第3話「旧都に潜む亡霊たち」
人払いの済んだ地下街は、まるで別の世界のように静かだった。
埃と石灰の匂い、軋む木板、地下水のせせらぎ。
昼の王都とはまるで違う“時間”が、ここには流れていた。
私はルウェナの後ろについて、奥へと進んでいた。
光源もない闇のなか、彼女の歩みは一寸の迷いもない。
「この先が拠点となる“主室”です」
案内されたのは、かつては何かの礼拝所だったらしい半地下の広間だった。
苔の這った石壁、崩れた祭壇、風に揺れる古びた帳。
けれど私は、そこに“遺された空気”を感じた。
――ここは、かつて誰かの祈りがあった場所。
その祈りが、時と共に風化し、忘れ去られていった場所。
「アズヴェイン旧王家の側近たちが、この場所を密かに使っていた記録があります。
夜竜の契約者が、最後にこの祭壇で祈ったとも……」
ルウェナの声は相変わらず感情の起伏がなく、まるで機械のようだった。
けれど彼女の指先が、祭壇に触れたときだけ、わずかに震えていたのを私は見逃さなかった。
「……ここで、王は死んだのかしら」
「いいえ。王は毒を盛られ、崩御という名目で処理されました。
けれど、その“後始末”のためにここが使われた、と記録には」
「王妃の命令ね。……前の王妃の」
私はゆっくりと空気を吸い込む。
歴史とは、記されたものよりも、記されなかったもののほうが雄弁だ。
その沈黙に、私の“怒り”は宿る。
「この場所を“再び”動かすわ」
「御意。すでに物資の流入経路を三本確保しています。
旧王家に忠を誓った地下商会の末裔が、今も活動を続けていました。
彼らとの交渉は完了済みです」
「……やるわね」
「戦えますので」
どこか噛み合っていない返答に、私は苦笑しそうになった。
けれどその瞬間、背後に空気の歪みを感じた。
「見ているわね、夜竜」
「うん。こういうの、実に君らしい。
君は真っ直ぐじゃない。けど、進み方は間違えない」
闇から夜竜が現れた。仮面を外し、気怠げな顔でこちらを見ている。
「君さ、覚えてる? さっき、契約の“条件”を出したこと」
「……“私は手を下さない”。そう言ったわ」
「うん。でもね、君の命令で動いた剣が、君の意志で人を殺す。
その重さを、ほんとに受け止めていける?」
「それを問うなら、あなたこそ――
私の影として、どこまで血を見届ける覚悟があるの?」
夜竜は一瞬だけ、何かを飲み込むように黙った。
そして、またいつもの軽さで肩をすくめる。
「ま、そういうところも好きだけどね。
なら――最初の“破片”を君に見せてあげる」
夜竜の指先が空をなぞった。
次の瞬間、壁に埋もれていた古びた箱が自動的に浮かび上がる。
中には、紋章の刻まれた封蝋付きの文書と、割れた指輪がひとつ。
「旧王家の遺言だよ。正統なる血にのみ開かれるもの。
君には開ける権利がある。
だって、君も“選ばれた器”の系譜だから」
私はその言葉に、初めて眉をひそめた。
「……冗談で済む話ではないわよ」
「冗談だと思う? じゃあ、開けてみたら?」
私は、割れた指輪を手に取った。
ひんやりとして、どこか懐かしい――そんな感覚が一瞬、胸を突いた。
「……この国は、私を見捨てた。
けれど、私の中に何かが“残っていた”というなら……」
「……なら?」
「それを使って、“この国を取り戻す”」
私は、指輪を胸元にしまい込んだ。
* * *
帝国の旗が、王都の門をくぐる頃。
王子フロリスは、玉座の階で手持ち無沙汰に足を組んでいた。
「まさかこのタイミングで帝国の使者が来るとは……
“夜竜の契約者”に、動きでもあったのか?」
「私にはわからないわ。けれど、あなたの“正当性”を今一度問われるなら――
ちゃんと答えを用意しておいたほうがいいんじゃない?」
イザベラは悠然と椅子に座り、爪を整えながら笑っていた。
「王家の名を継いでいるのはこの私たち。帝国に文句を言われる筋合いなんてないわ」
「けど、あの娘――エリスがまだ生きていたら?」
「そのときは……“夜の聖剣”を使うしかないわね」
イザベラの微笑は、まるで毒入りの香水のように甘く冷たい。
月の光は未だ届かず、だが、
王都の空気に張り詰めた不穏の糸が、確かに張られ始めていた。