第1話 プリンセス様、教室を破壊なさる
世界が、縮小していく。
灰色の空にぽっかりと空いた黒いワームホール。すべてのものが、渦を巻きながらその暗闇の穴に飲み込まれていく。
車も、ビルも、木も、山も、海も、空も。そして人も。
あらゆるものを吸い尽くしながら、巨大な闇が上空から不気味な口をあけて、エルのもとに迫ろうとしていた。
もう学園にはだれもいない。生徒も、先生も、みんな遠くへ避難していた。でもどこへ逃げても、ワームホールはどこまでも彼らを追いかけ、やがては地球そのものを飲み込むだろう。逃げ場所は無い。宇宙にでも行かない限り――いや、宇宙に行ってさえ、彼らを待つのは結局「死」しかなかった。
科学者も、自衛隊も、さじをなげた。外国の軍隊も、とても手を出せない。どうしていいのか分からなかった。ただ手をこまねいて、地球に突如やってきた無機質で不条理な悪魔をぼう然とながめることしかできなかった。
無力だった。なすすべが無かった。
たったひとり。エルをのぞいては。
吹き上げる激しい風が、白く長い髪を乱す。それにかまうことなく、彼女は運動場の真ん中にしっかりと立ち、近づいてくる黒く濁った空をじっと見すえていた。
「だめだよ、エル! それを使ったら、あなたの体は二度と元に戻らなくなる!」
学生服に身を包んだままの和美が後ろから叫ぶ。エルはゆっくりと、彼女の方を振り返った。
これまでになく優しい、でもどこか悟ったような、あきらめのみえる表情で。
「カズミ。世界中の人々が、あの黒い空に恐怖しています。それを止められる可能性があるのは、たぶん、私だけなのです」
「そんなの関係ないよ! なんでエルが全部背負いこまないといけないの!」
「これは、使命だと思うのです」エルはなぜか微笑んだ。「神様から授かった、私の使命。ただロボット工学の研究のために開発された私に与えてくださった、神様からの生きる意味。それがいまこのときだと、私は思っています」
「そんなの理不尽だよ! エルは優しいから、ただ都合のいいように解釈してるだけ……。エルはもっといっぱい生きて、いっぱい楽しいこととか、うれしいこととかを知らなきゃいけないのに――」
和美の両目から涙があふれる。エルはそこではじめて、困った顔をみせた。
「カズミ……泣かないで下さい。私はこの一年、カズミのいるこの学園で生活できて、とても幸せでした。どうか私に、恩返しをさせてください」
「エル……」
「カズミ。私のこと、忘れないでくださいね」
「忘れるわけ――忘れるわけないよ――。絶対忘れない!」
こぼれる涙を両手でぬぐいながら、あえぐように云う和美。それをみたエルは、小さくつぶやいた。
――ありがとう。
再び空を見上げるエル。もう、彼女が和美をふり返ることはなかった。
きつく引き結んだ口元。にらむように、全ての元凶である黒い悪魔、ワームホールを見すえる。
エルは右腕をまっすぐ斜め前方へつき上げ、それを左手で支えるようにした。足を開き、手のひらを空へ――ワームホールへ向ける。
「μEnterain最終ロック解除。教師付き熱次元式空間映像解析完了。螺旋型マイクロエネルギー補充――完了。放熱システムオン」
エルの右腕の一部が開く。中には人間の血肉ではなく、複雑に組み込まれた精密な機械構造がみえる。
アンドロイドであるエルが、身体に蓄積した全ての力を用いて放つ、戦闘兵器。
「エル……!」
和美の目の前で、エルの手のひらから丸く赤い光が発せられる。それはどんどん膨張し、すぐに彼女の何倍もの直径にふくれあがる。
地球を飲み込むワームホールを打ち消すための、最後の光。それは地球人の希望の光でもあり、彼女自身の命の光でもあった。
「攻撃目標ロックオン。エネルギー発動準備完了。レーザー砲撃体勢準備完了――」
エルは一瞬だけ目を閉じた。集中力を高めるように。そして神に――アンドロイドから最も遠い存在である運命に、祈るように。
そして――
エルは、ワームホールに鋭い視線を向けた。
「ネオスカーレット・キャノン、発射!!」
エルは――
自分の命の光を、撃ち放った。
すさまじい撃音があたりにとどろく。赤く美しい光の帯がほとばしり、地面を揺らし、空を切り裂き、一直線に暗闇へと向かっていく。
「エルーーー!!」
和美は叫んだ。まばゆいばかりの光に目が痛むこともかまわず、自分の全てを賭けたエルの砲撃に、まるで自分の声を乗せるように。
赤い光が空へのびる。太陽の光を隠した暗い雲へ――その向こうにある、悪魔の穴、ワームホールへ。
光が、暗闇へ届く。
そして――
ワームホールを消滅させられるのか!?
そして、エルは無事なのか!?
→次回へ続く
「……なに読んでんだ、ミース」
俺が教室に入ってすぐ声をかけると、席に座っていたミースが振り返った。
「あら壬堂さん。わたくし『マンガ』というものを読んでおりますのよ」
そう云うと、ミースは手にした雑誌を俺にみせてきた。なにかと思えば、俺も毎週読んでいる週刊マンガ雑誌「ヤングアフタヌーン」だ。
「どこからこんなものもってきたんだ?」
「環田さんにお借りしました。マンガは人間ならだれしもライフワークとして読んでいると環田さんがおおせでしたので、わたくし読んでみたいと申し上げましたら、手持ちのものを一冊頂くことができたのです」
相変わらずマンガのことになるとおおげさだな環田。
「最初は絵と文字を同時に読みこまなければならなかったので解析が難しかったのですけれど、慣れればとても興味深いものだということが分かりましたわ」
「なんだよ解析って。――でもまあ、面白かったんなら、よかったじゃねえか」
「ええ。でもひとつだけ気になることが」
「気になること?」
俺が訊くと、ミースはマンガの下端に小さく書いてある文章を指差した。
『この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません』
「これがどうかしたのか」
「フィクションとは、架空の物事という意味ですわ。でもこのマンガには実在するものを正確に再現したものがあります」
するとミースはページを再び開いた。出てきたのは、さっきミースがみていた「CODE911:学園消失」という学園SFものの、いちおうそれなりに人気のあるマンガだ。今週は、主人公のエルというアンドロイドが地球を救うために自分の命を賭けるという、ちょうど物語の中でも佳境の場面だ。
だけどミースはアメジスト色の瞳を細め、不思議そうな顔をする。そこには「ネオスカーレット・キャノン、発射!!」のコマがあった。
「これのどこがフィクションなのか、それがどうしてもわからないのですわ」
「俺にはこれのどこがフィクションじゃないのかがわからないんだが」
エルというアンドロイドも、地球を飲みこむワームホールとかいうのも、それにむけて彼女が放つ武器も、どう考えても全部フィクションだ。
「あら。そんなことはありませんわ。少なくともこれは確実に実在します」
ミースが指差す。そこにはエルの手のひらから出た赤い光線、地球を飲み込もうとする謎のワームホールをつき刺す、超大型のレーザーキャノンがある。
「ネオスカーレット・キャノン? ウソだろ。こんなの実在するわけねえよ。ミサイルより強力なんだぜ」
「あら。でしたら、いまからお見せいたしますわ」
そう云うと、ミースはおもむろに立ち上がり、右腕を斜め上へつき出した。それを支えるように、下から左手を添える。
俺が尋ねる前に、ミースはひとりごとを云い始めた
「μEnterain最終ロック解除。教師付き熱次元式空間映像解析完了。螺旋型マイクロエネルギー補充――完了。放熱システムオン」
ミースの右腕の一部が開く。中には人間の血肉ではなく、複雑に組み込まれた精密な機械構造がみえる。
「み、ミース……?」
俺の目の前で、ミースの手のひらから丸く赤い光が発せられる。それはどんどん膨張し、すぐに彼女の何倍もの直径にふくれあがる。
「ま、待て、ミース……なんかものすごくイヤな予感がするんだけど……!」
「攻撃目標ロックオン。エネルギー発動準備完了。レーザー砲撃体勢準備完了――」
ミースは一瞬だけ目を閉じた。集中力を高めるように。そして神に――アンドロイドから最も遠い存在である運命に、祈るように。
そして――
すぐさま、教室の外にある青空へ――そこにワームホールでもあるかのように、鋭い視線を向ける。
「ネオスカーレット・キャノン、発射!!」
それと同時に、ミースの手から、激しいごう音とともにまばゆいばかりの赤い光がほとばしった!
教室の壁に直径3メートルの穴が空いた。