02.魔法について
数年前、父親にダノセスの街へ連れて来られた時のことだ。
父は用事があったので「好きなお菓子を買っておいで」と言って、リッシェに小銭を渡してくれた。
リッシェは喜んで、どのお店のお菓子にしようかなー、と歩き回っていて、おばさん達数人が立ち話をしているそばを通りかかったのだ。
おばさん達がやかまし……いや、楽しそうにあれこれとおしゃべりしている光景は、街でも村でもよく見掛けるもの。
こんな光景など、珍しくもないリッシェはすぐに通り過ぎようとしたのだが「魔法使い」という言葉が耳に飛び込んで、その足が止まる。
街に魔法使いがいることは知っていたが、リッシェは出会ったことがない。なので、その存在には以前から興味があった。
チャンスがあればどういう人達なのか見てみたい、という、誰でも抱きそうな好奇心はリッシェも持っている。
過去へ戻って、一つだけなら失った大切な物を取り戻すことができる。
過去に戻れる魔法を使えるのはほんの一握りの魔法使いで、その依頼だけは修理屋を通してでしか頼めない……。
おばさんにありがちな、脈絡なく別の話題へ飛んでしまうおしゃべりの中から、リッシェはそれだけをしっかり聞き……それから何年も経っているのに、そのことだけはしっかり覚えていたのだ。
たぶん「過去へ戻る」という、衝撃的な内容のせいだろう。
火や水の魔法なら想像もできるが、時間をさかのぼるなんてどうやるのか、どんな状態になるのかわからない。
魔法って……魔法使いって、すごいんだな。
そんなことを思い、強く印象に残っていた。
「あの魔法はねぇ、昔から色々と問題を指摘されていて、使い続けるのはどうかという議論が、魔法使い達の間でもされているようなんだよ」
「え……それじゃ、お願いしても聞いてもらえないんですか?」
それを聞いて、リッシェは青くなった。
魔法使いは他にどんなことができるのか、なんて知らないが、リッシェはとにかくその魔法を頼みたくて来たのだ。
それなのに、よりによって自分のしてもらいたい魔法が禁止だなんて、冗談じゃない。
「まだ完全に禁止されたとは、わしも聞いていないがね。魔法使いが受けるかどうかってのはともかく、依頼してみるのは構わないと思うよ」
門前払いされる訳ではないとわかり、リッシェはほっと息をついた。
「それで、手紙は持って来たかい?」
「手紙?」
きょとんとして、リッシェは聞き返した。その様子に、ウォイブは「おやおや」と言いたげな表情になる。
「もしかして、そういう魔法がある、ということしか知らないのかな?」
リッシェは、小さくうなずいた。
そんな決まりがあるなんて、初耳だ。修理屋へ来れば、それで何とかなる、と思っていたのに。
魔法使いに直接会えなかったとしても、店を限定されているのだから店の誰かが取りついでくれるのだろう、くらいに考えて。
おばさん達は、手紙を書いてどうこう、なんて話をしていなかった。いや、仮にちゃんとしていたとしても、その頃はまだ十になるかならないかという幼いリッシェにわからなかったのだろう。
「そうか……まぁ、人の噂話程度で聞いたくらいじゃ、そんな細かいところまではわからんよなぁ」
ウォイブは頭に手をやり、髪の毛をわしわし掴む。最初からあまり整っていなかった髪が、さらにくしゃくしゃになった。
「この魔法は他の魔法と違って、色々と面倒な取り決めがあるんだがね。さしあたり必要なことを教えてあげよう」
「ありがとうございますっ」
ここへ入って来た時は依頼を聞いてもらうどころか「何の話だ」などと言われて追い返されるんじゃないか、と思っていたリッシェ。
怖そうに見えた最初の表情に似合わず、ウォイブは本当に親切な人だった。
「まず、手紙を書く。どういう事情で、どの時間帯のどこへ行きたいのか、といった依頼内容だな。この魔法を頼みたいと言うからには、取り戻したい何かがあるんだろうが……そこから持ち出せるのは一つだけだ」
一つだけ、というのは知っている。
おばさん達が「一つって言われると、迷うわねぇ。何がいいかしら。一番取り戻したいのは、若さだけど」と、笑いながら言っていたのを覚えている。
「その依頼を受けるかは、魔法使い次第になる。依頼の内容が危険なものだとか、犯罪に関わると思われるものは、最初からはねられるからね」
「は、犯罪なんて……悪いことをするつもりじゃありません」
リッシェは慌てて否定し、首を何度も横に振る。くるみ色のおさげが、その動きに少しずれながらはねた。
「ああ、そうだろうね。盗みをするため、なんてふうには見えないよ」
リッシェの慌てぶりがおかしかったのか、ウォイブは笑いながらうなずいた。
「えーと、それから……自分や家族に関係ないことであれば、それも却下だ。依頼料については、持ち出す物や依頼主の懐具合で変わる。お嬢さんなら、そうふっかけられることもないだろう」
「あたし、あんまりお金は……」
魔法使いへの依頼料なんて、どれくらいになるのかさっぱりわからない。相場なんて聞いたこともないし、知っていそうな人も周りにいない。
とんでもない金額にならないことを祈るしか、リッシェにはできなかった。
「その辺りは、魔法使いと交渉するんだね。手紙を出したら、だいたい次の日には返事が来る。依頼を受ける場合は、待ち合わせの日時と場所が書かれているからそこへ行く、と。あ、一分でも遅れたら、その依頼は依頼主が取り消した、とみなされるからね。以後、二度と依頼は受けてもらえないから。別の依頼でも、依頼主が同じだとわかれば、受けてもらうのは難しくなるよ」
「あの、魔法使いって……そんなに時間に厳しいの?」
「普段はそうでもないんだがね。この魔法に関してだけはいい加減なことをされると、あれこれ支障をきたすんだろう。わしも、細かい理由はわからないがね」
他にもいくつかの注意事項を、ウォイブは説明してくれた。
「……とにかく、まず手紙を書かないといけないんですね」
最初にやるべきことはわかった。
しかし、今のリッシェは手ぶらだ。いや、お金なら依頼料として持ってきているが、便せんや封筒、ペンといった筆記用具はない。
それらは書物通にある文房具屋へ行けば買えるが、依頼料がどれだけになるかわからないのに、そんなところで無駄遣いはできない。
家に戻ればお粗末ながらも書く物はあるが、村へ帰っていたら余計な時間を使ってしまうことになる。
今ここで手紙を出しても、返事は明日以降になるのに。帰って手紙を書いて、明日もう一度街へ来る、なんて悠長なことはしたくない。
かと言って、手紙を書いて今日中にもう一度街へ来て、となれば村へ戻るのが完全に夜になってしまうから、両親に叱られるだろう。
「あの……いらない紙、ありませんか?」
「いらない紙?」
「依頼する内容さえちゃんと相手に伝われば、便せんのいい悪いとかは関係ないでしょ? あたし、少しでも早く魔法使いにお願いしたいんです」
高価な紙質の便せんであれば依頼を受ける、というのではないだろう。それなら、極端な話、掲示板に貼られた「お知らせ」などの裏を使ったっていいはず。
相手の魔法使いにはかなり失礼になるが、それを見て「こんな物しか持ってないような貧乏人なのか」と依頼料を本来よりも安くしてもらえることだって……うまくいけば、ありえる。
やりすぎると「こいつは依頼料なんか払えないのでは」などと思われ、きっぱり断られてしまう可能性も否定できないが。
「確かに、便せんで判断するんじゃないしな……。ちょいと待っておくれよ」
ウォイブは、カウンターの下や後ろの棚などをごそごそと探る。
「いくら古くったって、やっぱり預かり票の裏はまずいな」
修理品を預かる時の伝票の束。他の人の名前もあるし、それはさすがに使うべきではないだろう。それに、名前がいくつもあったりしたら、誰が依頼人かわかりにくくなってしまう。
「これは何も書いてないが……しわだらけだな」
棚の奥から出て来た紙の両面を確認するウォイブだが、人に渡せるような代物ではない。
「それでいいです。その紙、ください」
「しわだらけだし、汚れてるが」
「いいんです、構いません。文字さえ読んでもらえたら」
これを受け取ることになる、読み手の気持ちはともかく。
手紙を書く当人が「これでいい」と言っているのだからいいか、とウォイブは紙をリッシェに渡した。
ハンカチを少し縦長にしたようなサイズの紙は、陽にやけた薄い茶色をしている。何で汚れたのか、所々に黒いシミがあり、破れている部分もあった。ウォイブが言うように、全体がしわだらけ。
しかし、文字は書けるはずだ。魔法使いには会った時に(会えたら、ではあるが)謝ろう。
「あの……」
「ほいよ。ペンだろう?」
手紙を書くための紙を探したのだから、次にリッシェが言い出すことくらいわかる。
ウォイブは伝票を書く時に使っている、古びたペンを差し出した。
「あ、ありがとうっ」
リッシェは満面の笑顔で、そのペンを受け取った。





