13.教会と聖女
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「いいですか、処女性を必要とせず、子供を産んでも神の加護を失うことのない聖女。しかも産んだ子供は世界の平和を護る守護防壁の維持する力を受け継いでいる」
手にした盃をぐいと飲み干して、ワシリーは空になった盃を前に差し出した。
新たな酒が注がれていくのを眺めながら、ワシリーはうっとりと呟く。
「なんと素晴らしい神の恩寵。なんという僥倖だと思われませんか」
目の前に座っている相手が頷いてみせた。だが、それを盃からまったく目を逸らそうとしないワシリーから見ているのかどうか。
「神の御力を世に知らしめるために、聖女は古世界へ降臨したのです!」
盃の中身の香りを堪能すべく鼻をひくひくと蠢かせる。浅ましい姿を目の前の男だけでなくこの部屋にいる者たちすべてに向けて曝け出していることすら、もうワシリーは気付かない。
そもそも、ベルターニャの王太子が引き連れてきた者たちに対する関心がないのかもしれないが。
「聖女の存在は、ひとつの国が管理できるようなものではない。神の僕である私達教会こそが、その恩恵を世に広めるため管理すべきなのです!」
「ふざけるな。ゴルドさまを娼婦扱いしようとしていたのか、この腐れ教会の外道どもが。ゆるさん」
ベルターニャの王太子の後ろにいたひとりが、憎々し気に吐き捨てた。
「あまり大きな声を出すな、ラザル。もうすぐ落ちる。せめてそれからにしろ」
「すみません」
「あぁ、でももう大丈夫かな」
視線を移せば、ワシリーと毒見役の側付きのふたり揃って床に頽れていた。その瞳の焦点はふわふわと宙を彷徨い合っていない。
“命の水”だけならば、ただの旨い酒だ。
チョコレートだけでも、ただの旨い菓子だ。
一緒に食べれば旨さが跳ね上がる、だけではない。
興奮剤とは違う。自白剤でもない。高揚剤とでも言えばいいのだろうか。
酒が入ればだれでも多少は口が軽くなるというが、その効果が絶大に発揮される。
秘めておかねばならない秘密をぽろぽろと口に出し、それを駄目なことだと認識できなくなる。時も場所もなにも構わず、ただ本能の赴くまま、問われるままに滔々と語ってくれるようになる。
ベルターニャ王家が、政敵の思惑を知るための奥の手だ。
ただ自制を失わせることが目的のものなので、これまで副作用などは報告がない。後遺症が出たこともない。
ただ、普段はこれほど多量には飲ませることはしないので、効き目としてもほんの少しいつもより口が軽くなる程度だ。それで十分だったからだ。
だが今回はどうにも腹の虫がおさまらなかったデチモは容量も何もなく使ったのでもしかしたら副作用が出るかもしれない。だが、それでも構わなかった。
「それにしても、行き違いにならなくて本当に良かったよ」
「これも神のお導きかと」
「聖女さまだもんね、それもあるか」
すっかり諦めてしまっていたアレクサンドルに見切りをつけたラザルは、ひとりベルターニャを目指して馬を走らせた。
副騎士団長の権力でゴリ押しでその街で最も足の速い馬を借り受け乗り継いで国境まで来たところで、デチモの一団と遭遇できたのだ。
「ベルターニャから縁組の申し込みをするつもりだったんだ。式を挙げる前ならなんとか勝負になる気がして思いついたら居ても立ってもいられなくてね。それで飛び出してきたんだ。けれど、良かったよ間に合って」
交渉に使えるかもしれないと用意してきた命の水も役に立った。
すべてがギリギリのところで噛み合った形だ。
「えぇ、これは間違いなく神のお導きでしょう。……それで? 今のワシリー教皇の話を聞いて、如何ですか」
無造作に扉へと近づいていったラザルが、扉を開けた。
そこに所在なさげにして立っていた美しい少女を見つめ、尚も問い掛ける。
「ねぇ、ゴルド様?」
ゴルドはしばらく躊躇った後、ぽつりと答えた。
「……俺は、残る」
その回答に、ラザルは我慢することができなかった。思わず声を荒げて問い詰めた。
「! 聞いていたでしょう? 今の! ワシリーの話を!!」
「あぁ、大体想像していた通りの下種っぷりだったな」
「なら!」
ぐっと掴んだ肩は細くて。目の前にいる少女こそ敬愛する上司であると分かっていても、視覚と手に掴んだ感触が、すべてがラザルの記憶と重なる物が無さ過ぎて、辛かった。
「なんであなたは、そこまで犠牲になろうとするんですか!」
掴んだ肩を強く揺さぶった。
ラザルが全力で挑もうと露ほども動かぬ筈の力強い巨躯の持ち主だったのに。
今は嫋やかな百合の花のように揺れている。
それが悔しくて、悲しくて。ラザルは慟哭した。
「なんでえぇぇぇ!!」
しまった…コメディどっかにおっことしたった…すまぬすまぬ




