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1.異国の王子様



「うぉっ」


 打ち込みを行なっていた子供用の木剣が、ゴルドの手から飛んでいく。


 手のひらを傷つけないように、よく鞣した鹿革を巻いて貰った分だけ厚みを増した剣の柄は今のゴルドの手に太すぎたようだ。そのせいで握りが甘くなり、打ち込み用の木の棒からの反動を受け止めきれなかったのだ。


 くるくると円を描いて剣が飛んでいく。

「いたた」


 痺れた手を振り、力が抜けるように地面へ尻が落ちた。


 昨日の宴の影響だろう。常ならば共に練習に励む者も増えてくる時間だったが、練習場にはゴルドの外に人影はなかった。


 見上げる空は少しだけ色が変わってきていた。それでもまだその大半は夜の闇に覆われていて、星が瞬いている。


 一日の中で、一番空気が冷たい時間帯だ。


 視界の端で揺れる髪はもう赤くはないけれど。

 この時間が一番好きだということまでは、変わっていない。


 上がっていた息も整ってきた。


 服に着いた砂埃を叩いて落としながら、立ち上がる。


「ふむ。鹿革の鞣し具合をもっとこう薄手にして貰うように頼んでみるか。それとも他の素材を試してみるべきだろうか。いやそもそも柄の形状を変えて貰うというのもありかもしれんな」


 そんな風に考え事をしていたことと、何よりここが王城内の訓練場であることにより、完全に油断していたからだろうか。すでにほとんど立ち上がっていたゴルドの前に、形のいい手が差し出された。

 節くれのないしなやかな男の手だった。

 力仕事などまるでしたことがないのだろう。もしかしたら剣を握ったこともないのかもしれない。ゴルドの知らない手だ。


 誰の手だろうと視線を上げた先に立っていたのは、ゴルドの見知らぬ若い男だった。

 30を幾つか超えたくらいに見えるその男は、反対側の手でゴルドが取り落とした木剣を持っていた。


 着ている上着の形こそ騎士たちが着ている物とよく似ているものの、全体に豪奢なビジュー刺繍が施されている。その頭に巻いたターバンもベルト代わりの腰布も赤地に黄金色の房飾りが垂れ下がっているし、履いているズボンの裾は膨らんでいた。


 つまり身に着けている物すべてが、その男の地位の高さを表していた。


「剣を拾ってきて下さってありがとうございます。ですが、お客人。現在この練習場内は関係者以外の立ち入りが禁止となっています」


 少し前まではそのような規則は無かった。王城内への立ち入りを許可されているならば無条件で練習場へも自由に立ち入ることが許されていた。

 しかし、今は違う。

 神の御業を扱うために少女の姿となったゴルドは見た目そのままの非力な存在となってしまっている。戦闘技術は失っていない。知識は増えたくらいだ。だが身体の動きがまったくついてこない状態だ。なにより力が弱いし、体力も信じられないほどない。

 つまり、本気の襲撃を受けたらゴルドに勝ち目はない。あっさりと制圧されてしまうだろう。


 魔族との戦闘により王城で働く者の数が減ってしまっている今、ゴルドの護衛に割ける人数は少ない。それ故の処置だった。


 これで相手に敵意を感じていれば、ゴルドは一目散に城内目指して駆けて行っただろうが、目の前の男に敵意は感じられなかった。


 どことなく面白がられているような、そんな視線をしている。


 ゴルドが剣を受け取るために差し出した手を取られ、その指先へ唇がそっと触れていく。軽いリップ音がする。


「こんなにも可憐で美しい幼い少女へ、このような野蛮な真似を押し付けるなど。大王ともあろう御方が。なんという無慈悲で無体なことを」


 痛ましげな目で告げられて、ゴルドはどう対応すべきか悩んだ。


 とりあえず意表をついて制圧すべきだろうか。

 それとも敢えて相手の出方を伺うべきだろうか。


「デチモ王子! うっぷ。勝手なことをされては困ります」


 そこへ、昨夜の宴会による吐き気がまだ治まり切っていないラザルが、慌てて走り込んできた。

 その後ろにはゴルドの知らない侍従が付いて来ている。


 しかし王子と呼ばれた男はラザルの咎める声など気にする様子もなかった。むしろ笑顔になった。


「ラザルがなかなか紹介してくれないのが悪いんじゃあないか。まぁ、聖女ルーがこれほど美しい少女であるなら、自国へ囲い込んで隠しておきたくなるのも仕方がないか」


 訳知り顔で笑ったデチモが、握ったままだったゴルドの手を親指の先で撫でた。


「ちがっ」

「あはは。良い良い。美しい女性はそこにいるだけで価値がある。私の妻や娘たちもなかなかの美姫だが、それに優る美しさだ。それが聖女であるというなら、まさに国宝と同じだ」

「違うんだよなぁ」


 ラザルは頭を抱えた。これは決して二日酔いが原因ではない。もっとずっと質が悪いものだ。


「早くその手を離してください。ゴルド様も、いつまでも手を握らせていては駄目じゃないですか。早く、離れて」


 気が気ではないラザルが焦って言い募るが、デチモはまるきりラザルの言葉を無視すると決め込んでいたし、ゴルドはゴルドで、その理由をまるで分かっていなかった。


「それでラザル、こちらの御仁(ごじん)は?」

「あぁ、すみません。こちらは、先日まで私が遠征していたベルターニャ国の王太子デチモ殿下です」


 ゴルドの問い掛けに、ラザルが姿勢を正して答える。その顔色は、若干いや、かなり悪い。


「なんだと。使節団を受け入れているなど、俺は聞いていないぞ」

「……私の帰国時に、一緒にこの国へ、その」

「密入国させたということか」


 ゴルドの視線が冷たく光る。端的に指摘をしたその瞬間、ラザルは勢いよく敬礼した。


「申し訳ございません。聖女ルーという少女が、ゴルド団長の名前を騙っていると思っていたのです。その、デチモ殿下の申し出をお受けしてベルターニャ国に連れて行って貰えば、そんな風に名前を騙らずに済むかと思いまして」


 ごにょごにょとラザルの説明する声がちいさくなっていく。


「それで? このまま入国の手続きはしないつもりか、ラザル」

「いいえ、いえ、はいっ! 今すぐに!!」

「まだやっていないのか」

「申し訳ありません」


 腰を深く折り頭を下げると、ラザルは来た道を走って戻っていった。





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