第26話「仮面が歩む夜の街」
夜の王都は静かだった。
だが、その静けさは、ただの眠りではなかった。
潜む者がいて、探る者がいる。
そして今夜、“姿なき存在”が、初めて“視線”を返す。
黒衣に身を包み、仮面をつけた影が、裏通りを歩く。
その動きは、あまりにも自然で――あまりにも人間離れしていた。
ルウェナは、完全に“黒衣の令嬢”だった。
足音を消し、視線を受け流し、存在感だけを“刻む”。
まるで、風のように。
まるで、“伝説そのもの”が歩いているかのように。
* * *
「……来たか」
屋上からその姿を見下ろしていたレイ・カシエルは、目を細めた。
「これは本物じゃない。だが――“本物”の意志を帯びている」
仮面は、沈黙していた。
だが、その無言こそがメッセージだった。
“こちらの動きを見ている”
“必要とあらば応じる”
“だが、主導権は渡さない”
仮面はただ歩き、誰にも何も言わず、
けれど“確実に存在していた”。
「情報の出し方がうまい。
人は“正体”より、“印象”に支配される」
レイは、そう呟いて立ち去った。
今夜、“影”は確かに姿を見せた。
それだけで、帝国にとっては大きすぎる意味を持っていた。
* * *
地下拠点。
ルウェナは無言で仮面を外し、テーブルの上に置いた。
「見事だったわ」
私がそう言うと、彼女は少しだけ表情を緩めた。
「……ただ歩いただけです」
「それで充分。
存在とは、行動そのものじゃない。“意味づけ”で決まる」
私は仮面を手に取り、光にかざす。
「この顔のない仮面は、今日、初めて“顔”を持った。
見る者が、“あれこそが黒衣の令嬢だ”と思った瞬間に――
それはもう、ただの影じゃない」
ルウェナは、小さく頷いた。
「では、次は?」
「しばらく沈黙するわ。
“見せた”あとは、“語らせる”のがいい。
情報は押し付けるものじゃない。自ら想像させて育てさせる」
私は仮面を戻し、ルウェナに向けて微笑んだ。
「あなたは、見事な“存在”だったわ」
「私は、あなたの“影”でしかありません」
その言葉に、私は返さなかった。
ただ、彼女の横顔を、ほんの少しだけ見つめていた。
* * *
「……“新たな聖女”?」
イザベラは、その言葉に苛立ちを隠せなかった。
「王都の民が、“黒衣の令嬢”をそう呼んでいると?」
「はい。真偽は不明ですが、
帝国の監察官が、仮面の人物と遭遇したとの噂もあります」
「誰が聖女よ……この私以外に、誰が……!」
イザベラの声が礼拝堂に響く。
「夜竜に選ばれるべきは私。
帝国に認められるべきは私。
この国の“物語”を語る権利は、この“私”なのよ……!」
だが、祭壇に祈っても、剣は現れない。
教会は沈黙を貫き、帝国も距離を取りはじめている。
そして、街では――
“仮面の女”が歩いたという、ただそれだけで、
すべてが静かに揺れ始めていた。




