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 やっぱり引き返そう。

 そう思い振り返った秋都は、目的の人物が向こうからやってくる姿を目にし、その場から動くことができなくなってしまった。

「あら、秋都くん」

 気づいた百合が、変わらない笑みを秋都に向けた。今日もスカーフを首に巻き、長袖のシャツを着ている。暑くないのだろうか。冬馬が自分にも気づいてくれといわんばかりに尻尾を振っていた。

「冬馬も。久しぶりね、元気だった?」

「まだ五日しか経ってないよ」

「でも五日も会わなかったのよ。どうしたの?」

「この町を出るから挨拶しようと思って。夕飯もごちそうになったし」

 そうなの、と言った百合の表情は寂しげだった。

 本当ならあの日、すぐに出るはずだったのだが決心がつかなかった。百合にまで危害が及ぶかもしれないとわかりつつ、もう一度この笑顔を見たかったのだ。

「お姉さんのカレーライスおいしかったです。……それじゃあ、お元気で」

「待って」

 百合はあの夜と同じようにスーパーのビニール袋を持っていた。

「せっかくだから食べていって」

 断るべきだと思いつつも結局秋都は断れなかった。うれしさを隠すように俯いて、ただ頷いた。

 

 三階の部屋の鍵を開けると、百合は思い出したように手を止めた。

「部屋が散らかっているのを忘れていたわ。ごめんね、ちょっと待っていてくれる? すぐに片付けるから」

「おれも手伝うよ」

 申し出に百合は全く怖くない目で睨んだ。睨んでも目が笑っているのだから、子どもでも怖がらせることはできないだろう。

「秋都くんにとってはおばさんだけど、これでもレディーなのよ。見られたくないものもあるの」

「わかったよ。でも、おばさんじゃないよ」

 ありがとう、と百合はドアの外に秋都たちを待たせて部屋に入った。

〈本当にこの町を出られるのか〉

 足元に伏せた冬馬が訊く。

「出るよ。ずっといたら彼女にも迷惑をかけるかもしれない」

 寂しいのは少しの間だ。すぐに百合を忘れる。百合もきっと秋都を忘れる。今までだってそうして町を転々としていたのだから。

 ぴくりと冬馬が頭を上げた。百合の部屋のドアを見ている。どうしたと訊く前に冬馬は答えた。

〈秋都、血の匂いが〉

 考えるよりも先に秋都はドアに手をかけた。まさか、あいつらが。

 嫌な予感に胸がざわつく。

 部屋に入った秋都はその光景に呆然とした。床にはあの日飾られていたぬいぐるみたちが散らばり、中には破けて綿が出ている物もあった。観葉植物が叩き割られ、土がこぼれている。割れた食器も床に落ちていた。

 秋都は破片も気にせず部屋に踏み込んだ。小さな痛みが足裏に走るが関係なかった。

「秋都くん……」

 台所にいる百合が驚いたように秋都を見た。百合一人である。秋都は部屋を見渡したが、他に誰かがいる気配も感じられなかった。

 見ると、百合は手に包帯を巻いている最中だった。どうやら割れた食器を片付けているうちに手を怪我したらしい。それで流れた血に冬馬が反応したのだ。

 ほっとすると同時に秋都は部屋の様子の異常さに疑問を抱く。

「待っていてね、って言ったのに。しょうがないわね」

 微笑った顔はいつもとは違い、力のない疲れきったものだった。

「どうしたの、この部屋」

「朝、ちょっとむしゃくしゃしていてね。大人もいろいろとたいへんなのよ」

 包帯を巻き終わると百合は箒を握った。秋都はとっさにその腕を掴んだ。この部屋散らかしたのが百合だとは思えなかった。

 困惑の表情で自分を見る百合の姿に秋都は一つの考えに行き着いた。真夏にも関わらず、長袖のシャツを着て、スカーフを巻いている百合。

「秋都くん、離して」

 抗議の声を無視して、秋都は百合の袖をまくった。

 細い腕に大きな青あざがあった。反対の腕も袖を捲ると同じようにあざができていた。この分だと隠れている部分にはほかにもあざが出来ている可能性が高い。

 ならスカーフが隠しているものは?

 秋都はそっとスカーフを外した。百合はもう何も言わなかった。

 そこには明らかに男の手で首を絞められた痕があった。薄くはなっているが、はっきりと確認できる。

「誰にやられたんだ」

 秋都の声はいつもより低い。問いながらも予想はついていた。あの日、彼女の部屋を訪れたあの男しかいない。

「あいつにやられたんだな」

 百合は答えなかった。秋都は百合に背を向けた。

「秋都くん?」

 普段とは違う様子の秋都に百合は不安げに呼びかけた。

「行ってくる」

「どこに行くっていうの」

「男のところだよ。お姉さんを傷つけた奴のところに」

 居場所はわからない。でも冬馬がいる。一度会っている人間なら冬馬ならば居場所を突き止めることができる。幸いにして日もそう経っていない。

「違うのよ!」

 百合が秋都の腕を掴んだ。

「階段で転んだのよ。ぼうっとしているからよく物にもぶつかるし」

 必死な百合の様子が痛々しく、秋都は泣きそうになった。

「私だってストレスもたまるし、何かに当たりたくなるときもあるのよ。それに――」

「――いいよ! もうわかったよ」

 秋都は言葉を遮った。これ以上百合の言葉を聞いていられなかった。

「どうしてそんな奴を庇うんだよ……」

 ごめんね、と百合はそれだけ呟いた。


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