第18話「仮面は仮面として語る」
「君は、だんだん面白くなってきたね」
夜竜は、いつものようにどこからともなく現れ、
どこにも属さない声でそう言った。
私の目の前で、黒衣の裾を揺らし、仮面も外さずに、
まるで長年の友人に挨拶するかのように。
「“黒衣の令嬢”という噂が、もはや“君”ではなく、
“物語”として一人歩きしてるって、知ってた?」
「知ってるわ」
私は答えた。
「私が何もしなくても、人々は“理想の令嬢像”を作り上げ、
それを信じ、語り、崇めている」
「君は、それをどう思う?」
夜竜の問いに、私はほんの少し、考える素振りを見せた。
「面倒。けれど、有益」
「即答だね」
「信仰とは、都合のいい武器よ。
でも、私自身が“その武器”になるつもりはない」
私は目を細める。
「だから、仮面を用意する。
彼らが崇める偶像には、“偽の顔”を与えてあげるの」
夜竜は笑った。
「さすが、影の宰相。
じゃあその仮面……誰に被せるつもり?」
「今、考えているところよ」
* * *
「“黒衣の令嬢は複数存在する”という説が、貴族層で囁かれ始めました」
ファランが持ち込んだ報告には、もはや驚きすらなかった。
「目撃証言が食い違いすぎていて、
“あれは複数の人物によって演じられている”という考えが自然に浮上しているようです」
「望ましい状況ね」
私は頷いた。
「私一人に集まる視線を、分散できる。
それに、存在が“不確か”であればあるほど、
“象徴”としての信頼は強くなる」
「ですが、誰を“仮面”として使うかは、慎重に判断なさるべきかと」
「もちろん。……けれど、候補は一人、いるわ」
私は視線を向ける。
そこに、黙って立っていたルウェナがいた。
「私が、仮面となりましょうか」
彼女は何のためらいもなくそう言った。
「私には顔も名もありません。
あなたの代わりとして動くのなら、躊躇はありません」
私はしばらく黙っていた。
(ルウェナは、影であることを望んでいる。
けれど今、その影に“形”を与えようとしているのは――彼女自身)
「……ありがとう。
でも、まだ“あなた”を仮面にはしたくない」
「では、いずれその時が来たら」
ルウェナはそれだけを言って、静かに頭を下げた。
* * *
「俺だって……!」
フロリスは、ひとり聖剣の祭壇の前に立っていた。
イザベラが不在の隙を狙って、
誰にも告げず、剣へと手を伸ばしていた。
「あの女は失敗した。なら、次は“俺”の番だろう……!」
黒銀の剣に手をかけた瞬間――
激しい拒絶の波が、彼の手を弾いた。
「くっ……な、ぜ……っ!」
床に倒れ込み、息を荒くするフロリスの目に浮かぶのは、
怒りでも、恐れでもなく――焦りだった。
「俺は……まだ、選ばれないのか……!」
その声を、剣はただ黙って受け止めていた。
そして再び、何事もなかったかのように、静寂の中に溶けていく。
月が、雲の向こうで鈍く瞬いた。
その光は誰にも届かず、ただ夜だけが、確かに“誰か”を見つめていた。




