第16話「剣に選ばれぬ者たち」
「これが、夜竜との再契約書です。
儀式は、帝国の規定に則って執行されました」
イザベラは、金の封蝋が押された書簡を監察官レイ・カシエルの前に差し出した。
その顔には微笑みが張り付いていた。
だが、レイはそれを受け取ることなく、一歩だけ距離を取った。
「なるほど、形式上の手続きは整っているようですね」
「では、ご納得いただけるということで?」
「――形式だけで、契約が成立するのであれば、
この国に“夜竜”など必要ありません」
イザベラの眉がぴくりと動く。
「あなたがそのようなことを言っていい立場かしら?」
「私は“帝国の目”であると同時に、“契約の監”でもあります。
契約とは、魔力だけでなく、“意志”と“代償”で成り立つもの。
あなたの儀式には、意志はあっても、“剣の応え”が欠けている」
「……夜竜の意志は、我が身にある。
それを誰が否定できるというの?」
イザベラの声は低く、怒りを抑えた鋭さを帯びていた。
その背後では、誓約騎士アルドリックが無言のまま立っていた。
剣を持ち、忠誠を掲げる騎士。
だが、その眼差しには、かつて見せなかった揺らぎがある。
(陛下は選ばれなかった……それでも、私は……)
アルドリックは剣を握る手に力を込めた。
忠義とは、信仰と同じだ。
信じる者が真実を疑えば、忠誠は地に落ちる。
だから彼は、信じ続ける。
王妃が“選ばれる者”であることを。
それが、自らを保つ唯一の術だった。
* * *
「夜竜の気配が……不安定です」
報告に来たルウェナの声は、いつもより微かに揺れていた。
「どういう意味?」
「気配の濃淡が不規則に変化しています。
魔力の流れが歪み、干渉を試みても“応答”が遅れる」
「……夜竜が、誰かに“干渉されている”のかもしれない」
私は手にしていた報告書を伏せ、背もたれに体を預けた。
思い当たることは、あった。
「――剣ね。あの女が、また何か無理をさせてるのよ」
「では、対処を?」
「いいえ。私はまだ動かない」
私はゆっくりと目を閉じた。
「私は、自分から力を掴むつもりはない。
私が欲しいのは、力そのものではなく、“座”なのだから」
「……“座”ですか」
「そう。誰もが見上げる場所。誰もが口にする名。
けれど、それを得るために手を伸ばすのではない。
私は、“選ばれる者”としてそこに立つ。
その形こそが、最も確かな支配を生む」
ルウェナは少しだけ、目を見開いた。
「……わかりません」
「わからなくていいわ。
けれど、見ていて。
この国が、どうやって私の名を呼ぶようになるかを」
私は立ち上がった。
まだ、剣は来ない。
でも――私の“影”は、すでに国の深部に入り込んでいる。
だから、待つ。
剣が、正しき器を求めて向こうから歩み寄るその瞬間を。




