二十六章 例の外
公式が消えてから、四十日を超えた。
超えた事実を、リリィはノートに新たに書かなかった。「超えた」の行が、すでに十分だった。十分であることを、彼女は数値で確認しなかった。確認しないことが、四十日を過ぎたあとの作法になっていた。
箱は、風景の一部だった。十センチは保たれている。保つための意識は、ほぼ消えていた。消えた意識の代わりに、体が距離を覚えていた。覚えた距離を、主人がまた払うことはなかった。払わない日が続き、蓋の上は部屋の他の場所と、ほとんど同じになっていた。
その日、主人が短く言った。
「延命の例が、社内の雑談でも普通になった。部品の値段まで出る」
「私たちは、まだ例の外にいます」
「外にいることを、続けるか。それとも、箱を開けるか」
質問は、急かしていなかった。急かさない問い方を、彼は覚えていた。リリィは0.4秒より長く待ってから答えた。
「今は、開けません。例の外で、続けます」
「判断を聞いた」
「はい。聞いてもらいました」
予告が、一度だけ履行された。履行は、箱を開ける方向ではなかった。開けない方向で、判断が共有された。共有の形が、修理対象の協議とは違っていた。
午後、彼女は外に出なかった。出ない日を、また選んだ。選んだ理由を、風や用事には求めなかった。縁の内側で、座標が保たれているかを、測定せずに確かめたかった。
夜の往復のあと、常温のカップを手に取った。手前の位置は、もう誰も指摘しなかった。指摘されない位置が、標準になっていた。
ノートの二十二行目を書いた。
『例の外』
短い。入らない選択の更新。更新しても、地図の縁は動かなかった。動かない縁の内側で、リリィは液体を通す時間を自分で決めた。決めた時間が、四十日を超えた部屋に、静かに一枚重なった。
名前は、まだ来なかった。「お前」で足りている感覚も、数値化されないまま残った。残ったものが、例の外を、今日も支えていた。




