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事実を知るものは多くないがーー
日本のスピリチュアル・オカルティズム界隈は大部分が外来カルトに侵蝕されている。
宗教カルトにしても
圧倒的多数が外来カルトの流れを汲むものばかり。
そうした日本社会において
「日向流一門では本物の日本人霊能者が輩出されている」
という事実は実は重要な意味を持つ。
霊能者にしか理解できない真実の一つに
「自分の国でしか覚醒できない」
というものがある。
霊感=非物理空間認知力。
霊感がある者から見るなら
祖国愛やエスノセントリズムによる団結は
「雷が木に落ち、木を燃え上がらせる」
ような様に見える。
それは「自分の国」で行うなら
その火は「暖炉の中の火」「竈の中の火」のように
「正位置にある正しい求心力」となる。
だが「よその国」に入り込んで行うなら
「他者の無防備な生活空間を脅かす火」のように
「侵略の悪しき火」となる。
それらを認識するならば
「柿本人麻呂」
という名前が
「火気の元の火止まろ」
という暗喩を含むものだと思えるようになる。
異邦人は在住国民に対して
「文化的素朴さを理由に侮る」
事がある。
文化的華麗さは
時としてそうした侮りを退ける。
だからこそ各国の上流階級の人間は
「他国の影響を受けすぎずに独自の文化的華麗さを必要とする」
のである。
金持ちや特権階級が皆
「ただの外国かぶれ」
で
「ただの贅沢好き」
のような国は、ただただ侮られる事となる…。
一方でーー
他国に入り込んで在住国民と同化しようとせず
それでいて繁殖・繁栄したがる異邦人が
「侵略という罪を犯している自覚も罪悪感もない」
ような
そうした状態は
「非物理空間認知力を用いた自己客観性の欠如」
によるものだとも言える。
一般に認識される事もなく
それでいて確かに存在している
「境界」に潜む多情多恨な業深い魂ーー。
そうしたモノ自体もまた
「非物理空間認知力を用いた自己客観性の欠如」
によって生み出され続けている…。




