2.騎士団長は健啖家
■
朝陽が昇り空が明るくなってくると、騎士たちはひとりふたりと櫛が欠けるように消えていく。一辺にではない。少しずつだ。
この訓練は仕事ではない。あくまで自主練だ。だからそれぞれが与えられた職務に遅れることの無いよう、各自でシャワーを浴び、着替えをして食堂へ向かう。
ここにいる騎士全員が一度に押し掛けては食堂で働く者すべてがパニックを起こすことになる。過去に実証済だ。
そもそもガタイがいい男が集まるだけで圧迫感が凄い。
暑苦しいだけでも騎士以外の利用者から不評であるが、騎士はひとり一人が食べる量も半端ないため、鍋一杯の料理が瞬く間に消えてしまうからだ。
食事を受け取る為に並んでいる目の前で鍋が空になった時の血走った瞳に、料理人も盛り付ける給仕係も、大声で謝罪を繰り返し泣き出してしまう料理人が出るほどだった。
だがそれも、すべて過去のことだ。
戦時中とはちがい、騎士たちは自発的に食事の時間をずらすようになった。それだけの心の余裕が生まれたということだろう。
何より、一番長く食堂の席に陣取り、誰よりも多くの食事を食べていた男はもういない。
彼より先に食堂に駆け込まなくても食事にありつけるのだから。
「うー……」
「あらあら。本当にもう食べられないのねぇ」
「おばちゃん、ごめん。前の身体なら10枚でも20枚でも食べられたんだが……うっぷ」
ゴルドの前には、ぶ厚い、けれど面積的には他の騎士たちの前にある物の四分の一程度しかないステーキが置かれていた。
その端っこが、ほんのちょぴっとだけ削り取られている。
薄く削った肉片が刺さったままのフォークを前に、ゴルドはうーうー唸って胃の辺りを押さえていた。
誰よりも大量の食事をひとり占めしていた男は今や美少女に生まれ変わり、その胃袋は、見目に相応しい量しか胃が受け付けなくなってしまった。
「無理しないでいいわよぉ」
「ううむ。だが、食べねば筋肉がつかないのだ」
それは困るのだと眉を下げるゴルドの前から、給仕係の手によりステーキの皿が下げられていった。
「あぁ~っ」
勿体ない。そう感じる以上に、ゴルドは悔しくて堪らなかった。
「神の代行者となるための試練とは、これほどまでのことなのか!!」
悔しくて悔しくて。ナイフとフォークを握りしめた手をテーブルへと打ち付けた。
それが自分が神の奇跡を求めた代償であると分かっていても、これまで当たり前に出来ていたことがすべて出来なくなっている自分を突き付けられる度に、胸の奥がずんと重くなるのだ。
「馬鹿だね、ゴルドちゃんや。やっぱりさ、女の子はこれだろう?」
にやりと笑った給仕係のおばちゃんが、代わりの皿を差し出した。
ゴルドの前に、次々と皿を並べていく。
焼きたてのスフレパンケーキは、見るからにふわふわだ。季節の果物である水蜜桃、王冠甜瓜、葡萄。林檎や梨のコンポート。愛らしい菫や薔薇の花びらの砂糖漬け。
「……甘い物は苦手だったんだがなぁ」
器も盛り付けも華やかなデザートが並ぶテーブルを前に、ゴルドは大きく息をついた。そこに嫌な響きはない。言葉と裏腹に、期待で高揚しているのが伝わってくる。
続いて、濃厚な甘い香りがしているチョコレートソース。赤が綺麗なすぐりのジャム。遠い国でしか採れない貴重な砂糖楓の樹液まで用意されているのを見つけ、ゴルドは目を瞠った。
「あぁぁぁあぁぁ」
更に、真っ白い生クリームも、濃厚なバタークリームも、黄色くて艶々なカスタードも別々の器にたっぷりと用意される。
「くっ。どれから食べるべきか……そうだ、萎まない内にスフレパンケーキからだな! 生クリームと、桃を添えてくれ。生クリームにはすぐりのジャムを掛けてもらおう」
鼻息も荒く注文を口にすると、給仕係のおばちゃんは無表情を装いつつも、我が意を得たりという気持ちが溢れ出してしまったのか鼻の穴を大きく広げつつも、軒目に口元を引き締めゴルドの注文通りにスフレパンケーキを飾り立てていく。
「さぁ、どうぞ」
出来上がったのは、見上げるほど大きな、桃も生クリームもちろんスフレパンケーキも山盛りのデザートプレートだった。
「脂質ばかり摂っても、カロリーは補えても筋肉にはならないのになぁ」
「安心おしよ。これは乳清加工食品と大豆粉を使ってるそうだよ。好きだろう、タンパク質」
「植物性タンパク質と動物性のタンパク質が合わせて摂れるのか! さすが王宮料理人だ!」
朝からずっと鍛錬していたので、お腹は空いているのだ。
ただ今のゴルドには、肉が胃に重いだけで。
まるで親の仇を目の前にしたように、目の前の皿を見つめる。自分のモノとは思えない嫋やかな手でナイフとフォークを握り、音もなく動かした。
切り分けたパンケーキの上に桃を乗せ、スグリのジャムの乗った生クリームをたっぷりと塗りつけて、頬張る。
下の上で蕩ける甘いクリーム。スグリのジャムの酸味、生の桃の蕩けるような甘さと口の中に広がる芳香。乳清と卵の優しい味わいが混然一体となってゴルドの口の中に広がっていく。
「……旨い。悔しいけど、旨いな」
「だろぅ?」
間髪入れず、給仕係から得意げに返された言葉はやっぱり悔しい。
それでもおいしい物はやっぱりおいしいのだ。
「そうだな。旨いが一番だ」
肉と違って、甘いパンケーキと生クリームがするするとゴルドの咽喉を通っていく。
お替りを頼めば、次はフレンチトーストがやってきた。こちらも焼き立てだ。
もの凄い勢いではあるが、しかし流れるような美しい所作で、ゴルドは山盛りのデザートを口へ運んでいく。
その姿に、周囲は呆れるようだったり感心するようだったり微笑ましい物を見るようだったりと、思い思いの視線を送っていた。




