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12.ベルターニャ王家の、命の水



 ワシリーはソファに深く座り直すと、一息ついた。

 実際の問題として、教会の資金繰りが怪しい状態で子を作ったとしてもどうにもらないのだ。

 継がせる財産を築き上げてからまた考えればいいと思い直した。

 そうして、覚悟を決めた。


「ふむ。……まぁいいでしょう。それにしても、ベルターニャの王太子殿下自らが幾らでもと仰るとは。随分と大きく出られましたな」


 笑顔で、それは一体どこまで出すということなのか、探りを入れる。

 それに答えるように、ベルターニャの王太子が笑みを深めた。


「そうですね。まぁ、国家予算から推測して頂けるかと」

「ほう」


 魔族の襲撃を受けた今でこそ閉山状態ではあるがベルターニャには金山が2つもある。

 文字通り、富みを生む山を持つ国の国家予算とは如何ほどの物か。

 ワシリーは、この話に乗ることに決めた自分を褒めてやりたくなった。

 今日今すぐに締結する必要はないだろうし、まずは口約束で引き延ばし、配下に命じて精査してから正式な金額を取り決めようとワシリーは頭の中で算段をつける。


「どうやら無事、交渉のテーブルにつけたようだ。まずは乾杯といきませんか。ワシリー教皇に相応しいとっておきの物を持参してきたのです」


 王太子が鷹揚に頷いてみせると、ワシリーの側付きが恭しい手付きでお盆を掲げ持ってきた。


 ちいさな杯が2つと瀟洒なボトルが乗っている。


 王太子がすっと手を差し出すと、側付きが慣れた手付きで封緘を外し、琥珀色の酒を両方の盃へほんの少しだけ注いだ。

 琥珀色の液体が器の中で揺れていた。ほんの少しであるにも関わらず部屋の中に濃厚な香りが漂う。どのような味わいがするのだろうか。甘いのか、辛いのか。それすら分からないまま舌の上にその味を想像して、ワシリーは思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。

 そうして、当然のような顔をして、盃の中身を飲み干す。

 目元をほんのりと紅く染めうっとりとした表情でボトルへ熱い視線を向けた側付きは、ほう、と長く息をはいた。舌を湿らせる程度しか注がれていなかった酒がどれほどの感動を生んでいるのか。ついには目を閉じてしまい、なかなか動き出そうとしない側付きに向かって、ワシリーは咳払いした。

 ワシリーの早くしろという急かすような不機嫌な顔に気が付いて顔を引き締めると、恭しく頭を下げるともう一つの盃も同じように飲み干した。ただし二度目は目を閉じたものの、すぐに動き出したが。

 そうして、無言で再び杯をとろりと蕩けるような琥珀色の酒で満たした。

 先ほどより量が多い。当たり前だ、先ほどの行為は毒見だからだ。

 ベルターニャの王太子が持ち込もうと一緒、というよりも教会が用意した酒器に仕掛けはないとするためのもの。そもそもここでベルターニャが教皇に対して毒を盛るなどあり得ないが。


「我が家秘蔵の“命の水”です。特別な日にしか開けません。まさに今日という日に相応しいと思って持ってきました。教皇の口に合うといいのですが」

「ベルターニャ王家の、“命の水”ですか」


 我が家、つまりベルターニャ王家で特別な日に開ける酒ということだ。

 ワシリーが見つめる先で、瀟洒なカッティングが施されたボトルがきらめく。

 どれだけ金を積もうと手に入らないであろうベルターニャ王家の特別な“命の水(さけ)”。

 その味を知るひとりに、今、ワシリーはなるのだ。


「お互いが得るべきモノを得られるように。その交渉の席に誰より先に辿りつけた幸運に」

「お互いの幸運を神に感謝致しましょう」


 お互いに、受け取った盃を掲げて口元へ運ぶ。

 ワシリーは盃を口元へ運ぶまでの間に手が震え出しそうになるのを必死に抑え込んだ。溢してしまう訳にはいかない。だが、それほどの興奮がワシリーの身体を満たしていた。

 これまで教会に寄進された財をもってあらゆる酒を集めて味わってきたつもりだったが、これほど香しく鼻をくすぐり薫る酒など初めてだった。


 そうしてその酒は、口に含んだ瞬間つるりと舌の上で広がった。口腔内が香気で満たされる。旨い。甘さも苦さも辛さもあって、けれどそれだけではない清涼感と強い酒精。そのすべてがワシリーの五感を刺激する。

 喉元を通り過ぎていく酒精の刺激で身体が震えたことなど、長い飲酒歴においても初めてだった。


 ──至福。


 それは、身体の隅々までが痺れるような至福体験だった。

 ワシリーは目の前に無造作に置かれたままになっていた瀟洒なボトルを掴んで飲み干したいと本気で思った。

 だが、これはそのような飲み方をする酒ではない。分かっていたが、目が熱くボトルを見つめてしまい、視線を逸らすことができない。


「お気に召しましたか? もっと大きな酒器がお望みでしょうか。だが、酒ばかり飲んでは身体に悪い。摘まむモノも一緒に持ってきております。こちらと一緒に合わせると、お互いが引き立て合って、さらに旨いのですよ」


 酒好きのワシリーはボトルにばかり魅了されていたが、その横には美しい器が用意されていた。

 中にはほとんど黒にしか見えないほど濃い、艶やかな茶色の菓子が並べられていた。


「これはチョコレートですな。確かに酒に合わせるのが好きな者もいるようですな」


 だがワシリーとしては酒にツマミは必要がないと思っている。むしろ邪魔だとすら感じるタイプなので眉を顰めた。

 これほどの酒に甘い物で舌を汚すなど以ての外だ。


「いや、私はこちらだけで」


 盃を掲げて断りを入れる。その横から、無遠慮な手が伸びてきた。


「失礼致しました。こちらの毒見を忘れておりました。形式上のものではありますが、失敬致します」


 そう言い切るなり、ぽいっと口へ放り込む。

 咎める間もないほど性急な側付きの行動にあっけに取られているワシリーを前に、側付きはうっとりとその濃厚な甘さを舌の上で堪能していた。


「なんてすばらしい。先ほどいただいた“命の水”の余韻が長引くような。あぁこれは……なんと素晴らしい!!」


 側付きは、テーブルの上に置かれた瀟洒なボトルへ熱い視線を向けていた。

 立場など投げ捨てて今すぐにでもそのボトルの中身を再び味わいたいという熱い想いが籠められている視線。

 それに気が付いたワシリーはボトルを腕に抱え込んだ。

 蓋を閉めていても感じる、“命の水”の香気に中てられたのか、ボトルを抱える腕と反対側の手が、テーブルの上に残る器へと伸びていく。

 側付きの言葉に、ワシリーの興味が湧いたのだ。

 側付きもワシリーと同じで酒にツマミは要らない派だった。それで意気投合したところもある。それなのに、今目の前に立つ側付きはチョコレートを口にした。そうして更に酒を求めた。


 ベルターニャの王太子が、にこやかに押し差し出してくれた器から、艶やかなチョコレートをひとつ摘まみ上げたワシリーはそれを口へ放り込んだ。






命の水。アクアビットは基本的に透明ですが、樽で熟成されたものは色ついてるモノもあるんよー

ウイスキーの語源でもあるのであまり気にしないようにお願いしますー


まぁ、ここは異世界なのでw とろりとした色付きの酒ってことでよろしくです(笑)


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