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2.大王と聖女の婚姻


 ファンファーレが鳴り響き、人々が喜びの歓声を上げ、花火がそこかしこから上がる。

 王都、いやこの国だけではない。世界中で、神の御使い聖女ルーとアレクサンドル大王の婚姻を祝う祭りが本日開かれているそうだ。


 朝一番に、王族として式らしきものは執り行った。


 ……事になっている。


 あの事件で、教会組織は瓦解した。


 聖女を囲い込んで金で各国へ派遣して子供を産ませようという教皇の計画は、ベルターニャの王太子デチモの協力もあり世界中へと知らされたのだ。

 聖女を娼婦扱いしたことに激怒した者は多く、魔族との戦争時の対応も相まって一般信者も後ろ盾となる貴族たちもいなくなった。

 もちろん計画がとん挫したことを惜しむ者はいなくはなかっただろうが、それを表に出せる訳がなく、世界最大組織であるワシリー教皇を中心とした教会は解散したのだ。


 世間にはまだ戦争孤児や寡婦も多く、その拠り所としてワシリーの計画を知らされなかった敬虔なる神父たちの手でコミュニティーが作られているが、今はそれだけだ。

 とても大王と聖女の結婚式を執り行う力などありはしない。


 だから二人は、その結婚を、集まってくれた民たちの前で神へと誓うことにした。

 城のバルコニーで、これから神への誓いを捧げる。

 それを二人の婚姻式とすることにした。


 王城前の広場には、大王と聖女の婚姻を祝おうと観衆が押し寄せていた。

 どの顔も興奮と喜びに染まっている。


 常と違って黒髪をきれいに撫でつけたアレクサンドルと、結い上げた銀の髪にベールをつけたゴルドが現れると、その興奮がいっそう高まった。


「おめでとうございます!」

「おめでとうございます、聖女様!」

「アレクサンドル大王万歳!! ご結婚おめでとうございます!」


 視界を埋め尽くす人々は誰もが笑顔だ。教会までゴルドを救うために来てくれた女性たちも、もちろん皆参加していた。手を振り仰ぎ、ゴルドを祝っている。彼女たちだけではない。広場を埋め尽している誰もかれもが今日という日を寿いでいた。

 圧倒される光景だ。

視覚情報というものはそれ自身が説得力を持っている。つい先ほどギリギリまでこの婚姻に抵抗感を表していたゴルドすら、もういいかなという気持ちになっていた。


 手を振り返せば、さらに歓声が高まった。


「皆、いい笑顔をしてますなぁ」

「当たり前だ。いいかよく聞け、ゴルド。この笑顔は、お前が作り上げたものだ」


 思わぬ言葉に、ゴルドは言葉を失いアレクサンドルを見つめた。

 常になく真剣な黒い瞳が、ゴルドをまっすぐに見つめている。


「お前にとって、この世界を包み護る魔法障壁はオマケみたいなものだろう。大王である俺を生かし続けるという祈りに神が応えてくれただけだと。しかし、たとえオマケであろうとも、こうして今現在この世界を魔族の手から護っているのは、お前の祈りだ。胸を張って、俺の横に立つがいい」


 ばさりと大きく肩から掛けたマントを払いのけ、ゴルドの前へ手が差し出された。

 シミ一つない真っ白い手袋をしたその手に、戦争時の乾いた赤黒い血と煤と錆がこびりつき、その上から噴き出す鮮血が浴びせかかっているあの時の様子が重なる。


 辺りに上がる声は、悲壮で。凄惨で。

 死に逝く我らが英雄、アレクサンドル大王さまを悼む声がこだました。


 暗雲が立ち込める平原にいるゴルドのすぐ横で、後ろで、前で、アレクサンドルではない命も刈られていた。

 たぶんきっと、気が付いていなかっただけで、ゴルドの命だって刈り取られる寸前だった。


「神の御使いゴルド・ドルバガ。俺は、これまでずっと騎士団長としてのお前に守られてきた。これからは俺が、お前を守ろう。そして共にこの国を見守る勤めを果たしていこう」


 それは、プロポーズというにはあまりにも色を感じさせない言葉だった。

 護国のためという計算も隠されていない。

 王族として命を惜しむ重要性をよくよく理解した上での、誓いの言葉だ。


 嘘偽りの一切ない、その言葉が、ゴルドの心にすとんと納まる。


「アレクサンドル様」

「これからは、“様”は要らない。アレクサンドルでも、アレクとでも、好きに呼べ」

「それは……難しい要求ですな」

「呼べよ。これからはお前は俺の下ではなく、横に立つんだからな」

「相変わらず無茶を言われる」

「当たり前だ。これからは夫婦だからな。遠慮なぞする訳がない」


 今までだって遠慮された記憶などなかったゴルドは苦笑するしかなかった。

 目の前にいる主は、自信満々の晴れやかな顔をしている。

 周囲から今も絶え間なく聞こえる観衆のあげる喜びの声に励まされて、ゴルドは目の前に差し出された手へ、自身のレースの手袋を嵌めた手を重ねた。


 この手に、王妃の指輪を通してもらえば、ゴルドはアレクサンドルの妻となる。


 だがそうはならなかった。ゴルドは重ねた手に力を込めて、アレクサンドルの体を支点として、自分の体をアレクサンドルの背中へ回り込ませた。

 小さな体で覆いかぶさるようにして、庇う。


 ビリッ。


 布が引き裂かれる鈍い音が響く。

 花嫁の美しい髪を飾る白いベールが破れ、その髪に飾られたティアラが床へ落ち音を立てて転がっていく。

 

「きゃーーー!!!!!」


 後ろに控えていた使用人たちの列から静かに歩み寄ってきた一人の侍女が、アレクサンドルに向かって刃を振るったのだ。


 アーモンドの花々を模して美しく結い上げられていたゴルドの銀の髪が解け落ち、流れるように零れていく。


「ゴルド!」


 アレクサンドルの呼びかけに、美しい顔がちょっと間抜けな顔になる。


「あー、長い布すぎて踏んづけてしまいましたな。綺麗だったのに。もったいないことをしてしまいました」


 ベールが破けたのも、ティアラが落ちたのも、ゴルドが足で踏んづけたからであると分かって、周囲がほっと息をはいた。


 近衛たちは別として、婚礼が行われているホールに武具の持ち込みは禁止されている。家臣たちも皆、身体検査を受けての入城となった。

 だがしかし、ここで働いている侍女たちは、ちょっとした補修のための裁縫道具や掃除用のブラシなどのセットを常に身に着けている。その仕事道具の入れ物に忍ばせて持ち込んだナイフが使われたのだ。


 けれど、所詮侍女の腰から下げている裁縫道具入れに入るサイズでしかなく、細くて華奢な手が握る小さなナイフ如きでは、ゴルドに傷をつけることなどできる訳がなかった。


「アレクサンドル様は、ご無事ですかな」

「あ、あぁ。お前が守ってくれたからな。お前は大丈夫なのか」

 ぱたぱたと身体をたたいて確認していく。

「なぁに。こんな小さな刃物では、俺に傷を付けることはできませんよ。俺を誰だと思っているんですか。神の御使いさまですよ」

 ゴルドが自慢げに胸を張って答える。

 ほっとしたせいなのか、油断して助けてもらった気恥ずかしさなのか。アレクサンドルは素直に心配だと言えずに、少し怒った声を上げた。


「馬鹿なことを言ってる場合か。念のため、すぐに医務室へいけ。刃に毒が仕込んであったらどうするんだ!」


 慌てるアレクサンドルに対して、ゴルドはどこか飄々としたままだ。

 アレクサンドルの心配を余所に「過保護ですなぁ。大丈夫です、どこも切られてません」と取り合おうともしない。


 いちゃつく二人の後ろから呪詛をかける声がした。


「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!! アレクサンドル大王だけが、なんでいつもいつも聖女に守って貰えるのよ! 私の婚約者は、死んでしまったのに!!!!!」


 近衛たちに取り押さえられた侍女が、悔しそうに泣き喚いていた。

 身体を捩って髪を振り乱し嘆く姿は、いっそ哀れですらあった。


「なんで聖女様は、神は私にあの人を返してくれなかったのですか。そんなにその男は特別ですか? 私がちっぽけな存在だからですかぁあぁぁぁぁ」


 准男爵家の次女として生まれたサシャの婚約は、この王城での出会いから始まった。政略ではない。恋愛の延長にあるものであった。

 地味な見た目であるサシャにとって初めての恋、初めての恋人だった。

 一生に一度の恋をした相手から、プロポーズを受け、幸せな婚約者となったはずだった。

 魔族が襲ってくるまでは。

 騎士であった婚約者は、「帰ってきたら式を挙げよう」とサシャと約束して戦場に向かい帰ってこなかった。


 ゴルドは立ち上がり、侍女の傍へと近寄る。それを止めようとするアレクサンドルを手で制し、ゴルドは侍女の前にしゃがんだ。

 涙で汚れた顔を覗き込む。


「あの時、魔族の腕がアレクサンドル様の胸を貫いている姿を見た俺には、アレクサンドル様を守れなかったという思いしかなかった。この命に代えてお守りするつもりであった。最後の一瞬まで、盾になってでもお守りしょうと考えていた主君を目の前でみすみす失うのだと。すぐお傍にいたというのに」


 死臭が立ち込める戦場。敗戦はより一層濃厚となった、あの時の絶望を思い出す。

 あの時の感情を、光景を、言葉で言い表すことは無理だ。それでも言葉を探して、ゴルドはその美しいかんばせを曇らせた。


「魔族が人々を蹂躙していたあの場所、あの時、俺の頭にあったのは、アレクサンドル様のことだけであった。重傷を負った自分の父母、いや己の生死すらどうでもよかった。共に戦っている仲間のことまでは、思い至らなかった」


 この国ひとつのことではない。人類の危機を救えるのは、アレクサンドル様だけだとゴルドは信じていた。今もそう思っている。

 共に戦う仲間も、ゴルドと同じ気持ちであったと信じていた。信じている。

 アレクサンドル様のお命だけは守り切るのだ、と。


「なんでっ? 神のっ、かみの御業であるならば、平等に、すべての人に平らに揮われるべきでしょう? 誰か一人、王にだけだなんて。ずるいじゃありませんか」


 神は平等なのだろう。対峙したゴルドには、たぶんきっと神は、魔族に対してですら平等なのだと感じていた。

 だから神自身は、あの戦いへ介入しようとしなかったのだ。

 きまぐれに、ゴルドの願いを部分的に聞き入れてくれた。それだけで奇跡だ。


「俺一人の命を引き換えにして得られた神の御業が、それほど万能であるだろうか。まして神は俺の命を受け取って下さりはしなかった。俺からこれまで培ってきた騎士としてのすべてと、ある意味すべてを失った俺がこれからどう生きていくのか。それっぽっちを贄として捧げて借り受けた神の御業で、魔族との戦いで失った命すべてを贖える訳がない。願ったもの、差し出したもの以上は叶えられぬ。等価交換。それが神の差配、思し召しだった」


「うっ。うっ。なんで。……わたしだって、私だって彼と結婚したかった。綺麗なドレスを着て、み、みんなに祝福されて。それで、それで……。それなのに! なんでお前たちだけえぇぇぇぇぇ!!!!」


 ゴルドは、慟哭する彼女の前で婚礼衣装を身に着けていることに引け目を感じた。

 それ故に慰めの言葉を告げることは簡単だった。謝罪を口にすることも。

 けれど、それを良しとしなかった。

 嘆き悲しむ女を前に、心を強く、冷静な声で問いかける。


「ではお前は、なぜ愛しい婚約者のために命を差し出さなかった?」

「え?」

「なぜ、これまでお前と言葉を交わしたこともなかった俺が、命を懸けてお前の愛しい婚約者を生き返らせると思うのだ。騎士であったなら、守るモノのために命を懸けることは当たり前のこと。そういう職業なのだから」


 剣をもって身を立てるというのは、そういうことだ。

 誰かを守るために、誰かを傷つけることもある。相手の命を奪うことも、力及ばず命を失うことも。


「俺は、主君のために己のすべてを神に捧げると祈って、神の御業を授けられた。死んでいないじゃないかと言うかもしれんが、多分死んで終わりではなく、これから先の生き方も含めて贄として受け取られたのだと思う。一生涯、俺は神に捧げた贄として、神からの視線を感じながら生きていく」


 どれだけ心の清いものであっても、自分が一刻の余地なく神から注目されている状態で生きていくことを喜ぶ者などいないだろう。最初は喜びに心が踊ったとしても、寝ても覚めても常に見られているとなれば、それはもう監視と同じである。

 ごくり、と侍女の喉が鳴った。はくはくと動く唇は、緊張で真っ白になっている。


「再度訊ねよう。お前は何をもって不平等だと言うのか?」

「だって、私は……女で、」

「婚約者どのを守る側ではなく、守られるべき存在だった。それはそうだ。だが、お前が本気で命を捧げるつもりであったなら、神がきまぐれを起こしたのはお前にだったかもしれん」

「!!」


 侍女の顔は、まるで死の宣告を受けたように真っ青だった。

 いいや、間違いなくゴルドは侍女に向かってその宣告をしたも同然だった。


「もちろん、お前の命を差し出したことで婚約者の命が助かったとしても、お前はすでに死んでいるだろう。生を得た婚約者はお前に感謝を捧げつつも、お前のいない人生を歩む。お前には婚約者の手を取ることもできない。実際に生き返ったかどうかもわからないまま死ぬのかもしれんし、別れの言葉くらいは交わせるかもしれんが、それだけだろう。もしくは、……命が助かったとしても俺のように性別を変えられてしまうかもしれん。どちらにしろお前と婚約者は添い遂げられない。それでも、相手を助けたいなら、お前こそがそうするべきであったのではないかと俺は思う」


 あの極限の中で、自分よりも優先したい相手を思い浮かべること。

 自分以外の誰か。たった一人だけを。

 それこそが必要だったのだと、ゴルドは神からの言葉をそう受け止めていた。


「え……あ……」




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