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レベッカがエリザベスの寝室を退室して間もなくエリザベスが息を引き取っていたらしい。
王城から急ぎ帰宅したイーデンがエリザベスの寝室に着く直前だったのだそうだ。
レベッカとエリアルはイーデンに呼ばれてエリザベスの亡き骸の前でこの家の家族事情に関してやっと説明を受けた。
「もっと早くに説明しておくべきだったのだろうが。…お前がマリオンの子じゃないという証拠はない。
立ち会った医師も産婆も行方不明になっている。
しかもマリオンの死んだ次の日に。
だが証拠がなくとも、それでも俺とエリザベスが濡れ衣を着せられたかも知れない死者に鞭打った事は確かだ。
そんなギクシャクした家庭環境にも関わらずお前は捻くれもせずによく育ってくれたと思う」
イーデンにそう言われて
「…お父様。お義母様の部屋に先程来た時にウォルターの乳母を自称する女性が居ましたが…あの人はどんな身元の人ですか?」
と尋ねた。
「…どうした?急に」
「…小さい頃の事を私は余り覚えてないのですが…それでも身体のあちこちに古傷があって『誰に怪我を負わされたんだろう?』と内心で不思議に思ってました。
それに毒で倒れた時に『毒はどこから入手されたんだろう?』と疑問に思っていました。
結局犯人は判らずじまいという事で処理されているようですが…ウォルターなんでしょう?犯人は」
「…何故そう思う?」
「…なんて言うか…。あの子にいきなり殴られた時に驚いたんです。余りにも迷いがなくて。
これを言ってお父様が理解できるかどうか分かりませんが、人って普通は自分自身の感情や判断に対して気持ちの何処かで迷ってたりするんですよ。
どんなに自信満々に確信に満ちているように見えても。他人を害する時には特に。
そういう迷いがあの子には全然なくて…。まるで洗脳でも受けてる使い捨てのゲリラ兵みたいですわ、アレじゃ。
私の身体のあちこちにある古傷や毒殺未遂があの子の仕業だったとしたら、あの子の異常な精神状態も腑に落ちるんです。
あの子は自分が私に対して行ってきた事が犯罪だという事実を認めたくなくて、自己正当化のために自己洗脳状態に陥ってるんですよ。
不思議なのは、お父様があの子の精神状態に対して『異常なものは異常だ』と『事実を事実として見る』見方をしてきてない事です。
お父様は『アレが次期グラインディー侯爵に相応しい』と、本当に本気で思ってらっしゃるんでしょうか?
以前、プレスコット伯爵家とレディング伯爵家から婚約の打診を頂いた時にお父様は随分と厳しい評価基準でジェフリー様とゴドフリー様の事を凡庸だと判断しておいででしたわ。
そう言った辛口基準でウォルターを評価するなら、『アレは廃嫡するべきレベルで出来損ない』だと思います。
自分が殴られて鼻の骨を折られたから余計に嫌悪感があるというのも勿論ありますが、それを抜きにしてもお父様はアレを甘やかし過ぎではないでしょうか?」
「…確かにお前の言う通り、アレがお前の古傷や毒殺未遂の犯人だ。
事件を起こす度に『二度としない』『僕のことが嫌いなら殺してくれて良い』と大泣きして錯乱していた。
公的に断罪して贖罪させようとしたところで、心に傷を残して立ち直るのが難しくなるのではないかと判断して内内で済ませてきた。被害者も身内だしな…」
「そうした判断が間違っていたという自覚はありますか?こう言っては何ですがウォルターの乳母とかいう女は私がウォルターに殴られて鼻の骨が折られて痛みと貧血で意識が朦朧としている状態でも、別室で腰掛けて休む事に対して私の腕に掴みかかって批判してきましたわ。
『奥様は意識もあるかないかの状態だ』『坊っちゃまを追い込んだ』だのと言い掛かりを付け『人間の心が無い』とまでウォルターに殴られた私を詰りました。
そんな目に遭わされて、私はしみじみと『何故こんな女がこの屋敷でのさばっているのか、執事は何をしているのか、お父様は屋敷の何を見てるのか』と訝しみました。
『人事配置の致命的なミスが人心を腐敗させる元凶となる』事もあるんですよ。
佞臣というものは『主人が何をしようとも諌めず、諌める忠臣を不敬だと陥れ、主人が道を誤るように誘導し、主人の社会適応を妨げて自分に依存させる』生き物です。
あのドリスとかいう乳母が典型的な佞臣体質の身勝手な情緒主義者だという事は人を見る目が備わった人間なら一目で見抜けます。
それなのに、何故、あのような人間が長年お義母様とウォルターの側に居たのですか?
『悪質な使用人からの同情に乗せられて自己憐憫に浸ると、主人側が心を病んで他人を逆恨みするようになる』といった人心の堕落作用をちゃんと警戒しておくべきだったのではありませんか?
お父様が『家族の側に置く人間の質』に配慮していたら、お義母様もウォルターもあそこまでおかしくなってません。
私に対してお父様は『捻くれもせずによく育ってくれた』と仰いましたが、私には乳母はおりませんでしょう?
母無き私は、人の乳の味も知らず、家畜の乳で育てられ、使用人達からも遠巻きにされて、『自己憐憫に浸るような悪魔の誘惑すら降りかかる事なく』孤独に育ちました。
『貴族は使用人ごときの同情に縋るべきではない』という矜持が、私を貴族たらしめている指針の一つなのですよ。
お父様、貴方はそうした矜持を、あの出来損ないに対して一度でも本気で教えてあげようとしたことがありますか?」
そう畳み掛けるように言いながら
(…エリアルが居なくて二人きりだったなら、絶対、お父様ブチキレてるだろうな…)
と冷静に状況計算した。
イーデンはレベッカの推測通り、激昂したいのを堪えている様子で数十秒無言のまま、顔を真っ赤にして肩で息をしていた…。
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(どうせお父様はアレを甘やかしてしまう)
とレベッカは早々に見切りを付けて
「葬儀の段取りも有るでしょうから私は邪魔にならぬよう失礼しますわ。
私も鼻が曲がって二目と見れぬ醜女になるのは嫌です。
早期にちゃんとした治療を受けるべくブライトウェル辺境伯邸に戻り治療に専念したいと思います。
マリオンお母様の実家のマスグレイヴ侯爵邸がブライトウェル辺境伯邸と近いのでエリザベスお義母様の訃報は帰りにでもお伝えします」
と言い残し、少しフラついて見せながらグラインディー侯爵邸を後にした。
マスグレイヴ侯爵邸に着いて伯父に面会を申し出ると
「不在」との事なので
伯母と対面してエリザベスの死とウォルターの乱心について伝えた。
その頃には
レベッカの顔は随分と腫れ上がって痛々しく変形していたので
伯母が気絶しそうになって気付け薬を嗅がされる羽目になった。
そこで当然、レベッカは
「ウォルターを廃嫡させるお手伝いをしていただけませんか?」
と持ち掛けた。
「でもそうなると誰にグラインディー侯爵家を継がせるつもりなの?」
と伯母は尤もな心配を口にする。
「有能な従兄弟や再従兄弟もウジャウジャいます。なのにウォルターを後継ぎにと固定すると一族全体の質の低下を招きます。
競争意識が必要ない状態だったから、自堕落に自己憐憫に浸って、逆恨みのままに姉に八つ当たりで暴行するクズに成り下がったんですよ。
母の葬儀にも出られず地下牢で拘束され、廃嫡と同時に平民落ちして罰金刑の金が丸々借金となって降りかかり、それを地道に働いて返しながら暮らしていくのが、あの子の人間性矯正には必要ですし、あの子のためです。
それにね。有能な従兄弟や再従兄弟にも侯爵位に就くチャンスを与えても良いと思うんです」
レベッカがそう言うと伯母もレベッカの意図を汲み取ったようだった。
マスグレイヴ侯爵家には息子が二人、娘が一人。
次男は爵位を継ぐ予定もなく騎士団に居る。
彼もグラインディー侯爵位を継ぐ候補者の一人になる。
伯母がレベッカに賛同してウォルターの廃嫡を進めても損はない。
これと同じ事は他の従兄弟や再従兄弟の親にとっても言える。
ウォルターが廃嫡になってもウォルター以外誰も損をしない。
「…小さな古傷ですが…。私の身体のあちこちには子供の頃からウォルターによって付けられた傷が幾つもあります。
毒殺未遂の犯人もウォルターである事は伯母様もご存じでいらっしゃるのですよね?」
レベッカがジッと表情を伺うように尋ねると
「…いいえ。ハッキリと教えてもらえたわけではないわ。もしかしたらそうなんじゃないかしらと思うような仄めかしで『内内に処理する』と言われただけよ」
と少し緊張したような表情で答えてくれた…。
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レベッカにとってはーー
ウォルターを廃嫡に追いやり平民落ちさせ
罰金刑で借金漬けにさせ
細々と日銭を稼いで暮らす生活をさせることは
「必要悪の処罰だ」
と言える。
今まで好きにさせてきて
それでウォルターがマシになった点など無いからだ。
イーデンがウォルターを処罰せずに居たのは
被害者が托卵雛のレベッカで
加害者が自分の実子だから
という露骨な依怙贔屓もあったのだろうが…
そんな依怙贔屓による甘やかしでウォルターを慮外者に育て上げておいて…
親戚一同を納得させられると思うのはどうかしている。
権力維持はチーム戦。
爵位を戴く代表者はチーム戦を采配するブレイン。
「使用人ごときの同情に乗せられて自己憐憫に浸り心を腐らせるような低脳」
にブレインは務まらない。
上位貴族の嫡男が低次元な情緒主義者では
「貴族が平民よりも優れている」
という前提の階級社会そのものに矛盾する。
レベッカは自分の自論を隠そうともしない。
エリザベスの葬儀には痛々しく変色した怪我を隠しもせずに出席して
「ウォルターを廃嫡させるべきです」
とイーデンにも親戚一同にも言い放った。
「アレにはルース家を率いていく器量は有りません。アレを散々甘やかして暴行魔に育て上げたお父様は、アレが毒殺未遂犯である事もここで公表すべきですわ。
アレを廃嫡せずに後継ぎ指名したままでは、いずれグラインディー侯爵家はお取り潰し、ルース家は没落して資産の全てを失う事になります」
バルシュミーデ皇国に嫁いだリリー・リサ・レヴァイン王妹殿下によく似た美貌の持つ迫力は青痣で汚されても衰えはない。
葬儀に集まった者達は、まるで王家の女性その人が
「ウォルターを許さない」
と宣言しているかのような錯覚に囚われて…
口々にウォルターの廃嫡をイーデンへと勧めた…。




