1.愛らしい花嫁
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「むぅ。今からでもここんトコに糸で結びつけるか何かして、短剣を仕込んでおくことはできないだろうか」
滑らかな光沢のスカートの裾を持ち上げ裏側を見せながら、ゴルドが本日の着付け係を勝ち取った侍女リンへと声を掛けた。
美しい練り絹の裾から、宗教画のように嫋やかで美しくほっそりとした白い肢が伸びている。
薄絹の靴下など必要としない、まるで真珠の粉をはたいたように輝く肌。
あれほど陽の下で鍛錬を積んでいるというのに、手にも足にも、もちろん頬にすらシミも痣も一つもない。
奇跡のように美しい顔が、リンが受け入れてくれるに違いないと信じて見つめている。
リンは、ゴルドに笑顔を向けた。
「もうお諦めください、ゴルド様。何度も話し合ってご納得されたのではなかったのですか。短剣なんて重い物を仕込んでしまったら、スカートのドレープが美しく広がらなくなってしまいます」
ドレス工房の方々に泣かれますよと、笑顔でリンに却下される。
持ち上げていた裾を奪われ整え直されながら、ゴルドは形のいい眉を下げて右の手を額に当て辛そうに、ほうと溜め息をついた。
「しかしだな。こうも丸腰で人混みの中に立つなど。ううむ。やはりどうも落ち着かん」
大きな瞳を不安に揺らし愛らしい唇を突き出して、胸の内に燻る思いを訴える姿は、どう見ても深窓の令嬢……いや、貴き姫君だ。
だが、その身の内に宿っているのは淑女とはほど遠い魂だ。
ゴルド・ドルバガ。この国の守護神であり騎士団長その人である。
この、守護神というのは単なる美辞麗句ではない。文字通りに神の御使いとしての力を宿し、この国、いや世界を襲った恐ろしき魔族を退けて下さったのは、ゴルド・ドルバガの献身によるものだ。
リンだけではない。この城に詰めている使用人たち一同が、大王さまと同じだけの尊敬をゴルド・ドルバガへ捧げている。
「まぁゴルドさまったら。どうあっても落ち着くことなどできないのではありませんか?」
「そうですわ。この佳き日。ついにお嫁入りされるのですもの」
「花嫁というのは、そういう気持ちになるものですわ」
その時、城の外で慶事を知らせる花火がポンポンと上がった。
侍女たちの間から、きゃあきゃあと華やかな声が上がる。
そう。今日これから、ついにゴルドはドルバガ家から籍を抜く。
敬愛するアレクサンドル大王の指揮のもと、この国の王妃として迎えられてしまうのだ。
「多分、俺と同じ思いの嫁など、この世に存在しないと思うぞ」
正直、ゴルドの中には消化しきれていないものがある。
戦争という暗く悲惨な経験を乗り越えた国民には、王族の婚姻という慶事が必要であることまでは理解できる。
王族の数も減った。指導者たる血筋を残し繋いでいくことも大切なことだ。
しかし、だからと言って、アレクサンドル大王が娶る相手として、自分ゴルド・ドルバガなどという中身が大男な女もどきを選ぶ必要があるのだろうか、と。
「世界一のご夫君を得るゴルド様と同じ気持ちになるのは、なかなか難しそうです」
まだ未婚の彼女たちにとって、王族の婚姻というものには憧れが先に立つものなのだろう。それがたとえ通常の婚姻とは言い表し難いものであっても。
「ううむ、しかしなぁ。花嫁といっても、中身は俺だぞ?」
ゴルドにしてみれば苦笑しか浮かばないが、侍女たちの言葉は本心からのものなのだろう。ねー、と頷きあう顔に嘘はない。
「ゴルド様ほど、アレクサンドル大王さまにふさわしく、美しい花嫁様はいらっしゃいません。さぁ、私たちの手で、その美しさに磨きを掛けさせてくださいませ」
恭しい手つきでリンがゴルドの手を取り鏡台前の椅子へ座らせつつそう宣言すると、すかさず近づいてきた侍女たちが大きく頷きながらゴルドの銀の髪を一心不乱に編み込み始めた。
癖のないまっすぐな銀の髪はその髪の量もたっぷりとしていて、一人で編み上げるなど不可能に等しい。手分けをしなければ、式に間に合う訳がない。
「ううむ。しかし、しかしだな」
「さぁ、ゴルド様。目を伏せて、首を揺らさないようにまっすぐに保っていてくださいませ。あぁ、できればお口も閉じておいてくださると助かります。化粧前にもう一度、肌を整えさせていただきます」
ドレスの上から、差し出された化粧着に手を通した。
「そ、そうか」
化粧と言っても、ゴルドの顔に色を乗せるような真似は必要はない。
すでに完成された美がそこにはあるからだ。
それでも、王宮侍女として手をこまねいている訳にはいかない。ゴルド自身の美に胡坐をかくことも、自身のプライドが許さなかった。
化粧水で整えてから、香油でマッサージを施す。擦るのではない、揉むのでもない。筋肉に沿って指を滑らせる。それだけでワントーン肌の色つやが変わるのだ。
指先にかける微妙な力加減と肌の下の筋肉や血管などを感じ取る技能が必要となる。リン自慢の、熟練の技だ。
「これ、気持ちいいんだよなぁ」
「ありがとうございます。これから毎日でもご用命ください」
首筋までマッサージが済むと、リンは満足げな顔をして頭を下げて一旦下がった。手を洗いに行ったらしい。
そうこうしている内に、ゴルドの髪が複雑に編み込まれていく。鏡の中に映る自分の髪が、侍女たちの手で縁起の良いアーモンドの花を模した形へと変わっていく。
その様子は何度見ても意味が分からな過ぎてゴルドには魔法のようにしか思えない。
「上手なものだな」
「ありがとうございます」
どうせ上からベールを纏って見えないのに、という無粋なことをゴルドは口にしなかった。
研鑽して手に入れた技術は、どんな小さなチャンスであろうと披露したいと思う気持ちがよくわかるからでもあるが、実際にはすでに試着の時点で「見えない場所まで一部の隙もなくする。それが本物の美というものですわ」と怖い笑顔で詰め寄られていたからだが。
「如何でしょう」
「すごいな。上手なものだなぁ」
「ありがとうございます」
合わせ鏡で見せられたゴルドの髪は、すべての髪がきれいに撫でつけられ、銀色のアーモンドの花冠の形へと纏め上げられていた。中央にはダイヤモンドでできたピンが刺されて固定されている。
複雑に編み込まれた銀色の花々が揺すっても崩れてこないことは、髪型を決める際、実際に確認済である。
「では、失礼します」」
リンが戻ってきて、顔にうっすらと粉を引く。
特別な製法で真珠を粉にしたものと、微細が金粉を合わせて作ったというこの粉は、肌に輝きを持たせ透明感を上げる効果があるのだという。
「ゴルド様には必要ない気がしちゃいますけどね。本当に、お美しいです」
「俺じゃなくて、お美しいのは神様だけどな」
ゴルドの今の姿は、神の力を借り受けるためその姿を写し取っただけだ。
実際のゴルドはむくつけき大男だ。体中傷跡だらけだし、筋骨隆々や無骨という言葉しか似合わない。それがゴルド・ドルバガという男だ。
理想とする剣技を手に入れるべく幼い頃から鍛錬を続けてきたし、得ようと努力して得た自慢の体であった。
だが、幼い頃より努力を重ねてきた日々とそうして得た結果すべてを投げうってでもアレクサンドラ大王さまの命を守りたかった。それだけだ。
「うふふ。ゴルド様は意固地でございますね。私共は、見目のみに対する美しさのみを賛辞している訳ではありませんのに」
「それはどういう意味だ」
「さぁさぁ。紅を引かせていただきますわ。少々お黙りを」
言われるままに、かつて教えられたとおりに唇を半開きにする。
薄い唇の皮膚の上を、甘い香りのする紅を纏った筆が撫でていく。
静寂が辺りを包む。
「御首を、少しだけ前へ」
化粧着を脱がされ俯き加減になったゴルドの首元へ、ずっしりと重いネックレスがつけられた。
次に、吊り下げ式のイヤリング。そしてベールを止めるティアラが、次々とつけられていく。
ドレスに合わせる宝飾品は代々の王妃たちが婚礼の際に身に着けてきたもので、金地に王家の血筋を表すブラックダイヤモンドがふんだんに使われているものだ。どれもずっしりとした重みがある。
「あれ、指輪は嵌めなくていいのか?」
「お忘れですか? 指輪だけは、バルコニーで大王様におつけいただく事になっております」
「別にいいのにな」
ゴルドにとっては、ただの景気づけのイベントだ。
戦争が終わったのだと知らしめるため国家事業的に盛大な慶事を、というだけの認識しかない。ついでにお互いに血を絶やすことのできない存在でもあることだし、信じられる相手同士でもある。
神の御使いになったことで、性別的組み合わせも問題ない、ことになった。
問題があるとすれば、ゴルドの心の中だけである。
どうしてアレクサンドルには葛藤がないのか、ゴルドには不思議でしかないのだが。問題はないらしいので、問題はないらしい。まだゴルドは納得できていないが。
ゴルドにとっては大変重要なことなので、何度でも主張する。だが、ゴルド以外誰も問題にしていない。それが問題だった。
「とてもお似合いです、ゴルド様」
「光り輝くようにお美しいですわ」
「お支度のお手伝いができたこと、末代まで栄誉といたします」
それぞれが、慣れた手つきで自分に与えられた役割をもって、ゴルドを世界一美しい花嫁に仕立て上げるべくその技量を存分に果たしながらも、彼女らの口は止まることを知らない。歌うようにゴルドへ賛辞を投げかける。
「ふう。俺は本当に、アレクサンドル様と結婚してしまうんだなぁ」
戦闘用の鎧よりはずっと軽いはずなのに、ずっと重く感じるドレスを身に纏い、ゴルドは立ち上がった。
その背中へ頭を下げながら、リンが呟く。
「この城で、アレクサンドル大王様とゴルド様との婚姻を寿がないものなどおりませんわ」
「そうだといいがな」




