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4.新たなる戦場。その戦闘服



 今日も今日とて。筋肉のつき難い女性の身体を苦々しく思うものの、それでも挫けずゴルドは筋力トレーニングを続けていた。


 銀の髪を今日は簡単にひとつに纏め背中へ流している。

 動きに合わせて揺れる髪が美しい。


 いいや、今のゴルドは、誰が見ても美しいと称賛するだろう。


 額に浮かぶ汗のひと粒まで。まるで宝石のようにきらめいている。


「ふむ。やはり大きな筋肉を鍛える前に、その内側にあるちいさな筋肉たちをこそ、鍛えるべきであったか。女性の身体というのは、実に難儀だ」


 紐を編んで作った伸縮性のあるバンドを足で踏み、反対側を手で握って何度もちいさく引き延ばす。

 動きも地味なら、目に見えるような派手な効果も皆無の運動だ。


 だが、今のゴルドは両手でしか扱えなかったあの子供用の木剣を、片手で振ることができる。


 関節を支える役割を持つ細い筋肉は、無理な動きをすれば容易く切れてしまう。

 地味なこの運動を、気が遠くなるほどの回数熟してようやくここまで辿り着いた。


「さて。基本的な体力をつけるには、やはりランニングに勝るものはない。ひとっ走り行ってくるか」


 ここでも、全力疾走はしない。短めのダッシュを挟みながらほとんどが歩くより早い程度の速度で城内を走るだけだ。


 乗馬ズボンに衿のつまった色付きのシャツでのランニングは、見た目以上に暑いのだが、この服装でなければアレクサンドルの許可が下りなかったので仕方がない。


「今日も暑くなりそうだ。さて。今日は何周できるだろうか」


 昨日より今日、今日より明日。トレーニングを重ねた分だけ、応えてくれる筋肉が、ゴルドは好きだ。



 最初の頃こそ「日焼けをしたらどうする」「陽射しで髪が痛みます」とゴルドの筋トレに反対ばかりしていた侍女たちであったが、聖女パワーなのかまるで日焼けもしないし、髪がパサつくこともなく、むしろ日々美しさを増すばかりのゴルドに、今は応援してくれている。


 ゴルドは手入れをしなくとも美しいのだが、「専門外の俺には分からんからな」と日々の手入れ自体は好きにさせてくれるからかもしれない。


 侍女たちは女性としての手入れをすべてを受け入れてくれ、オイルマスクやリンパマッサージの成果か聖女パワーなのか判別できないまま「気持ちが良かった。ありがとう」と喜んでくれるゴルドに好感を抱くようになっていた。


 一部の女性には当て嵌まらないかもしれないが、侍女たちは皆、奉仕すること自体に喜びを見出す。

 それが美しい相手なら嬉しい。しかも優しく感謝の言葉まで告げてくれるのだ。ゴルドへの好感は増していくばかりだ。


 ゴルドとしても、筋力トレーニングで溜った疲労をマッサージで流して貰っているのだ。文句を言うはずもなかった。




 腿の筋肉の動きに違和感を覚え、その限界が近いことを知った頃。ゴルドを探して、侍女たちが走り込んできた。


「ゴルド様、大変です! どうか大王様をお救い下さい!」

「なんだと!」


 ひと月前。魔族の襲撃が激化し、アレクサンドル様がその命を儚く終えようとした。


 ゴルドはその時アレクサンドルのすぐ後ろにいた。

 預かった背中を護ることに必死で、アレクサンドルがどれだけの死闘を繰り広げているのか、把握できていなかった。


 主たるアレクサンドル様の危機には、自分は必ずやその盾になる。


 その誓いを、守ることができなかった。悔しさ。怒り。哀しみ。それらすべてを、まるで神への呪詛のように八つ当たりした。


 何故、この偉大なる大王を、お救いしてはくれないのか、と。


 彼の王の命を救って下さるならば自分の命など幾らでも捧げると、神を罵り、祈った。


 そんなゴルドの祈りというにはあまりにも傲慢な叫びを気まぐれな神が受け取りってくれたのだ。奇跡だった。


 自身のすべてとも言える屈強な身体と引き換えにして、ゴルド自身の手で、アレクサンドルの命を救うという願いは叶えられたのだから。それ以外のことなど、些末でしかない。


「アレクサンドル様のために、この俺にできることがあるならばなんでもしよう」


 すでに、自身のすべてであった屈強な身体は神に捧げてしまった。


 だが皮肉にもこの命はまたここにある。

 武芸はいまだ過去の自分レベルまで到達できていないが、ゴルドにできることならば、どんなことでも厭わない。



 生涯唯一と心に決めた主の一大事とばかりに駆けだそうとしたゴルドを、侍女たちが身体を張って押し留めた。


「ゴルドさま、少々お待ちを」

「そのようなお姿では敵に付け入る隙を与えてしまいます」

「まずは戦闘準備を」


「なるほど。頼む!」


 動きを阻害しないが、胸の脂肪が揺れるのを阻止したいという相反するゴルドの願いを、特別にぶ厚い布を重ねて剣すら通さぬ特製コルセットを創り上げてまで叶えてくれた侍女たちの言葉に素直に頷く。


 そのまま、アレクサンドルの部屋の隣に与えられた自室へ連れ込まれた。




「これが、俺のための戦闘服なのか」


 そのドレスは、ゴルドが神の御遣いとして生まれ変わった時に、神より授かった白い衣装とそっくりの形をしていた。

 だが、すべてが段違いであった。白絹の身頃には銀地の縁取りが施され、金糸で細やかな刺繍が全面に入れられていた。


 この世界の古い神々の末子にして、もっとも強大な力を持つ太陽神ルー。


 ゴルドが夢で逢った神の特徴を聴いた誰もが思い描いたその神の神話を図案化したものが刺繍されていた。


 神々しい。人の身には過ぎる美しさが、そのドレスにはあった。

 けれど、可憐な乙女となったゴルドに、これ以上相応しいドレスはない。


「こんな綺麗なドレス、俺が着ていいのか」


 重さを感じさせない白絹の袖を振ったり、スカートの裾を翻しては、()めつ(すが)めつ首を傾げる。


「ゴルドさまのために、王宮ドレス部門が総力をあげて仕立てました」

「むしろゴルドさましか着れません」

「大変よくお似合いです」


 勿論、汗を流されただけではない。

 香油で丁寧に手入れをされた髪はまっすぐで、どんな豪奢な髪飾りをつけるより煌びやかな光を纏っている。化粧もせず、紅すら刷いていないのに、艶やかな頬は上気しているし、さくらんぼのような唇は紅く色づいている。


 ドレスと同じ白絹と銀地に金糸の刺繍が施された踵の高い華奢な靴を履かされる。


「侍女どのたちが、これが今の俺の戦闘服だというなら、そうなのだろう」


 潔すぎる言葉に、侍女たちが大きく頷く。その顔はどれも満足そうだった。


「最後に、これを」


 細い首には磨き上げられた黒曜石が連なるネックレスを。

 耳たぶには、ぽってりと丸いひと粒だけの黒曜石のイヤリングを。

 そうして手首には、ネックレスと対になる黒曜石のブレスレットを。


 侍女たちが順番に来て、ゴルドに飾り付けていく。


「なるほど。なにやら戦闘力が上がった気がする」


 黒曜石は遠い昔は鋭利に磨いて矢尻や槍の刃としていた。

 それらを身に着けていると思うだけで、ゴルドの心に滾るものがあった。


 ゴルド的には防御力や攻撃力が、ということなのだが、それを聞いて侍女たちは満足そうだ。


「すべて大王さまが、ゴルドさまのためにお選びになられた逸品でございます。これで、どんな令嬢が相手でも負けません!」


 


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