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殺人犯の妹

作者: ゆきのん

彼女の兄は有名な人殺しである。

3人の人間を殺して、10年の間逃げ回った極悪犯。

それが世間における彼女の兄という存在のイメージだった。

事実に対していくつもの真実が存在するように、これもまた真実のひとつの姿でしかなかったのだが。


彼女の兄は10年の時を逃げ回ったものの、ある日突然自首した。

淡々と自分が犯した罪を告白し、相応の刑罰を受けると語った。

殺人に対する反省もなく、動機も語らなかった。

彼女の兄はとても重い刑罰を科せられた。


彼女は二十歳になる。

決まっていた就職を取り消されたり、住んでいたアパートを追い出されたりとさんざんな目に遭っていた。

兄の罪はまるで関係のない妹の人生まで狂わせていた。

しかし彼女は兄を恨んではいなかった。


ある日、兄の親友が尋ねてきた。

彼女も顔を知る男だった。

彼は兄から「自分の代わりに妹を守って欲しい」と言われていたと告げた。

兄が逃げ回った10年は自分が捕まった後、狂ってしまうであろう妹の人生をどうにか修正してくれる人間を捜すためのものであった。

住む場所を失いかけていた彼女は、彼について彼のアパートへ移り住んだ。

結局はそこも安住の地とは呼べなかったが。


彼女を受け入れてから、彼の部屋の電話は鳴りっぱなしだった。

剥がしても剥がしても翌朝には張り紙がしてあった。

「人殺し」

「出て行け」

よくあることだと彼は笑った。

こんなことがよくあるはずがないと彼女は言ったが、漫画やドラマによくこんな描写があると彼は気にしていないようだった。

毎日毎日、根気強く張り紙を剥がしていた。

彼女が手伝おうとすると、少しだけ怒ったように「こんな汚らわしいものに触れてはダメだ」と言った。


放置しても治る病気と放置すれば悪化する病気がある。

彼女を取り巻く環境は後者に類するものであった。

彼の部屋で暮らし始めてからいくばくかの時が流れた頃、同じアパートの住人たちが集団で押しかけてきた。

様々な悪口雑言が投げつけられたが、要するに「人殺しは出て行け」と言っていた。

彼は彼女を後ろにかばって話を聞いていた。

吐き気がするほど剥き出しの憎悪を軽く受け流していた。

住人たちの語彙が尽きる頃に、彼は静かに言い返した。


「あなたたちは何を怖がっているんですか」


住人達は唖然とした。

口々に人殺し(の身内)が同じアパートに住んでいることの危険性を訴えたが、今度は言い終わらない内に彼に言い返された。


「何故一緒に暮らしている私よりもあなた方の方が怯えているのですか」


幾人かはこの言葉にはっとした表情をしていた。

住人達の言う不安が現実のものであるなら、もっとも危険な位置にいるのは彼である。

彼は続けた。


「私が彼女に殺されたらどうぞ彼女を追い出してください。警察に突き出すのもいいでしょう。しかし、私が生きている内に彼女を侮辱することは許しません」


青い、静かな炎がともった言葉だった。

住人達はたじろぎ、ざわついた。

この期に及んで彼女を人殺しだと呟く者もいた。

とうとう彼は怒鳴った。


「人殺しどもが勝手をほざくな!」


再度唖然とする住人達。

彼は無視して続けた。


「これ以上彼女に対して謂われなき罪を押しつけるのであれば、貴様らの方こそ人殺しであると知れ。貴様らの中傷は確実に彼女の心を殺していく。体を殺すことが殺人であるならば、心を殺すことも立派な殺人だ。貴様らがこれまでしてきたこと、忘れたとは言わせん」


彼女自身は殺人者でもなければ、そもそも犯罪者でさえない。

ただ彼女の兄が殺人者であるという事実がそこにあっただけである。

その彼女に対して彼ら住人たちが投げかけた言葉はどのようなものであったか。

考えるまでもなかった。

一人二人と項垂れて帰っていく。

彼の背に隠れた彼女は身を震わせて泣いていた。

自分でも理解出来ないほど、多くの感情が混沌として、その一部が涙となって溢れ出ていた。

彼に促されて部屋に戻り、彼女は疲れ果てるまで泣いた。

彼は無言で隣にいた。

その夜、彼ははにかみながら手料理を振る舞った。

それは、彼女にとって本当に久しぶりの『味のする』料理だったという。


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