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7/10

 

 翌日、百合は会社を休んだ。疲れがたまっていたのもあったし、秋都と話して気持ちがいくらかすっきりとして、気が抜けたせいもあるかもしれない。

 まだ声の高い、少女のような少年を思い出し、百合は自然と心が穏やかになった。

 不思議な少年だと思う。彼が人を殺しているのは確かに見たのに、怖いとは思えないのだ。優しい少年だと思う。大きなものを背負い込んでいるらしく、ときおり暗く沈んだ目をみせるが、彼と話していると心が穏やかになる。まっすぐで純粋な心を持っている子だ。

 ベッドの中でまどろんでいると、玄関を開ける音が耳に入った。

 憲治、だろう。合鍵を持っているのは彼しかいない。

 百合はもそもそとベッドから下りた。ほんとばかな女だと思う。昨日、秋都といる間は絶対に別れようと、あんな男好きでもないと思っていたのに。嬉しさに胸を躍らせている自分がここにいた。

 約束守れるのかしら。百合は思わず苦笑をもらした。

 玄関へ出向くと憲治が驚いたような表情をした。普段、この時間は会社へ行っているのだから当然だ。

「いらっしゃい」

「なんでいるんだよ」

 笑顔で出迎えると不機嫌そうな声が返ってきた。

「ちょっと体調が悪くて、仕事を休んだの。でも、たいしたことはないのよ」

 ぐっすりと眠ったせいで体調はよくなっていた。

「なんだよ、よりによって」

 憲治がぼやく。

「ちょっとぉ、話がちがうじゃない」

 憲治の背後から女の声が聞こえて、百合は身体を強張らせた。今のは自分の聞き間違いだろうか。

「ああ、悪い。今、部屋空けるから勘弁な」

「ならいいけど。早くしてよね」

 聞き間違いなどではない。確かに今、百合は憲治の後ろにいる女の姿を見ている。

 二十歳頃の若い女だ。長い茶髪に緩くパーマがかかった、短いデニムのスカートとキャミソール姿の女。ミニスカートから伸びた足はもちろんストッキングなど履いていない。急に今の自分のパジャマ姿が恥ずかしくなった。

 女と目が合った。若いのに隙のない化粧をした大きな目が自分を馬鹿にしているように見えた。

 百合は思わず憲治の腕を掴んだ。

「この子誰」

「あ? お前に関係ないだろ」

「関係あるわよ。浮気だけはしない、っていってたじゃない!」

 憲治はめんどうくさそうに片眉を上げた。

「浮気だけはしないって。していない、っていってたでしょう? だからどんなに殴られても、私だけを愛してくれているんだって、我慢していたのに」

 暴力を振るったあと、憲治は必ず優しかった。不器用なのに料理も作ってくれて、食べたいものも買ってきてくれた。

 殴って御免な、と謝って、百合だけを愛していると何回言われたことか。その言葉を百合は信じていた。

「我慢していただって?」

 憲治は低く笑った。次の瞬間、百合に憲治の平手が飛んで来た。衝撃に百合は玄関に倒れこむ。口中に錆びた味が広がった。

「我慢するくらいなら別れればいいだろ。俺はお前に付き合ってくれなんて頼んでいない」

 目に涙がにじむのは痛みのせいなのか、悔しさのせいなのか。

「ねえ、あたし帰るよ。お取り込み中みたいだし」

 女はそういうと憲治が止める間もなく、帰っていった。せっかくの予定が台無しになった憲治の苛立ちは百合に向けられた。

 ドアの閉まる音がやけに静かに感じた。

「てめえのせいで、台無しだ!」

 再び、平手が飛ぶ。

「……私がいるじゃない! どうしてよ! 百合だけを愛しているって何度も」

「私がいるって、ふざけんなよ。自分の姿を見てみろよ! 女の色気も何もないお前があいつの代わりになるわけないだろ! もう、女として終わってんだよ」

 憲治は百合を蹴る。一度蹴り出すと、止まらなくなったかのように蹴り続けた。百合はうずくまるだけで抵抗などできなかった。きっともうすぐ憲治もやめる。そしてまた優しく百合に触れるのだ。

「だいたい気持ち悪いんだよ。いい年こいて、ぬいぐるみなんて集めて。もういい。お前とはこれで終わりだ」

 いつもと違う様子に百合は顔を上げた。涙と血で顔はぐちゃぐちゃになっていた。

 背を向けた憲治の足を百合は掴んだ。みっともないとわかっていても、すがりつけずにはいられない。

「お願い、待って。私、変わるから。もっと――」

 百合の言葉を無視して、憲治は腕を振り解くようにその顔面を蹴った。そのままなにも言わず部屋を出て行った。

 百合はぼやけた視界で後ろ姿を見送ることしかできなかった。


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