2.世界一の忠義者
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アレクサンドルが、勢い初手で斬り込んでいく。
本来ならば剣で受け止めるべき至近距離からの攻撃ではあるが、ゴルドが持つ子供用の木剣では、あっさりと剣ごと斬り捨てられて終わる。
ゴルドは半歩横にずれて、アレクサンドルの剣先を躱した。
空振りした剣をアレクサンドルが振切ったところを狙ってゴルドが木剣を叩き込んだが、アレクサンドルは手にした剣の腹で受け、あっさりと受け流した。
しゅるしゅるしゅるるる。
軽やかな音がして、目を当てれば向こうが見えるほど薄く、木剣が削り取られていく。
「さすが、我が王アレクサンドル様。なんとお優しい。我が剣の手入れをして下さるとは。勢いをもって剣ごと斬ってしまえば、そこで終わったというのに」
「それではつまらない。だろう?」
「如何にも」
赤い靴がふわりと踏み込み、ステップを刻んだ。
それに合わせるように、アレクサンドルもまたステップを踏み出す。
あまりにも剣呑なダンスだった。
男性が持つ剣は真剣。パートナーたる可憐な乙女は木剣しか持っていない。
それですら重そうに両手で揮う様子は、横で見ていてる者に緊張を強いた。
「汗を掻いている」
「さすがにこの身体は、体力が無さ過ぎるようです」
「なるほど」
剣を握る指が、白い。
今のゴルドの身体では、それだけ力いっぱい握り込まねば、子供でも振れるはずの木剣すらどうにもならない、ということだ。
「ですがそれは、また再び訓練を重ねていけばいいだけです。どんな神の試練を与えられようと、私の命は、我が王、アレクサンドル様のお命をお守りするためにあるのですから」
そう言って笑った顔には、悲惨さなどまるで無かった。
言われて、アレクサンドルはその笑顔に、思わず見惚れた。
幼い頃より研鑽を積み手に入れた屈強な身体。研ぎ澄まされた剣技。それらすべてを手離してもなお、アレクサンドルが生きていることこそ自身の誉れなのだと、ゴルドが笑う。
笑って、アレクサンドルの前で、ちゃちな剣を揮っている。
「隙ありぃ」
叫んで飛び込んでくる木剣を、躱す。
力技で凌いでは、怪我をさせてしまうことになる。
余裕で躱し、そうして勝たねばならぬ。負けることも引き分けることも、赦されない。
「俺も、覚悟を決めねばならんな」
「今更ですか」
「あぁ。今になって、ようやくだ」
「ならこちらも、本気を出さねばなりませぬな」
「ぬかせ。すでにギリギリだろうが」
これでも、アレクサンドルとしては、とっくに覚悟を決めたつもりでいた。
魔族からの攻撃を受けて二年。たった二年の月日で、どれだけの人が死んだのか。それだけの町が侵略を受け、そこで息づいていた生活が破壊されてきたか。
それが、女性と生まれ変わった忠臣を娶り、その血筋を取り込み、次代へと繋いでいく。
それだけで平和を守ることができるというのだ。
アレクサンドルからすれば、乗らない手などない。
そもそもが、ゴルドに貰った命だ。
ゴルドとの間にできた子供とその子孫が平和を祈るだけで、この世界の平和が守れるというならば、なんの躊躇もなかった。
大男だったからなんだというのか。
ベッドを伴にする相手ならば、信頼できることの方がよほど重要だ。
命を繋ぐ胎を持っているだけで十分だというのに、しかも愛らしい可憐な乙女となっている。それだけで十分おつりが来ると思っていたのに、更に、神の御業で王妃として立つための知識もスキルも得ているらしい。
なんという僥倖か。
なんとお得でお手軽に、理想の伴侶を手に入れられたのかとさえ思った。
だが、そんな軽い気持ちでは駄目なのだ。
国一番、いや世界一の忠義者ゴルドの想いを受け止め、その生涯に報いる覚悟。
守るべき存在と生まれ変わった忠臣を、生涯守り抜くのだという覚悟。
何もかもが、今のアレクサンドルには足りない。
足りていなかったのだと、思い知った。
「がははは。このような可憐な姿に生まれ変わろうとも、俺は、いついつまでも、あなた様の一の忠臣であり、最も手ごわい強敵でありましょうぞ」
楽しそうにステップを踏む姿は、言っている言葉の荒々しさはともかくとして、可憐で美しい。
世界の平和の礎である、聖女。
その身を手に入れたいと考える者は如何ほどのものか。
アレクサンドルが考えるほど短絡的ではなく、世界を手に入れるための手段として、望む者もでてくるだろう。
そんな壮大な野望を持つ者以外も。
今、目の前にいるゴルドの上気した頬や後れ毛が汗で貼り付くうなじからは、手を伸ばさずにはいられない色香があった。
なによりも、白いシャツが汗で透けてきている。
肌の色さえ分かるその様は、先ほどの陽射しに映る陰より余程煽情的だ。
それに気が付いたアレクサンドルは、周囲に集まってきている物見高い騎士たちの視線が、気になった。
楽しそうなゴルドを止めるのは忍びない。
だが、見世物にする気は毛頭なかった。
「今日は、ここまでとする」
そう宣言して、手にした剣で、ゴルドが両手で握っている木剣を巻きこみ取り上げた。
「あぁ~っ」
木剣を取り上げた途端、ゴルドは気が抜けたのか情けない声を上げると、その場に座り込んでしまった。
肩を激しく上下するほど息が上がっている。
「もっと早く降参すればよかったんだ」
声も出せないのか、ゴルドは今や地に手をついてしまって首を横に振るばかりだ。
分かっていた。アレクサンドルは、ゴルドが降参などする訳がないことくらい知っていた。
だからアレクサンドルからもっと早くに仕掛けて切り上げるべきだった。
だが、アレクサンドルにとってもゴルドとステップを踏むのが楽しかったのだと気が付いて顔を顰めた。
「お前のダンスのステップは、完璧だということは分かった。これ以上は、必要ない」
近衛が手に持っていた上着を受け取り、再びゴルドに着せ掛けた。
「いえ、今は身体が熱いので」
声を出せるまでに回復したのか、それとも本当に上着が熱いから嫌だったのか。
否定するゴルドを無視して、アレクサンドルはその華奢な身体を上着ごと抱き上げた。
「あ、アレクサンドルさま?!」
思わぬ角度で抱き上げられて驚いたゴルドが、反射的に目の前のアレクサンドルの首元へ抱き着いた。
周囲から、騎士たちの物とは思えない、悲鳴のような黄色い声が上がった。
「そういう男を誘う言葉はベッドの上でだけにして欲しいものだな」
言葉自体は軽く。けれど、ゴルドに見えないように周囲を威嚇し一瞥を与えると、アレクサンドルはその長い足で城内へと戻っていく。
「ははは、なにを仰るかと思えば。冗談が下手になりましたな、アレクサンドル様。お疲れなのでは?」
「汗で透けるような服を着おって」
ちいさな声で呟かれた愚痴は、顔の近さ故に、ゴルドに届いた。
「大丈夫です。この下にはぶ厚いコルセットも着ております。木綿を幾重にも重ねてあるそうです。剣も通さぬ優れものだそうです」
ガバっと開襟を開いてみせる。
──だから。
アレクサンドルは、怒りのあまりに上着をゴルドへ強く巻きつけ、暑苦しいと文句を言うゴルドを無視して、いっそう足早に進んだ。