6.聖女ゴルド
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「アレクサンドル従兄さま! なんなの、この生意気な小娘は。私は絶対に、このような小娘を王家に迎え入れることは許しません。断固反対しますわ!」
スッカリ淑女の仮面を脱ぎ捨ててしまったクラウディアが叫んだ。
その言葉に、アレクサンドルの形のいい眉が、ぴくりと跳ねる。
クラウディアは、言い返すことなく涼しい顔をしているゴルドに向かって、怒りを露わに手を振り上げた。
紅い爪が尖る手が、撓る。もう少しでゴルドを打擲するというところで、大きな手が、それを阻んだ。
「クラウディア。お前のその言葉は、ヴァトゥーリ公爵家の総意か」
クラウディアとゴルドの間へ滑り込んできたアレクサンドルが、クラウディアへ問い掛けた。
聖女に対して手を上げようとしたことを咎められたのではない。クラウディアと顔を合わせての会話を望んだのだと、クラウディアは優越感を浮かべて聖女へ視線を送った。
だが、聖女の薄い反応を見て、クラウディアは再び怒りを募らせた。
怒りのままに、ただ聖女へダメージを与えることだけを考えて、返事をした。
「えぇ、勿論ですわ! 父上もお怒りでした。騎士団長ゴルド様がその尊いお命を捧げて平和を祈り、神から授かった防護壁。それを護るためとはいえ、ただゴルド様の血縁であったという理由で、神の御遣いとして選ばれただけの遠縁の娘を王妃としようなど。父上がお許しになるはずがありませんわ」
「大王たる俺が、お前の父親の許しを必要としていると?」
アレクサンドルの黒い瞳が眇められる。
至近距離から秀麗な顔に覗き込まれて、クラウディアは上擦りながらも答える。
「えぇ、それは勿論。数少ない年上の親族ではありませんか。王族として、その正道を教え諭す義務がある、とよく仰って」
こちらについては、よく父であるヴァトゥーリ公爵が喋っていることである。
内容も、クラウディアにとって至極当然のことであり、隠すようなこともないので堂々と肯定した。
「そうか。よく教えてくれた、感謝する」
「滅相もございません。アレクサンドル様が私の言葉を聞き入れて下さって、とても嬉しく思います」
「それで? お前とお前の父親としては、聖女以外をというのならば、俺の横には誰を置くつもりだ」
クラウディアは、我が意を得たりとばかりに、満面の笑みを浮かべて胸を張った。
豊かな胸元へ手を置き、視線を集めつつ、宣言する。
「勿論、この私です。ヴァトゥーリ公爵家が一女クラウディアに他なりません!」
「ほぅ」
「幼き日から、私はいつか国母となるべく研鑽を重ねて参りました。私は王妃教育も終わらせております。美貌についても、大王アレクサンドル様の横に立つに相応しいでしょう」
目の前にある厚い胸元へ、そっと頬を寄せる。
いや、寄せようとした頬を掴んで持ち上げられた。
「ひゃ、ひゃにを」
ひしゃげた口から、批判する。その声の間抜け具合に、クラウディアは自分で赤面した。
「聞いておいてなんだが、これ以上は聞くに堪えんな。もう要らん。世界一の忠臣ゴルドの献身により神より授かった防護壁だ。そのゴルドに対して不義理を唱えるような家門は、この国には要らん。必要ない。即刻出て行くがいい」
「ふあ?」
「この姿では今日ここでがはじめましてになりますな、クラウディア・ヴァトゥーリ嬢。神の御技を授かるため、聖女として生まれ変わりました。ゴルド・ドバルガです。この姿でも、お見知りおきを」
「見知りおきなど必要ない。この女は今すぐ国外追放とする。ヴァトゥーリ公爵家の家門一同、一族郎党すべてだ!」
「アレクサンドル様。それはいくらなんでもやり過ぎです」
「いいや。戦場でなにもしなかったヴァトゥーリ公爵家の人間が口に出していい疑義ではない。俺は許さん」
アレクサンドルが、吐き捨てるように宣言する。
「なにを……何を仰って……」
「なにが『王都の守りはお任せを』だ。国の中央部にある自領から出ても来なかった癖に」
アレクサンドルは当時の怒りを思い出したのか、口汚く罵っている。
だがしかし、クラウディアはアレクサンドルを見てはいなかった。
惚けた様子で、静かに控えるゴルドから目を離せないでいる。
「え、嘘。ゴルド、さま? え、少女にしか見えないのに?」
「そっちか」と噛み合わない会話の理由を知って、アレクサンドルが肩を落としたが、それに気付かないほど、クラウディアの視線はゴルドに向けられたままだ。
ゴルドは長く息をはくと、覚悟を決めて説明を始めた。
「アレクサンドル様のお命をお救いして欲しいと神へ一心に祈りました。自らのすべてを捧げてもいい、と。すると、≪≪それほどの想いがあるならば、お前自身がそれを為すがいい≫≫と神よりその奇跡の御業を借り受ける身体を受け取りました」
「それで……少女の、身体に」
「ハイ。神の御業を揮うためには必要なのだそうです」
誤解のないように、補足を入れる。
あまり詳しく説明するのもどうかと思うが、嘘をついても仕方がないことだ。
そもそも、神の御業について嘘を交えるなどして、現在進行中で発動している防護壁が消えてしまったりしては困るのだ。
まして、アレクサンドルのあの傷が、元に戻ってしまったりしたら。
ゴルドには、そんな恐ろしいことになるなら、自分が恥を掻くくらいどうということもない。
「なによそれ。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! 見た目だけは女となっても、所詮その中身はあの大男なのでしょう? 赤い悪魔ゴルド・ドルバガ。あんな男を国母に据えるなど、この国の恥もいいところですわ!」
「あー、正直俺も思います」
その点については、ゴルドも何の異論もないので同意する。
「でしょう? ならば自ら辞退なさいな」
「俺もそう言ったんですけどね」
ゴルドは、ちらりとアレクサンドルの方へと視線を向ける。
視線を向けられた本人は憮然としたままだ。
「アレクサンドル従兄さま、ゴルド様ご本人もこう言っているではありませんか。地位と名誉ならば聖女として神殿で崇めて貰うことにしては如何でしょう。それとも、ゴルド様ご自身が自由に使える褒章をお望みならば、ヴァトゥーリ公爵家からも少しは金品の融通を致しましょう」
クラウディアが、嬉しそうに手を合わせて「これで問題は解決ですね」と微笑んだ。
無邪気に見えるその仕草は、けれどアレクサンドルに猛烈な嫌悪を抱かせた。
「あの防護壁は、ゴルドの血筋が、平和の祈りを捧げることで永遠にその役目を果たす」




