6.教会の罠
■
「聖女ルー。尊き貴女の血筋がこの世界から失われた時、神の御加護は失われ、またあの憎き魔族の侵攻が始まってしまう。間違いありませんな?」
「まぁそうだな」
別に、ゴルドは情報を秘するつもりはないので、神から聞かされてきたそのルールを説明してきた。
だから、教会のトップである教皇がそれを知っていても当たり前なのかもしれないが、誰よりそれを知っているゴルドに対してなにを諭そうというのか。訝しむ。
「貴女の血筋を絶やす訳にはいかない。その重要性を本当にご理解していますか。疑問でならないのです。たしかにアレクサンドル殿とのお血筋も残すべきでしょう。あなたはこの国の家臣であり、この国を護りたいと願うのはごく自然なことです。それ故、この国の王家の血統にあなたの血を残すべきだと判断されたことは分かります。えぇ当然のことです」
滔々と語るワシリーの声は、いつしか熱気を帯びていた。
説得する声にも力が入り、大きくなっていき、視線が集まる。
『ふふ。どうだ、私の視線から目を離せまい。長年研究を続けてきたのだ。相手が反論を口に出そうとするそのタイミングを詠むことができるようになった私には、自身の言葉を被せて反論を潰すことも、視線の動かし方で口をつぐませることも自由自在よ』
見つめる先にある獲物──今日の獲物は特に特上品だ。
きらめき流れるような銀色の長い髪。沁み一つない美術品のように滑らかな白い肌。大きな瞳はまるで夜明け前の空のようで幻想的な色合いをしており、その瞳に自分だけが映されているのは気分が良い。
なるほど神の御遣いと称されるだけはある、美しい娘だった。
なにより清楚であり、動きに気品がある。ワシリー自身は既にそちらへの欲望は遠くなり、記憶と知識となって久しいが、きっとある種のコンプレックスを抱えている男たちにとっては、それを穢してやりたいという昏い欲望を駆り立てる、よき対象となるだろう。
単なるかすり傷を、死の淵から戻したと言い張る。すべてを誇張し、己を大きく見せるのは、この世界の常套句である。とはいえ荒唐無稽な中にも真実らしさという華を添える必要がある。
ワシリーの目の前に立っている娘ならば、確かにその価値はあるだろう。神の御遣いとして持ち上げるだけの価値が。
若いおなご如き、ワシリーには操ることなど簡単だ。
だが油断して逃すつもりはさらさら無い。
絶対に連れて帰る。ワシリーは本気だった。
「……ですが」
ここで言葉を止めて、ワシリーはゴルドの視線が自身へ固定されているのを確認して、心の中でにんまりした。すでに相手はワシリーの話術という罠の中にいる。そう確信した。
疑問を挟む余地を許さず畳み掛けるなら、ここだ。
「一つの国の血統にのみへと偏るのは危険なのでですよ。それが本当にお分かりか。継承争いや戦争、いいや、ただ子ができぬだけでも容易く絶える」
絞り出すような声を上げ、悲しみを籠めて、悲痛な訴えを投げかける。
「ワシリー・バブーリン教皇は、俺にどうしろと仰るのか」
掛かった! ワシリーは娘の口からその言葉が出る瞬間を待っていた。だが、逸る気持ちをひた隠しにして、厳格さを全面に押し出し、重く告げる。
「世界中の王族たちとの間に、あなたの血を遺す事。それこそがあなたの選ぶべき最善最良の道なのです。世界の平和を護るには、あなたの血筋が必要なのだということを、重く肝に銘じられよ」
ここまで言われて、それを拒否することなど、若い娘にできる筈がない。
そう確信したワシリーは、ゆっくりと、未だ閉まったままの門の向こう側に立っている若い娘へと手を差し伸べた。
「私たち教会ならば、そのお手伝いができます。国と国の力関係や諍いを鑑み、諫め宥め、中立を尊ぶ私達ならば。他の誰よりも公平に。それこそが神の定め」
「なるほど。つまりあれだな。お前等なら、俺に欲情できる男共と大量に繋ぎが取れるってことだな?」
「……」
「どうした?」
「いや。こちらの事だ。気にせずとも良い。そうだな、言葉選びが悪すぎるが、平民らしい言葉を使って、平たく言えばそうなる、か」
他国の王族へ貸し出す前に、厳しい教育が必要そうだとワシリーは絶句した。
いっそ薬漬けにして意志のない者としてしまう方が手軽かと思ったが、それでは気品ある動きも何もかもを奪ってしまうことになる。口の悪さが誤魔化せようとも、価値が下がっては元も子もない。
ワシリーは、聖女ルーの血筋を多くの王族との間に残す計画を立てていた。
その際には勿論お布施を貰うことになる。教育だってタダではない。衣食住の面倒も、教育も施すのだ。
聖女の後見として当然の権利だ。
「しかし……俺としたい男なんぞ、そうそういないと思うがなぁ」
「ほっほっほ。それが若いという証明です。若い頃は、自身の価値が見えにくいものなのです。勿論、自己評価が高すぎるということもありますがね。でも、大丈夫。あなたに嫌を突き付ける男性などおりませんよ」
若いというだけで価値がある。そこに美しさがあるのだ。口が悪かろうが、実は得体のしれぬ平民出であろうが関係ない。
そこに、教会の保証つき聖女というブランド価値まで付いているのだ。
この美しい少女と子を為す権利に、高値がつかない訳がない。
「んーそうでもないと思うぞ?」
ゴルドが、いつの間にかすぐ後ろまでやってきていた騎士団の面々に向けて、ちらりと視線を動かせば、誰もが自分の顔の前で懸命に手を振っていた。
ぺこぺこと腰を90度まで曲げて頭を下げている者もいる。




