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1.黒き邪神と赤い悪魔



 背の高い騎士たちの中でも更に頭ふたつほど背が高い。癖のある鮮やかな赤い髪は、まるで焔のよう。瞳の色も赤。見つめられると心の臓が射貫かれる気がするほど強い視線に囚われて、味方であるにもかかわらず動けなくなる者も少なくない。


 長く重い両手持ちのはずの剣を右の片手で軽々と揮える膂力と数人を一撃で蹴り飛ばす脚力に恵まれる。


 その男が進む先にいる数多の敵は、通った後には屍の山に。


 圧倒的な武力を誇った。


 そんな男が唯一の主とする存在は、この世の絶対強者だった。


 まだまだ勇健で聡明な叔父たちも、たくさんの優秀な年上年下兄弟たちも、すべて押し退け大国の大王の地位へ就いた。


 黒髪と黒い瞳と、この世の者とは思えない眉目秀麗な貌をした大王は、国民から圧倒的な支持を受けた。だが追い落とされた兄弟やその支持者たちからは、黒き邪神と呼ばれ恐れられていた。


 黒き邪神に付き従い、すべての敵を排除し護る、赤い悪魔。いつしかそれがその男の持つ二つ名となった。




「おぉ、アレクサンドル様。おつかれさまです!」


 片手で持てるはずの子供の練習用らしき木剣を両手持ちにして掲げ、満面の笑みを浮かべた美少女が明るい陽射しの中で立っていた。


 足元まで流れ落ちる長さがある銀色の髪を、侍女たちの手により芸術的なまでに複雑に編み込まれ、それを更に頭に巻き付けて固定している。

 艶やかな巻髪のところどころで朝陽を受けて輝いているのは、アレクサンドルの瞳とよく似た黒曜石のピンと華やかな金細工の髪留めで纏めてあるようだ。


 男装の令嬢。そうひと言で済ますには、少女は可憐すぎた。


 貝殻のようなピンクの爪のついたちいさな手。

 舞踏会でダンスを踊るためだけに存在しているような踵の高い靴を履いているからだろうか。乗馬ズボンに包まれていても分かる長く形のいい足。

 だぶついた真っ白い開襟シャツの裾をたくし込んでいても薄い腰は、抱き寄せただけで折れそうに細い。


 その白いシャツから、優美なラインを描く上半身が、陽に透けて視えていた。


「ゴルド、お前はなんという恰好をしている」


 アレクサンドルは呆れ、近寄ると、着ていた上着を脱いで薄い肩へと掛けた。

 細すぎる肩には、アレクサンドルの上着は大きすぎた。落ちないように、前のボタンを閉めてやる。


 腕までも包むように被せてしまってもボタンが留まる細い身体は、近付くと花の香りがした。


「寒くないですよ。この程度で俺が風邪など引く訳がない。大丈夫です。久しぶりに思う存分身体を動かしたので、いまは暑いくらいです」


 ガハハと大きく口を開けて笑う。それは、確かにアレクサンドルのよく知る忠臣の笑い方だ。


 ただし、声がまるで違う。

 鈴を転がすような声をしていた。上気して赤く染まる頬も、昨日見た時よりずっと紅くなっている唇も。まるで違う。


 けれどもそこに息づく命は、確かにアレクサンドルが一番信頼する存在そのものなのだ。


「だが今のお前は、神の御遣い。乙女だ」


 目から入ってくる情報と、心で感じる気配との差。アレクサンドル自身に、それを言い聞かせねば叫び出してしまいそうだった。


「ん? なにか言いましたかな」


 上目遣いで訊ねてくる。

 視線を合わせようとして、開襟から覗く白い膨らみが目に飛び込んできて、慌てて身体を離した。


「その卑猥すぎる白シャツと踵の高い靴で騎士団の訓練へ参加したのは、我が最強の騎士団を骨抜きにするためか。それとも自身のシンパとするためか。どうやら俺の婚約者どのは奔放すぎるようだ」


「卑猥? ……あぁ、これですか。この高い踵は、訓練に最適なのです。我ら男性には本来秘密なのでしょうが、特別に教えて差し上げましょう。実は、体力のない女性向け訓練具だったのです」


 つ、と乗馬ズボンの裾を持ち上げ、ゴルドが自慢げに赤い靴を見せつける。


 アレクサンドルの大きすぎる上着を纏い、ほっそりとした足首を晒す煽情的な姿に、アレクサンドルは目を細めた。


「そんな訳あるか」


「いいえ、この訓練具の効果は本当に凄いのです。今すぐにでも、団の訓練に取り入れるべきです」などと頭が浮かれような言葉を続ける、今は婚約者となった忠臣に、アレクサンドルは溜め息をついた。


 だが、このまま訓練を続けさせる訳にはいかない。

 放っておいたら明日も明後日も、ずっとこのまま訓練をする気だろう。間違いなかった。


「そもそも、お前はいま王妃教育を受けいているはずの時間ではないのか」


 ダンス、作法、この国の地理や歴史、外国語の習得など。

 帝国で最も地位の高い女性、国母となるべく習得せねばならない教養はさまざまだ。

 救国の聖女となったゴルドに完璧を求める声は少ないだろうが、元男であるというハンディキャップを考えると、ある程度熟せるようになっていた方がゴルド自身のためだと思われた。


 そう指摘すると、ゴルドのさくらんぼのような唇が嬉しそうに弧を描く。


「それがですね、神の御遣い特典と言いますか、この世界について知っておくべきことはすべて頭に入っていることがわかったんですよ」


 そもそも魔族が妖術を操り人族を襲うようになるまでは、魔法という概念すらなかったこの国で、ただひとり神より、完全防護壁と全回復いう神の御業を操ることを許された聖女なのだ。

 奇跡の存在となったゴルドへ、その他の知識が与えられたことなど、些末なことなのかもしれない。


「なんだと」


「いやぁ、お得ですよなぁ! がはははは。それとですね、ダンスについては……」


 するりと肩に掛けられた上着を脱いだゴルドが、宙へと放り投げた。


 青空に、瀟洒な刺繍の施された上着が広がって、アレクサンドルの後ろへ控えている近衛の手元へと落ちてきた。


 上着に目を取られている間に姿勢を正したゴルドが、まるでダンスへ誘うように淑女の礼をとっていた。


 まっすぐ背筋を伸ばしたまま、深く腰を下ろした様は堂に入っている。美しい姿勢だった。

 嫋やかな指がそこにはないドレスの裾を持ち広げる様が見えるようだ。


 なのに。次には木剣を構えて、誘う。


「こう見えて、運動全般には自信がございます」

「なるほど」


 しゃらりと音を立て腰に佩いた剣を抜く。こちらは刃を引いてある。真剣だ。


「ふむ。我が主君におかれましては、女子供にも容赦がない」

「俺が練習相手に怪我をさせるような真似をするとでも?」


「気に入らない御兄弟のことは、かなりコテンパンにされていたと記憶しておりますぞ」


「そうだったか」

「そうです」


 ふたり目を合わせて微笑み合った瞬間が、戦闘開始の合図となった。




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