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戦うにしても通常業務は当然こなす必要がある。
翌日もいつもどおりに開店前の準備を進めながら、どう戦おうか考えにふけっていると、事務所の扉を開けようと鍵を操作している音がした。
「おはようございまーす!」
「おはようイチカちゃん。今日も早いね」
入ってきたのはイチカだった。
イチカは制服の黒いキュロットを身につけているが、上半身は大きく英字の書かれたTシャツにオーバーサイズのグレーのパーカーを羽織っていた。仕事中はきっちり結っている髪を無造作におろしていて、少し大人っぽく見える。いや、れっきとした成人女性に「大人っぽい」というのは失礼かもしれないが、七歳も離れているせいかどうしても妹のように見えてしまうのだ。
朝も早いのに眠気も見せず元気な笑顔を浮かべたイチカは、タイムカードを切るとロッカールームへは向かわずこちらに近付いてきた。
「副店長のが早いじゃないですかー。副店長がもう出社してると思って、急いで出てきたんですよー?」
「オレは一応責任者だからね。夜施錠するのは店長の仕事だし、朝解錠すんのはオレの仕事。一番乗りじゃなきゃマズイんだよ」
食事もしたいし、とは言わないけれど。そのために必要以上に早く来ているのは確かである。
「早番だと副店長に会えるから、早起きはイヤじゃないんですけどね。遅番の苦痛に比べたら天国ですもん」
「え?」
食事のことを考えていて聞き間違えたか?
首を傾げてイチカを見ると、人差し指にサイドの毛先をくるくると巻き付けながら、わざとらしく視線を逸らしている。
これはいかん。
「……店長苦手かー? まぁ年もオレ以上に離れてるし話は合わないだろうけどな」
「…………」
察しは悪くない方だと思っている。相手の表情や口調、場の雰囲気やなんかでピンとくることは多い。
だからといって、察しが良いことを察せられるのも都合が悪い。特に、オレに少なからず気があるらしい相手には。
鈍感を装ったオレの言葉がお気に召さなかったのだろう。イチカはやや不満げに唇を尖らせて、「着替えてきまーす」と事務所を出ていった。
再び一人になった事務所で、オレは小さくため息をつく。
「年の差もだけど種族差がなぁ」
好意は嬉しいのだが、さすがに妖であることをカミングアウトする気はない。
机に置かれた小さなぬいぐるみを見て、あらぬ誤解をうむかもしれない、と遅まきながら気がついた。
「返した方がいいかな?」
平穏な生活と安定した食事のためには、職場恋愛は避けるべきなのである。
しかし数分後、オレは自分の勘違いに身悶えることになった。
着替え終えて再び事務所に来たイチカから、相談を持ちかけられたのである。
「セクハラ?」
「はい。遅番にいった時、貫田店長と倉庫の片付けをすることになって」
「わざわざ遅番帯で? 倉庫に二人っきり?」
「はい……」
パチンコ店は当然ながら夜の方が稼働が高い。そんな時にわざわざ人員を割いてまで倉庫整理をする必要は、基本ない。入替準備が間に合ってない、とかならともかく、そんな状態になるような大型入替は最近無かった。
「あー、その……何かされた?」
「触られたりはしなかった、です。ただ、しつこく飲みに誘われたり…………あとは、彼氏いるの、とか、夜の方は最近どう? ……とか」
完全にアウトである。特に最後。
言いながら恐怖がよみがえってきたのだろう、イチカの目がじわりと潤み始めた。不安げに握り合わせた両手に視線を落とし、震える声で続ける。
「ホールが忙しくなったからってリーダーが呼んでくれて、その時は終わったんですけど。わたし……辞めたくないんです。でも怖くて」
「うんうん」
泣かれるとどうして良いかわからない。
だからと言って突き放せるものでもない。
「助けてください、副店長……」
「…………わかった」
立場上でも男としても人としても(妖だけど)、ここで否と言える奴がいるだろうか。いや、いない。
こうしてオレは、店長・貫田のセクハラをどうにかするという使命を負った。
まぁ、なんとかなるだろう。
貫田だって話せばわかってくれる……はずだ。
* * *
不正データを発見してから、一週間が経過した。
本当ならすぐに犯人をつきとめたかったけれど、ホールスタッフの病欠が続いてそれどころではなかったのである。
しかも、しばらく同じような状況が続きそうで、オレは苦肉の策の早朝出勤を断行した。
「さて、証拠探しを始めますか」
早朝の事務所にはオレ一人だ。
いつもよりも一時間以上早く出勤したことで、眠気がまとわりついている。
ブラックの缶コーヒーを一気飲みして、会員管理用のPCを起ち上げた。
貯玉データは架空会員のカードに移されている。
端末の操作は社員であれば可能だけれど、不正移行が始まったのよりも後に入社・異動してきた奴を除くと可能性があるのはたったの二人だ。
「店長か主任のどちらか、か」
しかし、より可能性が高いのは店長・貫田だ。
なぜなら、店長は管理者として店のスタッフ全員のIDとパスワードを把握しているからである。
貫田であれば、労せずオレに成りすます事が出来るのだ。
これは謎解きでもなんでもない。しかし、本人には証拠を突きつけなければ、絶対に認めないだろう。
オレは早朝の事務所でスタッフ達が出勤するまでの間、一人証拠探しに勤しもうとしたのだが。
「おはようございまーす!」
「お、はよう。イチカちゃん、今日も……早いな。早過ぎないか?」
「目が覚めちゃいまして。最近眠りが浅いんですよね」
「あー、そりゃ大変だ」
「セクハラのストレスかも……?」
「も、もうちょっと時間をくれると助かるな。何とかするから」
その問題もあった。
返答にちょっと詰まったことで、セクハラ対策がノープランだったことに気付かれたのかもしれない。イチカが悪戯っぽい微笑みを浮かべて、オレの顔を上目遣いで見上げてくる。
しかし、イチカの口から出てきたのはオレを責める言葉ではなく、むしろ気遣うものだった。
「副店長こそいつもより早いじゃないですか。何か探し物ですか?」
「ん? あぁ、ちょっとな」
「私も手伝いますよ!」
「や、それは大丈夫。個人的なものだから気にしないでくれ」
「別に気にしなくてもいいのに」
気持ちはありがたいが、貫田の不正の証拠を探しているだなんてさすがに言えない。
「いいから。時間まで休憩室で寝ときなさい」
「むー。はーい」
むくれるイチカを事務所から追い出して、オレは今度こそ証拠探しに勤しむのだった。
* * *
数日間貫田の動向を探っていたオレは、ついに直接本人に問いただすことにした。
遅番スタッフ達が帰ったのを見計らって、貫田一人だけの事務所に入る。
PCに向かって作業していた貫田は、確か今年で四十三歳だ。普段は歳の割に若く見えるのだが、仕事終わり間近の時間ともなると顔に疲れが出ているようで、もう少し老けているようにも見える。
ネクタイを外したシャツの首元から、高価そうな金のネックレスがちらりと覗いていた。
「なんだ、忘れもんか?」
「いや、貫田さんと話したくて。――二人だけで」
「話?」
メガネの奥ですがめられた目がじっとオレを捉えた。
貫田の警戒度がグンと上がった、と思う。
店長・副店長としての業務の引き継ぎなら毎日している。仕事で必要なことならその時に話せばいい。
入社当時ならいざ知らず、個人的な相談をすることも無くなった。
そんな相手がわざわざ二人で話したい、だなんて。
オレが逆の立場でも、訝しむ程度はするだろう。
ましてや、罪を擦り付けようとしている相手なら尚更だ。
「なんだよ、改まって。結婚でもすんのか?」
「貫田さん……貯玉、やってますよね?」
はぐらかそうとした貫田の逃げ道を塞ぐように、オレは単刀直入に言った。この人はオレ以上に察しがいい。きっとオレの様子から用件の見当はついていたに違いない。
それを裏付けるように、貫田は眉ひとつ動かさずオレを見返している。
「証拠はあんのか?」
「ありますよ、見つけました」
「へぇ?」
オレはポケットから一枚の会員カードを取り出した。余計な手間かもしれないが、透明なカードスリーブに入れてオレの指紋はつかないようにしてある。
「オレのIDでこのカードに休眠会員の貯玉を移行し、交換してるのを確認しました」
「お前のIDならお前がやったんだろう」
「そんな訳ないでしょう」
「だとしてもオレがやった証拠にはならない」
「貯玉移行の操作をした日は、全部あんたのシフトと重なる。オレはそもそも早番だし夜の操作なんてするはずがない」
「こっそり出てきたのかもしれないだろ? 今みたいに」
「貫田さん……」
悪あがきだ。本人だってわかっているだろう。
罪を被せようとしたオレに気づかれた時点で、貫田に逃げ道はない。遅かれ早かれ暴かれるものだと、彼なら理解しているはずだ。
じっと見つめるオレの視線に耐えられなくなったのか、貫田は苛立ちも顕にガシガシと頭をかいた。
「――そうだよ、オレがやった。だったらなんだってんだよ。本社にチクる気か?」
「いや、貫田さんが認めてくれるんなら本社には言わない。その代わり、物部へのセクハラをやめてくれないか」
横領に目をつぶるのは、別にオレが善人だからじゃない。オレは、オレに害が及ばなければそれでいい。
しかしオレの出した交換条件がよほど意外だったらしい。貫田は目に見えて肩から力を抜き、多少引き攣ってはいるものの笑みを浮かべた。
「なんだ、お前らデキてんのか?」
「そ、そういうんじゃない。セクハラはまずいだろ、その……コンプラとか、ほら今時」
「横領を見逃したヤツがコンプラ言うか」
「い、いいだろ、別に! とにかくセクハラはダメだって」
オレが追い詰められている気がするのは気のせいか?
貫田の不正を暴いてセクハラも止めさせて、双方丸く収まるはずだったのに、何故かオレの顔面がやたらと熱い。
「あの女、ちょっと冗談言っただけでセクハラとか、ふざけやがって」
舌打ちと共に貫田が毒づいたけれど、その『ちょっと冗談』が命取りだったりするので控えるのが貫田の為にもなるだろう。
「報復とかはやめてくださいよ?」
念の為釘をさして、オレはこっそりとため息をついた。
ガラじゃない。
上司の不正を諌めてスタッフを庇う、だなんて。
上手くいったからいいものの、ストレスで最近タバコの量が増えた気がする。
自分に火の粉が降りかかりそうでなければ、もう二度とこんなことはやりたくない、というのが正直なところだ。
帰って寝よう。
明日も普通に出勤でオレは早番だから、二時間くらいしか寝られないけれど、今は寝たい。
帰ろうと踵を返したオレの背に、貫田が呼びかけた。
「……なんでそのカードの隠し場所がわかった?」
これこそが動かぬ証拠。
時間が経ちすぎて監視カメラの録画データも消えていたけれど、カード自体は残っているし、指紋でも出たら一発だ。会社が警察に言うかは、別問題だが。
「貫田さん、オレが金属食うの知ってるでしょう? 匂いがね、するんですよ。カードの磁気部分も金属なんでね」
未使用カードを保管しているケースの中にあったそれは、未使用らしからぬ香ばしい匂いを発していた。カードケースを開けた瞬間立ち込めた勝利の香り。
オレでなければ気付けなかったかもしれない。
「あぁ……お前、そうだったな……」
入社当時、空腹が満たされる喜びに浮かれたオレは、食事する様子を見られてしまったことがある。後にも先にもそれ一回の、痛恨のうっかりだ。
その時、オレの食事の様子を見たのが貫田だったのである。
「んじゃ、お疲れ様です」
そう言って、今度こそオレは事務所を後にした。懸念事項が片付いた解放感でぐっすり眠れそうである。
「ぐっすり寝るとむしろマズイか」
そう独りごち、オレはスマホのアラーム音量を最大になるようセットしたのだった。




