第19話「帝国に届く黒き名」
「……ついに“その名前”が、帝国の耳にも届いたようです」
ファランが持ち込んだのは、帝国から送られてきた報告文の写しだった。
表向きには商会間の定型連絡、だがその末尾にはこう記されていた。
――黒衣の令嬢。王都にて不穏なる影を広げる“第三の意志”。
「ふふ……ずいぶんと仰々しい名前ね」
私はその一文を読みながら、小さく笑った。
「“黒衣の令嬢”なんて、最初はただの噂だったはずなのに」
「人の言葉は形を与えれば“存在”に変わります。
そして存在が定義されれば、影は“恐怖”になる」
ファランはそう言って、軽く指を鳴らした。
「帝国内では、すでに“影の宰相”という呼び方も混ざってきています。
王家でも帝国でもない――けれど、確かに力を持つ何者かとして」
「名前が、力になる」
私は視線を落とし、机の上に置かれた封蝋を見つめた。
「けれど、使い方を間違えればそれは呪いにもなる。
崇拝は熱に変わり、熱は盲信を生み、盲信は、やがて……」
「暴走する、ですね?」
ルウェナの声が割って入る。
彼女は静かに立っていたが、その目は揺れていなかった。
「その“呪い”があなたに降りかかるなら――
私はそれを、背負う覚悟があります」
私は彼女を見た。
その表情には、かつてなかった“意志”が宿っていた。
「……いつから、そんなふうに言えるようになったの?」
「覚えていません。
でも、気づいたら“あなたの決断”に心を動かされていたのだと思います」
私は息をひとつだけ飲んで、微笑んだ。
「なら、そのときはお願いするわ。
呪いも、祈りも、私に届く前にあなたが引き受けて」
「喜んで」
ルウェナの声は、どこまでも静かで、どこまでも確かだった。
* * *
帝国・中央監察局。
高官たちが並ぶ円卓の中心で、監察官レイ・カシエルの報告が読み上げられていた。
「……現王家と帝国の契約構造には、すでに致命的な亀裂が生じています。
そして王家に取って代わる“新たな統治形態”が、静かに台頭しつつある」
「“黒衣の令嬢”……それがその名か?」
重鎮の一人が低く唸る。
「はい。表向きには姿を見せないものの、
貴族の間で“第三の勢力”として情報が拡散しています。
混乱を収めるための象徴として、民衆の間でも囁かれ始めている」
「実体のない者に帝国が対応するわけにはいかん」
「ですが、“実体がない”という点こそが、最大の警戒要因です」
レイは言い切った。
「――これは、“正統性なき支配”の兆し。
そしてそれこそが、この王国を本当の意味で変える力になるかもしれません」
円卓の間に、静かな緊張が走った。
「引き続き、監視を強化せよ。
必要ならば……こちらからも、“影”を動かす」
「はっ」
レイは答え、深く一礼する。
その指先には、エリスの名を記した封書が握られていた。
誰よりも静かに、けれど確実に――“影”は帝国へと届きはじめていた。




