第17話「影を信じる理由」
人混みの中、私は一人、立ち止まっていた。
市の広場。
粗末な布の屋台と、子供たちの甲高い声が交錯する雑踏の中で、
ひときわ目を引く一団があった。
小さな子供たちが、黒い布を羽織って輪になっている。
誰かが前に出て、堂々と手を掲げる。
「我が名は、黒衣の令嬢! 悪い貴族は、夜に沈め!」
「わー! ひれ伏せー!」
「うわぁあーっ、逃げろー!」
そんな遊びが、まるで昔から続いてきた伝承のように、自然に広まっていた。
私はその光景を、ただ静かに見ていた。
(これは……“遊び”なのか、“祈り”なのか)
黒衣の令嬢――それは、もう私のことではなかった。
街の人々の中で勝手に膨らみ、形を持ち、誰かの信仰のように語られはじめている。
その象徴に、自分がなっていることに――
私は、恐ろしさと、少しだけ、救いを感じていた。
「……私が、なぜあなたに従っているのか。
ときどき、分からなくなるのです」
その夜、私は拠点でルウェナにそう告げられた。
彼女の声は、いつも通り冷静だった。
だが、その奥に、確かな揺らぎがあった。
「命令されたから動く。そういうふうに設計された。
でも、あなたの言葉には、“命令”ではないものが混じっている」
私は返事をせずに、彼女を見た。
「私は、“支配”されるために存在している。
でも、あなたは私を“支配しようとしない”。
だから、従っているのかもしれません」
それは――彼女にとって、告白だった。
私には、答える言葉がなかった。
けれど、少しだけ笑って言った。
「支配と依存は、似ていても違うわ。
私はあなたを“支える影”として見てるの。
だから、縛る必要はない。あなたが影でいてくれるなら、それでいい」
ルウェナは、少しだけ目を伏せて頷いた。
「はい。それで、充分です」
その言葉が、本当に嬉しかったのだと――
彼女の背中が、ほんの少しだけ揺れていたことで分かった。
* * *
「……一件、届きました」
ファランが持ってきた書簡には、貴族家の丁寧な筆跡でこう綴られていた。
『黒衣の令嬢へ。
我が家は、王家の動乱において中立を保ってきましたが、
貴女の下にこそ、新たな秩序が芽吹くと信じます。』
「これは、純粋な“願い”でしょうか。
それとも、“生き残るための賭け”か」
「どちらでも構わないわ。
人の思惑の真偽を、私は信じていない。
でも、行動の結果だけは、確実に測れる」
私は書簡を折りたたみ、封をした。
「この家は、“最初に名を連ねた家”として記録しておいて」
「かしこまりました」
ファランはにこやかに頭を下げたが、その目はどこか複雑な色を宿していた。
* * *
帝国記録管理局・監察文庫室。
監察官レイ・カシエルは、年代の薄れた羊皮紙を読み進めていた。
“夜竜の剣は、契約者を選ばぬ。
影が、契約者を導く。
その影とは、かつて名を持たぬ者。
王でなく、神でもなく、ただ“宰相”であった者。”
「……“影が選ばせる”……か」
レイはその紙片をそっと閉じ、目を細めた。
すでに契約者は存在している。
だが、その者が“宰相”であるとするなら――
剣は、いつか必ずその名を呼ぶだろう。
静かに、確実に。




