 声を抑えて。――何か聞こえる」
窓からこちらが見えないよう、扉のそばでしゃがんで聞き耳を立てる俺。ミースもとりあえず俺の隣にきて、同じ姿勢をとる。
「…………フフフ」
押し殺したような笑い声が、教室の中から聞こえてきた。
「フフフフフフ……ククククククククククククククク……アハハハハハハハハハハハハ!!」
声は徐々に大きくなり、やがて聞き耳を立てなくてもいいくらいの声が、教室の外にもれてきた。声の主はもちろん、鹿ヶ瀬先生だ。
「やったわ……作戦通り、これでついに衿倉ミースを『ロボット工学』の授業に引き込むことができる。やっぱり鹿ヶ瀬知子は天才ね。とっさにあんな演技を思いつくなんて……。だって、せっかくワナに入った獲物に逃げられたらたまらないもの。今日の授業はお試し授業。受けるか受けないかはまだ決まっていないからね。でも次の授業に来れば、もう変更はきかない。だから今日は最後までいい教師のフリをして、衿倉ミースに好印象を与えるよう全力で振る舞ったのよ」
のぼせあがったような声でひとりごとをつぶやき続ける鹿ヶ瀬先生。俺とミースの顔は完全に青ざめていた。
「それにしても、想像以上につらい授業だったわ……。衿倉ミースを解体したい、体の中をのぞきたいという自分の中のわき上がる欲望と戦いながら生徒の前で平然と話をするのは、私にとってもはや苦行よ。彼女に視線を合わせた瞬間、教壇の前に連れ出したくなる衝動を必死に抑えて冷静な教師でいなければいけなかったあの瞬間は、気が変になりそうだったわ。でもこれで、衿倉ミースは私のモノ……フフフ。授業が終わって、他の生徒が衿倉ミースの腕に触ろうとしたけど、指一本触れさせやしないわ。彼女の肌を調べていいのはこの私、鹿ヶ瀬知子だけなのよ!」
アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!! という甲高い笑い声が響き渡る。それとともに流れ出る鹿ヶ瀬先生の腹黒い本心。天井を見上げながら自分に酔う先生の姿がなんとなく脳裏に浮かぶ。
蒼白になった俺とミースの顔。しばらく先生の声を聴いていて黙っているしかなかった俺に、ミースは小さくつぶやいた。
「……壬堂さん。わたくし、やっぱりこの授業を辞退いたします」
「……ああ。その方がいい。いや、ぜひそうした方がいい」
そうして俺たち二人は静かにその場から立ち上がった。
そのとき。
「あっ――」
めずらしく焦ったミースが、目の前にあったほんの小さな石につまずいた。
蹴られた小石は運悪く正面に置かれていた消火栓の赤いボックスにあたり、「コカン」と金属的な音を立てる。
俺とミースの動きが一瞬、固まった。
「……マズい」
俺がそう口にした瞬間。
後ろの扉がガラッと開いた。
「――――!!」
息をのむ俺たち。背後からとてつもなく重いプレッシャーが押しつけられる。
俺はミースと顔を見合わせると、振り返らないままそっと云った。
「…………ミース」
「…………はい」
「…………振り返った方が、いいかな」
「…………お任せします」
「…………じゃあ、このまま静かに逃げようか」
「…………わたくしも、その方がいいと思います」
「…………よし。全力だぞ。全力でこの目の前にある廊下を駆け抜けるんだ」
「…………はい。承知しました。ではわたくし、両足のブーストを発動いたします」
「…………俺もそれにつかまっていいかな」
「…………もちろんですわ、壬堂さん。わたくしとともに、この危機から脱出し」
「あなたたち」
ビクッ! っと体を反応させる俺とミース。その瞬間、俺の右肩とミースの左肩が、がしりとつかまれる。
「どうしてこの教室に戻ってきたりしたの? 次の授業が始まるって言ったでしょう……?」
これまでになく凄みを帯びた声。もう――逃げられない。
俺はプレッシャーに耐え切れず、ゆっくり振り返りながらいいわけを取りつくろった。
「あ、あの……そういえば教室に忘れ物をしたかな、なんて思ったりして……べ、別に先生のことを疑ったりとか、それを確認しにきたとか、そういうわけじゃ――」
「壬堂さん……」ミースが悲しそうな表情をする。「思っていることが口に出ています……」
「……へえ。それでわざわざ戻ってきたの。ご苦労なことね。で……本当にそれだけ?」
先生の目が妖しく光る。突き刺すような視線が、俺を襲う。
それをみた瞬間、俺はくるりと反転し、廊下に頭をこすりつけた。
「ごめんなさい!!!!! すみません!!!!!!!!!! 『とっさにあんな演技を思いつくなんて……』とか『彼女に視線を合わせた瞬間、教壇の前に連れ出したくなる』とか、全部聞いてしまいました!!」
「えっ?」鹿ヶ瀬先生が声色を変える。「先生、そんなこと言ってた?」
「は、はい。廊下中に響くくらい大きな声で」
「あら……頭の中で考えていたことが、いつのまにか全部口に出ていたみたいね」
気づいていなかったのか。どれだけ陶酔していたんだ先生……。
「そう。そこまで知られたからには、あなたたちを逃がすわけにはいかないわ。ちょっと教室に入りましょうか」
「い、いえ、先生。俺たち、次の授業が――」
「次の授業?」先生がギロッとにらむ。「次の授業なんてどうでもいいわ。その先生には私から『二人は体調不良のため休みます』とでも言っておくから。とにかくこっちにきなさい」
血の気が引く俺。先生は俺たちをどうするつもりなんだ……。
「早くしなさい。そのまま動かないつもりなら、先生も手段を選ばないから」
「ま、待って――」
と俺が云おうとしたとき、ミースがそっと小声でささやいた。
(壬堂さん。ブーストの準備ができました)
(えっ……そうか!)
ブーストとは、彼女の両足に内蔵された機能のひとつ。ホバークラフトみたく地上すれすれに浮きながら、滑るように移動できる。加速すれば、自動車並みの速度で移動することも可能だ。
――これなら、先生を振り切れる。
(いつでも発動可能です、壬堂さん)
(よし。逃げよう。いますぐ逃げよう)
「何をしているの、あなたたち」
俺たちの動きに先生が気づいて、ミースの肩につかみかかる。だが俺はそれに答えず、ミースに向かって叫んだ。
「ミース、いけっ!!」
俺がミースの腕をつかむ。するとたちまちミースの両足からブーストが発動し――
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
感電。
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー♪♪♪」
ついでに先生も感電。
すっかり焼け焦げた俺と先生は、体をピクピクさせながら廊下に転がっていた。
「淑女の腕をいきなりつかむのは紳士的ではありませんわ、壬堂さん。わたくし、びっくりいたしました。わたくしの方から壬堂さんの手をお取りする予定でしたのに」
あ、そう。
俺の横で、先生が顔をヒクつかせていた。
「この電圧、いったいどれくらいの数値なのかしら……フフフ。とても興味深いわ。次は私の体にボルトセンサーを取りつけて、実測してみましょう。壬堂君、協力してくれるわね?」
「…………」
俺は気絶したフリをした。




