6.終わりよければすべてよしとはいうけれど終わりはまだまだずっと先
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きらきら。きらきらきらきら。
神が降臨されていたという奇跡、それ以上に、神と対峙して会話を交わしたという奇跡、そうしてもう尊き姿はすでにないのだという喪失感に襲われて、今更ながらにその場にいた誰もが呆然としていた。
きらきら。きらきらきらきらきらきらきらきら。
「この光……あー! もしかして神様来てたんですか? って。……あれ、俺ってば、生きてるじゃないですか。え、なんで? アレクサンドル様をお守りして本懐を遂げたんじゃ?」
人々の視線を集める中、ごくごく普通に寝ているところから目覚めたようにゴルド・ドルバガその人が立ち上がり、焦った様子で自分の体をまさぐる。
「うわっ、どこにも傷がない! 大変だ、アレクサンドル様のお命をお守りできなかったっていうことか」
アレクサンドルの姿を探し、立ち上がったゴルドの視界が、暗くなった。
「え、あ。アレクサンドル様」
抱きしめられるように、抱え込まれるように。その腕の中に包み込まれた。
「おお、ご無事でしたか! よかったよかった」
「よくない。全然よくないぞ、ゴルド・ドルバガ。いや、わが妃よ」
「え、あの? アレクサンドル様、ちょっと離れて貰っていいですか」
元の体であるならいざ知らず、今のか細いゴルドからすれば見上げるほどの大男であるアレクサンドルの腕の中にすっぽりと抱え込まれてしまい、さすがに息苦しくなったゴルドは、その腕をバンバンと叩いて、放すように要求する。
「嫌だ」
「ええぇぇ?」
元のゴルドの半分の太さもないアレクサンドルの腕だが、今のゴルドからすれば丸太のように太く硬い。内側から幾らもがいてみてもびくともしなかった。
「覚えているがいい。俺はもう、お前に守られてやることはない。俺が、お前を守る。いいな、これは絶対だ。命令だ。俺は、お前の夫なのだから」
アレクサンドルはそう言うと、暴れるゴルドを縦に抱え上げ、下から試すがめす怪我の有無を確認して、肌だけでなくドレスに穴すら開いていないことに目を眇めた。
──神は、死んでしまったら戻せないと思わせたがっていたようだったが、破れたレースを直すことはできるようだ。
「まぁいいか。お前が助かった。それだけで十分だ」
「横暴すぎですよ。いいじゃないですか、妻が夫を守ったって!」
「俺に力くらべで勝ったら、考えてやらんこともない」
「よっし! 約束ですぞ」
考えてやらんこともないということは、考えることすら約束していないという意味であることにゴルドが気が付くことは多分ない。
けれど、それでいいのだ。
それが、ゴルド・ドルバガという人間なのだから。
「ゴルドおねえさま良かった。だいすきですわ!」
「お。クラウディア。わはは。ありがとう」
うわぁんと泣きながら、長く引く婚礼衣装の裾に、目を真っ赤にしたクラウディアがしがみついた。それに続くように侍女や令嬢たちがすぐ傍まで駆け寄ってくる。
ゴルド親衛隊は今日も健在だ。
「おい。お前たち結婚式の邪魔をするな。もう時間が押しているんだぞ」
「ケチなおにいさま。けち臭い男は嫌われるんですよ」
イーだとクラウディアが舌を出した。
「お前に嫌われるならむしろ歓迎する」
「きぃぃぃ!」
まるで子犬の兄弟がじゃれ合うような二人に、ゴルドが声をあげて笑った。
身体が揺れた拍子に、長い髪がたなびいた。
「わはは。お二人は本当に仲がいいですなぁ。……ん?」
「良くない!」「いい筈がないですわ!」
再びぎゃんぎゃんと吠える二人を前に、ゴルドが自分の髪を指で掴んで引っ張る。
そうして、「うわぁ」と叫んだ。
「髪が……髪の色が、また変わった!」
「あぁ。より神に近づいたようだな」
銀の川のようだった髪の色が、今は淡く金色を帯びている。金ではない。銀でもない。不思議な光を帯びた髪だった。
長い綺麗な髪を両手でひっぱって眺めていたゴルドへ、二人は励まそうとして声を掛ける。
「ちなみに、瞳の色も変わってるぞ。夜明け前の空のような濃い藍色に金色の星が飛んでいたのが、夜明けのやわらかな青とピンク色が混ざり合いそこに金色の光が混ざり合う明るい瞳になった」
ぱっと見は金色がかったピンク色だ。これまでの藍色と違い一目で違いがわかるような色合いで、かなり派手である。
「夜の闇が去り、希望溢れる夜明けを迎えたようですわ。とても素敵です」
懸命に明るい雰囲気へもっていこうとしたのだが、話題の選択に失敗したのか、ゴルドは受けた衝撃からなかなか戻ってこなかった。
「おにいさまが追い打ちを掛けるような話題を出すから」
「後で知るよりいいだろう」
だんだん不安が勝り、やはり拙かったかと小声で互いに責任を擦り付け合っていると、ようやくゴルドが口を開いた。
「うーむ。どんどん人から離れていくようですなぁ。まぁ鏡でも見ない限り自分にはわかりませんしな。関係ありませんな。わはは」
≪≪楽しんでましたよ。ゴルド・ドルバガというそれまで堅実に積み上げてきた人間としての礎を失ったにもかかわらず、どこまでも能天気でいるところや無駄に明るい明後日な努力をする姿を≫≫
神の言葉を思い出す。そうだ、こういう奴なのだ、とアレクサンドルは胸が熱くなった。
勢い、ゴルドを縦抱きにしたまま、アレクサンドルはバルコニーの先まで出ていく。
「うわっ。ちょっと」
王宮前広場は、今も人の波で埋め尽くされている。
先ほどまであった騒動にまるで気が付かなかったのか、民衆は今も、大王と聖女の婚姻を寿ぐ声をあげて、その慶事を喜んでいた。
ゴルドを抱き上げたアレクサンドルの姿を認め、観衆が手を振り、ひと際高く歓声をあげた。
「アレクサンドル様、ご結婚おめでとうございますー!」
「聖女様ー!」
ゴルドを抱きかかえた腕とは逆の手をあげ、観衆の視線を集める。
その腕の動きだけで、まるで魔法のように、民衆の声が静まった。
静寂が、鳴り響く。
「今日、俺は神へ、共に歩む妃との生涯を誓った。俺のすべてを捧げるとも。この誓いを違えることはないと、そなたたち民にも誓おう。俺たちの関係は、一般的な夫婦とは違う形に見えるかもしれない。不思議に思うこともあるだろう。だが、心配はいらない。俺たちは、この国を平和で幸せな国にするための尽力を惜しまない!」
「えー、あー。聖女、と呼ばれるのは苦手だ。できれば、ゴルドと呼んで欲しい。それと、お……、んんっ、わ、わたしも、平和のための努力を惜しまない。それが、神の御使いとして、神から奇跡を許された者としての使命だからだ」
「寿げ! 祝え! 今日は俺たちの結婚を祝う日だ!!」
うおぉおぉぉぉおおぉおぉ!!!
「よくわかんねぇけど、すげえ」
「お后様、お綺麗ねぇ!」
「聖女様、銀というより金色だったなぁ」
「ばっか。聖女様じゃなくてゴルド王妃だろ。今言われたことを忘れんじゃねぇ」
「大王様幸せモンだな!」
「幸せ者……」神より授けられた聴力は健在のようで、広場で騒ぐ民たちの祝福する声が、ゴルドの耳に届く。
視界を埋め尽くす人々のどの顔も、どの声も、まるで我が事のように喜びで溢れている。
まるで、この先の未来には幸せが確約されているように。
「俺に、この国を、……あなたを、幸せにできるでしょうか」
目の前に広がる光景を眩しそうに見つめて、ゴルドが呟いた。
「国を治めるのは大変だからな。俺としては、その責の半分を請け負ってくれるだけで、十分だな」
「うっ。書類仕事は苦手です」
どちらかといえば、動物的な勘に頼って軍を率いてきた自覚がある。
論理立てて物事を判断したこともない。そんな自分に、国の行く末を決めることなど本当にできるだろうかと思うと不安しかない。
なによりも、大男であったゴルドの大きくて太い指には細すぎるペンでちまちまと書類を埋めていく作業は苦行であった。
しかし、神の姿を写し取り、美しい少女の姿となった今は、そんなことはない。
力を入れすぎてペン軸を折ってしまうことも、ペン先を割ったり、紙を破いてしまうこともなくなった。その上、神からこの世に関する膨大な知識まで得ているのである。自覚がないだけで途轍もなく優秀だのだ。自覚はないが。
「だが、半分ずつだ」
「なるほど半分ずつですか」
「あの愚兄に、一人であの島から抜け出してサシャを唆すことが出来るはずが無い。教会も、教皇一人を潰したとて諦めて大人しくなるはずが無い」
捜査はこれからだが、アレクサンドルは確信をもって告げる。
「まだまだ問題はありまくりですな」
「神が、この世界で生きている俺たちを見放すのも当然だ。神がやはり人間はダメだ、と諦められても仕方がない程度には、俺たちという存在は失敗作なんだろうよ。その位には腐ってやがる」
「問題山積ですからなぁ」
もちろん善良な者はたくさんいる。しかし、人は間違うものである。失敗もする。善良なだけではない。
それぞれに劣るものがあり優れるものがある。出来ること、出来ないこと。だからこそ協力し合うことができる。
「それでも。……だからこそ、人々というものは補い合うんだろうよ」
お互いにカバーし合えるならば、どんな苦難でも乗り越えられる気がしてくる。
「一緒に神に俺たちを認めさせてやろう。お前とならできる気がする。俺は、お前なら背中を任せられる。お前で、よかった」
ずっと腕に抱え上げていたゴルドの身体を下すと、アレクサンドルはその場に跪いた。
「え? あ、アレクサンドル様?!」
突然、主君から見上げられて慌てるゴルドの手を取ると、アレクサンドルは、その指先、手の甲、そして手のひらへと、くちづけを落としていく。
指先へのくちづけは、賞賛。
手の甲へのくちづけは、敬愛。
そうして手のひらへのくちづけは、懇願を意味している。
神から与えられた知識が、ゴルドにそれを教えてくれる。
「結婚してくれ」
主君からの求婚の言葉。それを受けてゴルドの視線が下がる。視界に入り込んだ唇の柔らかい感触が残る手を見ることができずにゴルドは結局目を閉じた。
花弁のようなピンク色の唇がもにゅもにゅっと歪んだ。形の良いすんなりとした眉も。
なぜこんなことになったのだろうという思いばかりが頭を締める。
この申し出を、拒否することはできない。けれど、それでも勝手に肩が震えてしまうし、目じりに涙すら滲んできてどうにもならない。
結局、敬愛する主君に恥をかかせる訳にはいかないゴルドは小さく頷くことしかできなかった。
「……はい」
それを確認して嬉しそうに笑ったアレクサンドルが、パリュールの最後の一つである指輪を、ゴルドの指に嵌めてくれた。
この国の王妃の指輪だった。




