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第11話 プリンセス様、体を分解されそうになる

 そんなこんなで授業中にも大混乱を巻き起こしているミース。友だち(と俺が勝手に思っているだけ)の俺としても、これから卒業するまでの一年半あまり、こんな授業が続くのかもしれないと思うと不安だ。徐々に常識を身につけつつあるミースだけど、勉強が「できすぎる」というのは常識がどうとかいう問題じゃないからな。


 まあ、それはそれとして。


 今日も一時間目から六時間目までみっちり授業。でも、内容はいつもと少しだけ違う。なぜなら、今日は「専門科目の日」だからだ。


 うちの高校には必須科目である英・国・数・社・理の基本五科目と体育、選択科目である音楽、美術、家庭科、工作のほかに、専門科目というのがある。これはイノベーション科の目的である「さまざまな科学分野の技術的な知識を学び、広く教養を育む」ために設けられたカリキュラム。科学についてより深く、より専門的な内容を勉強できる、他の学校にはあまりみられない授業だ。


 授業は多種多様で、その中から毎回ひとつを選んで受けることになる。クラスの枠は関係ないため、他クラスの生徒といっしょに授業を受けられる数少ない機会でもある。どの授業も全八回。専門科目の授業は週に一回だから、ニヶ月で終わる計算だ。生徒はその度にまた新しい科目を選んで授業を受ける。面白い授業があれば先に受けてもかまわないし、後回しにもできる。このためだけに学校外から先生が呼び寄せられている授業もあって、内容はわりと本格的。選ぶ楽しさと受ける楽しさがあって、生徒からも割と評判がいい授業だ。


 どんな授業があるのかというと、「機械工学」「応用工学」「バイオ技術」「遺伝子と医療」「河川生態学」というガチガチのものから「料理の科学」「スポーツ生体学:球技」「最新自動車のしくみ」「ネットウイルス学」といった身近なもの、さらに「テレパシー心理学」「タイムマシン学」「瞬間移動学」「植物との会話学」「占い学」「魔法・魔術・妖術学」なんていう現代の科学の域を超えた怪しげな授業もある。


 でもどの授業もタイトルだけでは中身がつかみにくいため、最初の一回はお試しで授業を受けることができる。気に入れば次回も受け続ければいいし、ちょっと違うなと思ったら二回目以降は別の授業にしてもいい。


 今日の一時間目がその「お試し授業」の時間。俺はミースと廊下を歩きながら、配られたプリントに書かれた専門科目一覧に目を通していた。


「壬堂さんは何のレッスンを受けられるのです?」ミースが聞いてくる。彼女は科目一覧が全て頭の中にインプットされているらしいので、わざわざ俺たちみたいにプリントを持ち歩いてはいない。


「うーん、どうすっかな。俺は簡単な授業なら別に何でもいいんだけど……」


 一学期に俺が受けたのは「パソコン情報学」と「料理の科学」。どっちもテストが簡単だから、という理由だけで決めた。理由にもならない理由だが、俺としてはやたらと難しいものでなければ何を受けてもいいというスタンスだ。まあ、こんなこと云ったら藤巻さんに間違いなく怒られるだろうけど。


「そう。簡単な授業なら何でもいいのね。そういうところが怠惰な高校生の壬堂君らしいわ」


「!!」


 藤巻さん――!?


 いつのまにか、我らが2-Aの学級委員長が俺のすぐ後ろに立っていた。そして思っていたことをズバリ。背筋が一気にのびた……。ってか怠惰は余計だ。


 どうやら俺たちと一緒で専門科目を行う教室に向かう途中らしい。俺はイヤな汗を垂らしつつ振り返る。


「いやその……あんま難しい授業受けると、ついていくだけで精一杯になるっつーか……簡単な授業なら心に余裕をもって臨めるかなと……」


「あからさまな言い訳はよけいに見苦しくなるだけよ。楽したいんだと正直にいいなさい」


 相変わらず俺の軟弱な胸に容赦なく鋭い矢を打ち込んでくる藤巻さん。早くも心がくじけそうだ。


「ま、壬堂君が自分で選ぶことだから、私が口を出す理由もないんだけれど。それより、衿倉さんの勉学に対する向上心を妨げるようなことだけはしないでね」


「では、藤巻さんのオススメのレッスンはどれでしょうか?」ミースが尋ねる。ほんと、ミースは心が強いよな。藤巻さんにいくら矢を突き刺されても痛いともなんとも感じてないし。その強さをほんの少しでいいから俺にも分けてほしい。


「私としては、応用工学か応用生態学を薦めたいけど……専門科目は個人の趣味趣向に沿ったものを受けた方がいいから、あまり私の言うことは気にせず自分が興味のわいたものを素直に受けた方がいいと思うわ」


「そうなのですね。承知しました。お教えいただきありがとうございます!」


 ミースの感謝に特に反応することもなく、藤巻さんは去っていく。ミースはしばらく考え込むように首をかしげた後、俺に向かって口を開いた。


「壬堂さんは、どのレッスンをお受けになるのでしょう?」


「俺? あー、この中なら『スポーツ生体学』とかかな。『占い学』とかもテストが簡単だって瓜生さんが言ってた気がするし、まあ簡単なものなら――」


「なになに? 占い学受けるの??」


 と、今度は後ろからいきなり瓜生が声をかけてきた。今日もツインテールの髪をゆらしながら、快活な調子で俺の肩をバシバシたたいてくる。


「光一くんが占いとか全然イメージ合わないし。意外だね。占いとか信じる派?」


「いや、別に興味はねえんだけど、テストが簡単だって瓜生さんが前言ってたような気がしたから」


「あー、そうだったね。私それ一学期の最初に受けたんだけど、テストはあってないようなもんだったよ。それがいいなら受けてみてもいいんじゃないかな? 山羊座と水瓶座の相性が結構よかったりとか、授業も面白かったし。受けるのは九割女子だけど。ああ、あと私のことはさやりんだからね」


 じゃ! と瓜生は一瞬で走り去っていく。俺が答える間もなく。ほんと突風みたいなやつだ……。ってかさやりんは無理だって。


 俺が思っていると、ミースは小さく口を開いた。


「……わたくし『ロボット工学』のレッスンを受けてみたいと思っております」


「ロボット工学?」


 いまさら? 俺の中ではもうミースの存在自体が十分ロボット工学なんだが。


「実はわたくし、自分の体がどうなっているのかについて、あまり把握していないのです。機能的なもの――頭部にバルカン砲を内蔵していることや、触れた相手に電撃を与えること――そうしたことは知っているのですが、わたくしがどうやって動き、何がどう作用して生きているのか、人間でいう生理的な部分についての知識が少ないのです」


 なるほど。理科や保健の授業で人間の体の中がどうなっているか勉強するのと同じことか。


「そういうわけで、ロボット工学のレッスンを受けてみたいのです。いかがでしょう?」


「ん? ああ。それなら受けたらいいんじゃないか」


「あの、そうではなくて……壬堂さんも」


「……俺?」


「はい。初めての授業ですし、なんというか、その……心細いので」


 いいづらそうに少し上目づかいになりながら、ミースが俺の方を見上げてくる。


 確かに、専門科目は授業の種類が多い分、ひとつの授業の参加生徒は通常より少ない。人気のあるクラスなら二十~三十人ほどいるが、たいていは十人以下だ。ロボット工学に何人くらいくるのかわからないが、マジメそうな授業だからそんなに数は多くないだろう。


「壬堂さんに来ていただけると、わたくしとしても心強いのです。いかがでしょう?」


「ああ、いいよ。俺は特に受けたい授業があるわけでもねえし」


 ってか、ここで断るとまたミースの目から光が無くなりそうだからな……。でも特に受ける授業が決まってなかったのは事実だし、まあロボット工学でもいいかな。


「あ、ありがとうございます! わたくしのために、占いのレッスンを捨ててくださるなんて」


「いや、捨てたわけじゃないんだが……。そもそも拾ってもいないし」


「では早速参りましょう。ロボット工学の教室はすぐそこですわ」


 うれしそうに廊下の先を指差すミース。彼女が喜んでくれるんだったら受けがいもあるし、ちょうどよかったかもしれない。


 そう思いながら俺とミースは歩いていくと、すぐに教室の前に着いた。「C2-2」がロボット工学の授業が行われる教室だ。その出入り口の前に立ち、俺が扉を開けようとする。


 ――と、俺が手をかけるよりも先に、扉の方が横にスライドした。


 扉の中から現れたのは、白衣に身を包んだ、背の高い女性教師だった。


「あっ――」


 俺が思わず声を上げる。そのとたん。




「きゃーーーーー!! やっぱり衿倉ミースじゃーん!!」




 その女性教師は、いきなりミースに飛びかかるように抱きつこうとしてきた。ミースはそれを光速でかわしたため、先生は勢いあまって頭から廊下に転がった。


「先生!?」


 驚く俺の横で、先生は何ごともなかったかのようにすぐさま立ち上がる。


「なんだ、つれないわねぇ、衿倉ミース。せっかく先生が愛の抱ようをしてあげようと思ったのに、どうして避けるのよ」


 残念そうな顔をするその先生は、でもすぐにまた満面の笑顔に戻った。


 鹿ヶかがせ知子ともこ。うちのクラスで物理学を教えている、まだ若い女性教師だ。


 すこしぼさぼさのロングの茶髪で、異様に目立つ四角いふちどりの真っ赤なメガネをかけている。なぜか夏でも冬でもかまわず白衣を着ていて、見た目は教師というよりも大学の研究者といったほうがしっくりくる。大きな瞳は常に好奇心に満ちあふれていて、興味のあることに出会ったら他のことを一切排除してのめりこむ、一直線な性格の先生だ。


 そんな鹿ヶ瀬先生が最もはまっているのが、人型ロボット――アンドロイドだ。


 自称「人生をロボットにささげた女」の鹿ヶ瀬先生は、初めて俺のクラスで物理の授業をしたとき「私の理想の男性――それは最先端・高性能・従順性をかね備えたイケメンロボットよ!」と高らかに宣言して生徒らを驚かせた――というよりぼう然とさせたくらいだ。


 先生は物理の授業であろうがなんであろうがかまわず、ことあるごとにロボットに関する話題を持ち出し、ある日には「おととい発表された明光社製の最新ロボットは私のタイプ。ストライクゾーンのど真ん中よ」と云ってわざわざ大判の写真まで用意して生徒にそのロボットみせた。そこに写っていたのは全身銀色の、金属骨格だけでできたいかにもロボットらしいロボット――人間っぽいところは頭胴体両手両足があることだけというものだったが、鹿ヶ瀬先生はその写真にほおずりし「この足の関節部分に使われてる軟化金属がキュートよねぇ」とうっとりしていた。当然、クラスメートはみんなどん引きだ。


 そんなマニアックというか、ロボットヲタクの鹿ヶ瀬先生の前にミースというアンドロイドが現れたものだから、もう大変だ。


 物理の授業になるたび、先生は嬉々としてミースに問題を答えさせる(このあたりは小革先生と対照的だ)。ミースは数学と同じようにすばやく物理計算式を答えるのだが、先生はその内容よりもミースの『声』それ自体に聞き入って「いまのはどういう発音機構になっているのかしら。マスターリミットか、それともシルバーボイス――ああ、もう一問用意するから、あなたの声を聴かせて!」と、完全に授業を先生の研究目的に私物化してしまっている。


 授業以外にも、廊下ではちあわせるたび「衿倉ミースの皮膚はどんな材料でできているのかしら。ちょっと先生にみせて!」と一瞬ですり寄ってきたり、ミースが学校を破壊するとどこから聞きつけてきたのかすぐにやってきて「先生がこのことをもみ消してあげる。その代わり今日の放課後、LL教室に来てくれる? そんな、たいしたことじゃないわよ。ただあなたの体にちょっと興味があるだけ。ウフフフフ……」と弱みにつけこんでミースを連れ込もうとしたり、常に先生としての一線をこえようと画策している、色々きわどい先生だ。


 その先生が、俺たちの前でいまにも食いつかんばかりに両目をギラギラさせている。


「か、鹿ヶ瀬先生。先生がここにいるってことは、もしかしてロボット工学を教えるのって……」


「もちろん、私に決まってるでしょう。この学校でロボットのことを私以外にだれが教えられるっていうのよ。それより二人こそ、ここにわざわざ来てくれたってことは当然ロボット工学の授業を受けに――」


「わ、わたくし、やっぱり遠慮しておきます」


 ミースは珍しく顔をひきつらせ、いつのまにか鹿ヶ瀬先生と距離をおいていた。


 ミースは、鹿ヶ瀬先生のことが苦手だ。


 あの傍若無人のアンドロイド・衿倉ミースがこの学園で唯一顔をあわせるのを避けている人間が、この鹿ヶ瀬先生。ってまあ、そうなるのも当然だ。なにせ、ミースのやることなすこと全てに対して異常なほど好奇な目を向けてくるし、たとえそれに対してミースが反抗したとしても――


「も~、恥ずかしがらなくていいのよ、衿倉ミース♪ 大丈夫。先生があなたのこと、手取り足取り面倒見てあげるから、何も心配しなくていいわ。とりあえず、今日のネタはあなたのこの腕の内部構造についてよ」


「!?」


 気がつくと、先生はミースの左腕をつかんでいた。


 ミースは俺の後ろにいたのに……。先生は彼女のことになると、こうしてたまに超人的な動きをみせる。


 腕を触れられたミース。その瞬間、ミースは反射的に腕の感電機能を発動した。


「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 しびれて焼け焦げる先生。俺が以前やられたのと同じやつだ。でも先生はなぜか笑みをうかべたままうれしそうに感電を受けている。


 ちりちりになった先生。全身がしびれたまま、先生はうわごとのように云った。


「ああ……いまのは何ボルトくらいの電撃なのかしら。あの細い腕からこれだけの電力を発生させるなんて――未知よ。未知の機構だわ。衿倉ミースの腕は一体どうなってしまっているのかしら。考えるだけでゾクゾクしちゃう……」


 廊下に転がりながら、なぜかうれしそうに身をくねらせる先生。ミースの顔が完全に青ざめている。


「み、壬堂さん。わたくし、やっぱり占い学を受けようと思います。行きましょう」


 そう云ってその場から逃げようとするミースに、一瞬で起き上がった鹿ヶ瀬先生が後ろから抱きつく。


「どこにいくの、衿倉ミース。まさかここまできて、先生の授業を受けない、なんてたわごとを言うつもりじゃないでしょうね……?」


「わたくし、先生の実験台になんてなりたくありませんっ!」


「あ~ら。だれもあなたのこと、実験台にするなんて言ってないわ。ただちょっとあなたの体を開いて中身を物色したいだけよ」


「同じことですわ! わたくし、生命の危機を感じますので、ここから緊急離脱しますっ!」


「そう、残念ね。もし先生の授業を受けてくれたなら、ほかの受講者全員を衿倉ミースの友達にしてあげようと思ったのに」


「えっ――」


 その言葉に、あれだけ先生を突き放そうとしていたミースが動きを止める。それをみて、鹿ヶ瀬先生の目がキラリと光った。


「聞いたわよ。あなた、友達がほしいんでしょう? なら保証してあげる。先生の授業を受けにきた生徒全員を、衿倉ミース。あなたの友達にすることを」


「そ……そんな約束、とても信じられませんわ。そんなことを言って結局、先生のレッスンはわたくしと壬堂さん二人だけなどという可能性も――」


「あら、知らないの? 自分で言うのもなんだけど、私の授業けっこう人気で、三十人くらいは毎回軽く集まるんだけど」


 その言葉に、ミースは表情を変える。それをみて、鹿ヶ瀬先生の目がいっそう輝く。


「衿倉ミースが来てくれたなら、あなた目当ての他クラスの生徒も来るだろうから、さらに人数は増えるんじゃないかしら。うまくいけば、専門科目最高記録の五十人参加も夢じゃないわ。それにあなた自身も、自分の体がどうなっているのか興味があるからロボット工学の授業を受けようと思ったんでしょう? なら、損はしないはずよ」


 まるで心を見透かしたかのような鹿ヶ瀬先生のセリフに、ミースは完全に足を止めた。


「……それは本当なんですね、先生」


「ええ。なにも先生の欲望だけであなたを誘おうとしているわけじゃないことだけはわかってほしいわ」


 先生の言葉に、ミースは少しのあいだ考えた後、俺に向かって決意したようなまじめな顔をみせた。


「……壬堂さん。わたくし、ロボット工学の授業を受けますわ」


「――えっ?」


「懸念はあるかもしれませんが……それを承知で、この授業を受けたいと思います」


 ミースの言葉に、俺は先生に聞こえないよう小声で云った。


「俺はかまわねえけど……本当にいいのか? 鹿ヶ瀬先生、絶対お前のこと、色々細かく調べたりすると思うんだけど」


 そう云いつつ、ちらと先生の方を見る。先生の目は妖しい光を放ちつつ、俺たち二人の方を見つめている。あれは絶対なにかたくらんでいる目だ。


 でもミースは、真剣な表情で答えた。


「はい。ですが、大きな成果を得ようとするなら、それに相応するリスクを覚悟しなければいけないと思うのです。墓穴に入らずんば虎子を得ず、ですわ」


 ミース、いつのまにそんなことわざ覚えたんだ。間違ってるけど。


「わたくしが友人をつくりたいのは事実ですし、自分自身のことをもっと深く知りたいというのも本当です。たとえ鹿ヶ瀬先生がわたくしの体をあれこれ詮索せんさくしようとも、この機会を逃しては後々まで悔いが残ると思うのです。ここはきっと、わたくしのアンドロイドとしてのターニングポイントなのですわ」


 ターニングポイントって、授業を受けるだけでおおげさだと思うんだが。


 でもミースがそういうなら、それを止める理由はない。俺はひとつ息をついてからはっきりと答えた。


「わかったよ。ミースがそういうなら、俺もロボット工学を受けるから」


「本当ですか? ご理解いただき、ありがとうございます!」ミースが頭を下げる。俺はそれに対して毎度のことながら対処に困ってしまう。


「あ、頭なんか下げなくていいから。単に友だちと一緒に授業受けるってだけだろ。他のやつらだってみんなそうしてるって」


「そうですか……。わたくしは壬堂さんのことを友人と思っておりませんが、その言葉はありがたく頂戴しておきます」


 それはもういいって。悲しくなるから……。


 俺がいつもどおり泣きそうになっていると、鹿ヶ瀬先生が俺とミースの肩を軽いノリでばんばんたたいてきた。


「よしよし。決まりね。は~い、ロボット工学、お二人様禁煙席にご案内で~す!」


 ファミレスか。


 先生がさっそうと教室に入っていく。なんだかこの授業もただではすまなさそうだな。そう思いながら、俺も教室に入ろうとする。


 そのとき。


「――壬堂さん」


 ミースがとつぜん、右手の人差し指と親指で俺の左腕をつまむ。それに気がついてミースの方をみると、彼女はうつむき加減のまま足を止めていた。


 そして、つぶやくように口を開く。


「わたくしが――わたくしが万一、鹿ヶ瀬先生のよからぬ行為のせいで機能を停止させてしまったら――壬堂さんに、キスをして頂きたいのです」


「え?」


 キス?


 予期しない単語が飛び出して疑問の表情を浮かべる俺に、ミースはもう一度云った。


「接吻、と言った方が伝わるでしょうか?」


「いや、言葉の意味はわかるんだけど……なんで?」


「わたくしの全機能が停止した場合、他人と唇を重ねる、という行為により生体プログラムが再起動されるからです。『その方がろまんちっくだから』と、お母様がわたくしの唇に再起動ボタンを設定してくださったのです」


 白雪姫の見過ぎだお母様。


 ――でも、本当に緊急時には、そうするしかないのか。俺はついミースのやわらかくふくらんだ淡い桃色の唇をみてしまう。


 その唇が開き、ミースがまた言葉をつむいだ。


「ですので――わたくしが生命の危機に陥った際は、きっと、助けてくださいね。わたくし、壬堂さんを信じてます」


 いつもより自信なさげな、小さいミースの声。どこか不安そうな視線を、彼女はこれから向かう教室の内側へ投げかけていた。悩むようにまぶたを少し伏せた後、俺の方を上目づかいで見上げた彼女に、俺の心臓が急に高鳴った。


 真っ白な肌の端正な顔立ち。それに、可憐さという色味が差した。


 つらい状況に自らとびこむと決めた。でも期待を上回る不安に、ひとりでは押しつぶされそうになる。そんな心情が、彼女の様子から見てとれた。


 この授業は、ミースにとって身体的にも、精神的にも苦痛を伴うものになるかもしれない。それでも彼女は、友だちを増やしたいから、そして、自分自身のことをもっと知りたいから、この授業を選んだ。アンドロイドだけど、人間じゃないけど、彼女は勇気を出して、決断したんだ。その決断に対して、俺ができることはひとつ。


 彼女を、守る。


 俺は左手でミースの右手をとり、強く握った。安心させるように。信頼してもらえるように。


「ああ、心配すんな。鹿ヶ瀬先生がなにをやってきても、お前は俺が絶対守ってやるかがががががががががががががががががががががががががががががががががががががががが!!!!?」


 感電。






 しびれて廊下につっぷした俺に、ミースはにっこり微笑みながら云った。


「淑女の手をいきなり握るのは紳士的ではありませんわ、壬堂さん。わたくし、びっくりいたしました」


 お前からつねってきたんじゃねえか……。


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