第4話「血の通わぬ剣」
旧地下街の奥、雨水が滴る石室で、私はルウェナの報告を待っていた。
薄明かりに照らされた部屋の隅では、魔導端末のような装置が静かに唸っている。
夜竜が与えてくれた技術の欠片――それを扱えるのは、今のところ私とルウェナだけだ。
情報の網を張り、裏の通路を洗い、買収可能な貴族のリストを集める。
その全てを、私は“指示”だけで動かしていた。
そして、ルウェナが帰ってきたのは、夜が深まる頃だった。
「任務、完了しました。証拠となる文書は焼却済み、残党の生存も確認されていません」
淡々と報告するその声は、冷たく、澄んでいた。
「……そう。念のため訊くけど、死者は?」
「対象者四名。すべて即死です。必要最低限の排除です」
「……ありがとう。助かったわ」
私は静かに応えたつもりだったが、ルウェナの目がわずかに揺れた。
「エリス様、御気分が優れないようで?」
「ええ。たぶん、“血の匂い”がしたから」
私は立ち上がり、部屋の隅に積まれた古い書物の間に目をやった。
処刑台で夜竜と契約したあのときから、ずっと心に残っているのだ。
あの瞬間、私はこの手で“何もしていない”。
けれど、私の命令ひとつで、人は死ぬ。
それを受け止めることを、私は選んだはずだった。
なのに――心のどこかで、まだ私は揺れていた。
「……手を下さないって、こういうことだったのね」
「はい?」
「いいのよ、独り言。
ルウェナ、あなたは“躊躇わない”のね」
「命じられたことを行うのが、私の存在理由ですから」
「それは、あなた自身の意思?」
ルウェナは一瞬だけ黙った。
口元がわずかに動いたが、すぐにいつもの無表情に戻る。
「……そう、定義されています」
「定義、ね。なら、もし“あなたの意思”で私を裏切ることがあったら?」
「ありません」
「どうして?」
「――私は、貴女に拾われたからです」
私はその言葉に、息を止めかけた。
拾われた、とはどういう意味か。
私が命じたことしかしていないはずのルウェナが、“拾われた”という表現を使う。
だが、それ以上を問うことはできなかった。
聞いたら、きっと“何か”が崩れてしまう。そんな気がした。
「……ありがと」
私はそれだけを言って、目を閉じた。
感情を閉じるように。
けれどその背中に、ほんの少し、温度が差し込んだ気がした。
* * *
帝国からの使節が王都に到着したのは、霧の濃い朝だった。
金の飾りをつけた黒い馬車から降りてきたのは、ひとりの青年。
整った顔立ちに、あまりにも冷たい瞳をした男だった。
「帝国監察官、レイ=カシエル。命により、アズヴェイン旧王国における契約状況の確認に参上した」
彼の名が告げられた瞬間、玉座の間が凍りつく。
「帝国の、監察官……?」
フロリスが小さく息を呑み、イザベラの頬が一瞬だけひきつった。
「ご挨拶を。ようこそ、我が王国へ」
イザベラはすぐに笑みを浮かべて前に出る。
だがその声は、ほんのわずかに震えていた。
「形式はどうでもいい。私の目的はただ一つ、“夜竜との契約者”が正当に選ばれているかどうかを確認することだ」
「当然ですわ。現在の契約者はこの私。
正式な手順で夜竜と誓約を交わし、この国を治めております」
レイはその言葉に、目を細めた。
「……ならば、証明していただきましょう。
“夜の聖剣”を、あなたの手で振るってみせてください」
玉座の間に、静寂が落ちる。
その中で、王妃イザベラは、はっきりと笑った。
「もちろん。私こそが、この国の正統な王妃なのですから」
その声の裏にある焦りに、誰もがまだ気づいていなかった。
けれど、空の彼方から差し込む朝の光は、
もう既に――夜の終わりを告げていた。