第9話「王都に忍ぶ焔」
「王宮に納められる物資のうち、三割が“別経路”で横流しされている。
そのルートを、こちらに引き込める可能性があるわ」
ファラン商会が持ち込んだ情報を見ながら、私は低く呟いた。
その書状には、倉庫番の印、馬車の刻印、裏の帳簿――
表沙汰には決して載らないが、確かに“金と食料”が動いている証だった。
「帝国に通じた貴族たちが、一部の民を“餌付け”してるってわけか」
私は地図の上に指を滑らせ、倉庫の位置をなぞる。
「私たちがそのルートを掌握すれば、
物資を通じて“民の腹”を握ることができる。
飢えた者に施すのは、善ではなく――支配」
ルウェナは何も言わずに、頷いた。
「民の反応は?」
「貴族街の近くで、“黒衣の令嬢”を見たという噂が流れています。
昨日も、配給所の裏でパンを渡していた令嬢の姿を見たという証言がありました。
……仕掛けた通りに動いています」
「いいわ。次は、“物資を受け取ると、あの令嬢の庇護下に入れる”という噂を流して。
口伝で広まるように。確かな証拠は、必要ない」
私はそのまま地図を折りたたんだ。
影は光よりも早く届く。
私は英雄になどならない。
でも――英雄が届かない場所を、私は統べる。
「……ひとつ、質問してもよろしいですか」
ルウェナの声は、珍しく戸惑いを含んでいた。
「何?」
「エリス様は……“善意”で、物資を配っているのですか?」
「善意?」
私は微かに笑った。
「いいえ。“必要”だから配っているだけ。
支配には、まず“感謝”が要る。そして、その感謝は恐怖に変わる。
私の名を、口にすることすら畏れられるようになるまで」
「……了解いたしました」
ルウェナのまなざしが、わずかに沈んだ気がした。
だが、それは幻だったかもしれない。
彼女は変わらず、命令に従って動く。
それ以上は求めていない――そう自分に言い聞かせるように、私は静かに目を伏せた。
* * *
「では、お尋ねします。
王都に流れている大量の“未申告物資”について、どうご説明いただけるのか?」
帝国監察官レイ・カシエルの声は、宮廷の静寂を裂くように響いた。
フロリスは、玉座の脇で椅子にもたれかかり、憮然と眉を寄せる。
「……そんな細かい話をされても、私は知らん。管理は貴族たちに任せている」
「その“任された”貴族が、帝国に無断で物資を蓄えている。
そして、“夜竜の契約者”である王太子妃の承認もない。
ならば――“君主としての統治能力”に疑問を持たれるのは当然だ」
その言葉に、玉座の間に冷たい気配が走る。
イザベラは表情ひとつ変えずに椅子から立ち上がった。
「我が王家に対する侮辱は、帝国の意向とみなしてよろしいのかしら?」
「いえ。これは、あくまで“契約に基づいた査察”です。
夜竜との契約者が正統であることを証明するのは、王家の責務です」
レイは静かに頭を下げた。
その姿は礼節に満ちていた。
けれど、目だけは凍るように冷たかった。
「……では、ご期待に応えましょう。
次の満月の夜、聖剣は再び我が手に応えます」
イザベラの宣言に、フロリスはわずかに顔をゆがめた。
「……母上、本当に……剣が応えるのか?」
「問題ないわ。あの娘に、渡してなるものですか」
イザベラの声には確信があった。
だが、その言葉を呑み込むように、空の彼方――
まだ昇らぬ月が、薄く、鈍い光を孕み始めていた。