5.たとえばまるで悪魔のように
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その声は、アレクサンドルだけに聞こえた訳ではなかった。
周囲にはアレクサンドルと同じようにその声に反応している者も沢山いた。
どうやら同じゴルドの助命を祈った者たちには、この声が届いているらしい。
闇があると光を強く感じるように。
圧倒的に強い光というは周囲を暗く感じさせるのだろうか。
あまりに強い光を感じて、目を閉じる。
目を閉じただけでなく、自然と首を垂れて、蹲る者も。
その光が何を名乗った訳でもなく、光はどこまでも眩しい光であるだけ。その光に向かって、彼らは「神よ」と呟き、両手を組んでその前でこれまで生きてきた中で積み上げてきた後ろめたさを数え上げて告解し、祈りを捧げた。
もちろん、ゴルドの助命などまるで頭に浮かんでいなかった者には見えない。
だから、おろおろと周囲を見回すと、見えていない自分を隠すように周囲に紛れ込むために跪いて頭を隠すのだった。
そんな異様な空気の中、アレクサンドルは突然現れた強い光を強い意志をもって振り仰いだ。
そこには黄金色の光としか形容できない、神が坐した。
顔かたちはまるで分らない。分からないのに、その光が不快そうにしているのが分かる。
アレクサンドル以外のすべての者が、その場に伏せて頭を下げていた。
強い畏怖を覚えて身体が震え告解を続けている。それ以外の行動が、何もできない。
ただ一人、ゴルドを抱きかかえて立っているアレクサンドル以外は。
≪≪ゴルド・ドルバガが命を落とした瞬間に、この世界は、戻ってきた魔族に蹂躙されてすぐに終わるでしょう。そこからは魔族の作る新しい世界が始まる。けれど、それに何の問題があるというのです≫
神の無慈悲な言葉にアレクサンドルは反論の言葉を失った。
それは人間にとって、あまりにも無情な言葉であった。
≪≪それはそれでいいんです。えぇ、それがこの世界の行く末だった。お前たち人間が、武器をもって森を切り開き、そこに住む動物たちを食料にするだけでなく美しく着飾るためにだけ命を奪ってきたのとどう違うというのです。時には狩ること自体を自慢するためだけに命を狩る人間が、魔族とどう違うというのです。お前たちには道具があるように、魔族たちには魔力があった。それだけの違いでしかない。狩るものが狩られるようになったからといって、これまでの世界と何も変わらない。そもそもお前の国の堕落具合を考えよ。そこ腐敗した男を王太子とする構造。せっかく排除したというのに、たった数年でそんな男がこの日この場所にいること自体をどう思うのだ。王朝が長く続けばどの国もそうだ。汚職の種類や、金をつぎ込み先は違えど、どこの国も同じように腐っていく。理想は長く続かない。引き継げない。それがこの世界なのだ。国が自浄できぬというなら、正しい道が見つかるまで、天災でも他種族による襲撃でもなんでも良い。すべてを破壊し、一からやり直すべきではないか。そうして理を更新していくのだ。それが、この世界の運命というもの≫≫
滔々と語られる神の真理は、到底アレクサンドルには受け入れられないことだった。
「では、魔族の襲撃はあなたさまの御意思」
神からの視線を感じて、口が縫い付けられてしまったように、アレクサンドルは言葉の続きを口にすることはできなかった。
それでもなんとか首を振って喝を入れると、再び神へと問いかけた。
「しかし……ならば、なぜ俺を、生き返らせたのです。ゴルドの願いを受け入れた、理由は」
≪≪間違えてはいけません。お前はまだあの時、死んでいなかった。死んだ者を生き返らせることはできません。ただ、ゴルド・ドルバガという人間の寿命を使って、お前を生きながらえさせたのみ≫≫
「つまり……ゴルドはすでに、人としての命を?」
アレクサンドルの問いかけに、光が、にんまりと笑った。
「しー」っと口元を指で押さえて見せつける。
≪≪いいえ、ゴルド・ドルバガは、私の形代としての生を受け入れた。私がしたのではない。ゴルド・ドルバガがそれを望み、それを行使したのです。そうして宙に浮いた寿命を使い、お前を癒した。それだけ。それだけのことだけれど、でも、だけど、だからこそ、おもわぬことに、私は、私の形代となり、記憶以外のすべてを失ったゴルドと繋がってしまった。繋がりを得たことで、ゴルド・ドルバガという人間という枠からはみ出てしまったモノが、これからどうやって生きていくのかを楽しみだと思ってしまった。えぇ、えぇ、楽しんでましたよ。ゴルド・ドルバガというそれまで堅実に積み上げてきた人間としての礎を失ったにもかかわらず、どこまでも能天気でいるところや無駄に明るい明後日な努力をする姿を。そうしてそれに振り回されるお前たちは見ていいて面白かった。なのに……≫≫
神が、光が、アレクサンドルの愚兄グレゴアールを見えざる手で掴み上げる。
「ぐえっ。うわっ。うわあぁっ! なななななななんだなんだ? イタイイタイイタイイタイぃ!」
縛られ床に転がっていたせいだろうか。ゴルドの助命などまるで考えていなかったからだろうか。それまで、神の顕現を一切感じていなかったグレゴアールは、突然、見えざる手により宙へと持ち上げられて悲鳴を上げた。
≪≪神である私から楽しみを奪おうとは、いい度胸をしていますね≫≫
そうして、頭の中に直接聞こえてきたその言葉に、混乱した。
(なななななんのことだ! そんなことより、ぼくちん様を今すぐ下せ! この不快な縄を外して解放しろよぉ)
思考は頭の中を巡る。しかし言葉になって出ていくことはない。
光そのものの手によってより高く中空へと引き摺り上げられたことで、ぎちぎちと縛った紐がその腕や足に食い込む。その痛みだけではない愚兄の悲鳴と思考は、恐怖に飲み込まれて音となることはなかった。咽喉がひくひくと蠢くばかりだ。
≪≪泣け、喚け。地獄という現実を前に、惨めに命乞いせよ。お前の悲鳴で、ゴルドの命を贖うことにする。未来永劫、お前が悲鳴を上げている限りゴルドの命は続く。そう簡単に死ねると思うなよ。精々長生きして、自分が仕出かしたことを後悔し続けるがいい≫≫
そこまで告げると、それでもうグレゴアールへの興味を失ったかのように、ぽいっと無造作に床に投げ捨てる。
(──それって、悪魔の台詞!!)
そう叫びそうになったアレクサンドルであったが、彼は賢明であったので、何とかその言葉を飲み込むことに成功した。かなりギリギリであったが。
中空から無造作に投げ捨てられた先の大理石でできた床へ、自分が溶けるようにゆっくりと沈んでいくことで、ようやく先ほど言葉を交わした相手が大いなる力の持ち主神であると理解できたのか、グレゴアールがこけた頬をゆがめて叫んだ。
「うわっ。やめっ、ぼぼぼぼぼぼぼぼくちんさまを、たすけろ、愚弟!」
「やだね。ゴルドのために、せいぜい長生きしてくれ、グレゴアール兄上」
アレクサンドルは謹んでひらひらと手を振ってやった。笑顔で。
愚兄は、神への捧げものとなったのだから。
その時、横から声が上がった。
頭を下げたままの、クラウディアだった。
「あの! わたくしは、その愚かな男の、元婚約者であった者ですの」
「おぉ、クラウディア! ヨシ! ヨシ! さすがぼくちん様の婚約者だ。いいぞ、ぼくちん様を助けれられたなら、妻にしてやろう。いや、聖女が正妃だから側妃だ、第一側妃にしてやる。喜べ!」
≪≪……よく囀る口ですね……≫≫
神の金色の指が、ぴんと弾く動きをした。実際になにを動かした、という訳でもないのに、グレゴアールが「うぎゃっ」と呻いて黙る。声を奪われたのかもしれない。
「今更、その男への連帯責任を負うのはいささか無理があるとは思います。けれど! 確かにわたくしは、この男が犯した過去の罪、横領をやめさせることもなく、そのおこぼれを受け取っておりました。そのあとも、数々の罪を冒しました。本当に、馬鹿でした。そんな馬鹿なわたくしの命でゴルドおねえさまのお命が、寿命が伸ばしていただけるというのなら。謹んで、無上の喜びをもって、わたくしのこの命も、神へと捧げさせていただきたいのです」
頭を下げたまま、クラウディアが奏上する。
周囲は呆然としてその声を聴いていた。
≪≪お前は、それほどの価値が、この男にあると思っているのですか≫≫
「勿論、その馬鹿のためではございません。ゴルドおねえさまのためですわ! わたくしのアイドル。わたくしの推し! 愚かなわたくしにその罪を自覚させ、許しを与えて下さった。わたくしの生きる希望ゴルド・ドルバガ様が生きて笑ってお過ごし下さるのでしたなら、それで本望なのです。ご活躍をお傍で見守れないことは残念ですけど。えぇ、ものすごーーーーく寂しいです。けれど、おねえさまがこの世から去られてしまうより、ずっといい。この命、いいえゴルド様のように性別も、属性もなにもかも、神さまのご遊興のために御使いいただいて構わないと存じます。もちろん、今すぐ絶命したとて問題ございません」
「わ、私の命も! ゴルド団長のためになら差し出せます!!」
転がり出るように、跪いたままのラザルが床に手をつきながら前に出てきて叫ぶと、賛同する声がそこかしこから上がる。
「わたしの命も」
「どうか、どうかゴルドさまのお命をお救いください」
「お願いします」
「神様!」
≪≪ほう。なるほど。面白い、おもしろいぞ、ゴルド・ドルバガ! 美しい女になったからではなく、今は同性である美しい令嬢や、お前の元の姿を知っている者たちまでをもここまで誑し込むとは。あぁ愉快。実に愉快です≫≫
カラカラとコロコロと。軽やかに、豪快に、神が笑った。
機嫌のよさそうな神の笑いに、クラウディアは思わず顔を上げた。
「では!」
≪≪だめ≫≫
「そんなぁ」
≪≪お前がゴルド・ドルバガの傍にいた方が面白そうだ。今回はこの男だけにしよう。扱いに失敗して早死にさせてしまった時のストックにしよう。ではな≫≫
そう告げると、あっさりとホールから強い光は消え去ってしまった。
取り残された者たちは皆、呆然とするしかない。
「す、ストック」
無作法にも床へ尻をつき上半身をあげ、額に手を当てたクラウディアが呟く。
「……後日、と言われると命を惜しんでしまいそうですわ」
「それができなければ、神の奇跡に手が届くことはないということだな」
アレクサンドルは、消えてしまった光をいまだ睨みつけながら答える。
「なるほどですわ」
その横で、大理石の床へとゆっくりとゆっくりと男が溶けるように、堕ちていく。
未練がましく蠢いたとて縄が喰い込んでいくばかり。喉も裂けよと叫んでみるが、神に奪われた声が周囲に届くこともない。
動かせるのは眼球と縛られた先の指先だけ。手首まで頑丈に縛られた手は指先を動かす度に手指の色をどす黒く変え、冷たく重く痛みを訴える。それでも救いを求めて何かせずにはいられないグレゴアールは、うぞうぞと芋虫のように身体を蠢めかせた。肩の関節も腰骨もどこもかしこもぎしぎしと歪み、骨同士がぶつかり合い軋む。
しかし、どれだけ身体を捩ろうとも、グレゴアールに触れるものは縄以外何もない。
縋りつけるものは、何ひとつない。
溶けていく大理石の硬さも冷たさも、顔を濡らしている涙が持つはずの熱ですら、グレゴアールにはもう何もわからない。
哀れみも、蔑みの視線ひとつも与えらぬまま、廃太子グレゴアールは、聖女の命を繋ぐという重大な使命を背負い、この世から静かに姿を消した。
神の奇跡の礎となったグレゴアールがこれからどうなったのか、どうなるのか正しく知る者は誰もいない。
神が今、どこでどうしているのかも。
ただ。
≪≪ずっと、ずっと見てる≫≫
最後に、そうアレクサンドルの耳にだけ、神の言葉が聞こえた気がしたけれど。
本当に聞こえたのかは、わからないままだ。




