3.大王アレクサンドル
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「ほう。そなたが、ゴルドだと?」
「はい。偉大なる大王アレクサンドルの剣にして盾、ゴルド・ドバルガでございます」
跪いて騎士の礼を捧げようとしたところで止められた。
「待て。そのままでいい」
顔を上げると、アレクサンドルの後ろに立っていたはずの近衛がふたり、顔を押さえてもんどり打っていた。
緊張していたゴルドはまったく気が付いていないが、薄衣一枚を身体に纏っているだけの今のゴルドが膝をついて騎士の礼をとってしまうと、いろいろと乙女として見せてはいけないモノが丸見えになってしまうのだ。それに気付いたアレクサンドルが、裏拳でふたりの顔を殴ったのだった。
怪訝な顔をするゴルドに、アレクサンドルは笑顔で説明の続きをするように促す。
「アレクサンドル様がお倒れになられた時、盾になれなかった自分を心より恥じました。背中を、預けて戴いたというのに。なにも、できなかった自分が、悔しくてならなかった。だから俺は、この身を贄とし捧げることで、神の慈悲を、この世の平和を求めて天へと祈りました」
「その結果が、その美少女か」
アレクサンドルがゴルドを見つめる視線にたじろいだ。
別に、性的な視線という訳ではない。だが、すべてを見透かされているような、隠し事は許さないと言われているようで、落ち着かなかった。
「……神の御業を得るためには、仕方がないのだそうです」
夢の中での邂逅は、今のゴルドには曖昧だ。
けれどその内容まで忘れてしまった訳ではなかった。ただ、光り輝く神という存在の形が、ひどく遠い。会話をしたはずなのに、声が男のモノであったのか、女のモノであったのかすら分からない。
ゴルドは嘘などついていないが、それを証明する手立ても持っていないのだ。
緊張するなという方が難しい。
「俺の祈りが続く限り。この地を護る結界は、消えないということでした」
正確には、ゴルドが死んでもその血筋が残る限りと言われた、と思う。
にんまりと、人の悪そうな笑顔をしていたことも、ゴルドの気のせいだろう。いや、そう思いたい。
しかしどれくらい血が遠くてもいいのかについては分からない。
だが、ドバルガの一族は忠誠心に篤い。むしろどれだけ遠かろうが自分と同じ血筋の者として、世界を護りたいという祈りを捧げ続けることくらいはしてくれるだろう。
「つまりあれだな。お前は一生涯、その姿ということだな」
「……御意」
どこか、遠くへ。山の中でも分け入って、ひとり平和への祈りを捧げて過ごそうと思う。
もしくは神殿へ入って、神への祈りを捧げて過ごすのも悪くないかもしれない。
もう二度と、騎士団長として偉大な王の背中を預かることは、ゴルドには叶わないのだから。
見上げる先には、玉座にすわる偉大なる大王の姿があった。
この方の背中を預かる名誉を頂いていることが、どれほど誇らしかったことか。
幾たびも共に激戦死線を潜り抜け、誰よりも最前線に立つこの方を最後に守る盾であり剣であることこそが、ゴルドの生きる理由であった。
もう自分には、敬愛する大王をお守りする力はないのだと思うと、また泣きたくなる。
新しい身体は、力も無ければ我慢すら利かないようで、今しも涙が零れ落ちそうになるのを、ぐっと唇を噛んで我慢する。
「そんな風に、唇を噛みしめるものではない。乙女の身体は、柔らかくできているのだ」
「!」
いつの間に目の前まで来ていたのか、アレクサンドルの大きな指が、つ、とゴルドの唇を撫でた。
いや、本来のゴルドの方が、手指は大きく、太かった。
だから、アレクサンドルの手で顎を掴んで上向きにされても、どうということはない、はずだ。
なのに、なぜ今、アレクサンドルの黒い瞳へと映り込んでいる少女の顔は紅いのか。
どくどくと、心臓が痛いほど跳ねている。
「神の御業で平和を手に入れた今、この国には慶事が必要だ」
「ひゃい」
黒い瞳に魅入られて、ゴルドは、視線ひとつ動かせない。
「王と神の御遣いである聖女との婚姻ほど、相応しい慶事はあるまい。なぁ、ゴルド、お前もそう思うであろう?」
「ひゃい……ふぇっ!?」
「ヨシ! 言質はとれた! 皆の者、婚姻の準備に入れ!」
はっ、とその場に控えていたすべての者が頭を垂れると、そのまま謁見室から出て行く。
無駄な質問を口にする者すら、ひとりとしていなかった。
アレクサンドルの言葉を否定する者など、この城には存在していないのだから、当然といえば当然だ。
だが、ただひとりだけ、今だけはそのひとりとなるべく、ゴルドは声を上げた。
「ばばっばばばかな! 駄目です、俺を誰だと思っているんですか。大男のゴルドですよ?」
唾を飛ばして、拒否を表明する。
神の御業を為すためだとこんな形をしているが、元々のゴルド・ドバルガという男はアレクサンドルより頭ひとつ高く、身体は後ろに隠せるほどの横幅もあれば厚みもあるのだ。
齢は35。アレクサンドルより6年も長く生きている。
幼い頃に引き合わされて以来ずっと、次代の王たるアレクサンドルのために生きてきた。
王をお守りする為に鍛え上げた身体に自信はあるが、それとこれとはあまりにも別物である。
というか、大王たるアレクサンドルの下へと集まる縁談は両手の指に両の足の指を使っても足りないほどなのだ。
隣国の王女からの申し込みも自国の公爵令嬢からの誘いも、すべて袖にしてきたアレクサンドルの隣に立つのが、元騎士団長の歳上の男でいいはずがあろうか。いや、断じて許されるべきではない。
「だからなんだ。俺は穴さえあればなんとかなる」
「サイテイですね、アンタ」
うわぁと思わずドン引いた。
先ほどのアレクサンドルの命令のお陰で、この場に女性陣が残っていなくて本当に良かったと思う。
聞かれていたならば、間違いなく王の人格を疑われる所だったとホッとする。
ただし、ゴルドとしては、王がそういう男であるということは知っていたので特に問題はない。
だがそれでも、ドン引きせずにはいられないが。その相手が自分であるならば、特に。
来るもの拒まず、去る者追わず。
実のところアレクサンドルという男は、見合いという訳でもなく献上品として捧げられた女性と一夜を共にしても、二度目は無いということで有名であった。
『結婚してもいいと思う女と巡り合えたらな』
結婚を急かす国の重鎮たちへ、そう言って笑う姿を見たことは何度もある。
だというのに。
なぜ、ゴルドと結婚しようとするのか。
「そうか? 俺は、最高の気分だ。お前以上に俺に尽くす存在はいないからな」
伴侶とするには最高だ。
そう耳元で囁かれて、ゴルドはそのままずるずると床へと尻もちをついた。