第13話「贄は月に捧げられ」
月は高く、重たく、鈍色に光っていた。
城の最奥、石と金属と古き血の匂いが染み込んだ祭壇の間。
その中心に立つイザベラは、濃紫の礼装を纏い、顔に笑みを浮かべていた。
「今宵、“夜の剣”は再び我が手に応える。
それが、この国における正義――選ばれし者の証」
宮廷魔術師長メルセデ・フィーンは、その横顔を冷静に見つめていた。
儀式の準備は完璧だった。魔法陣、供物、贄。
すべてが“過去に準じた”再契約の形式に則っている。
だが――何かが違った。
(これは……“揺らいでいる”)
彼女の手のひらには、夜竜の魔力に呼応する青黒い光が微かに滲んでいる。
本来なら、この力は“招かれた剣”に吸い寄せられるはずだった。
それが今、沈黙している。
「……陛下、“贄”の準備が整いました」
従者の言葉に、イザベラは頷いた。
牢から引き出されたのは、罪人とされた者たち――
帝国による密偵の嫌疑で投獄された者や、孤児院から連れてこられた少年少女たちだった。
「罪の重さは関係ないわ。
“恐れ”と“血”が、剣を呼び起こすのだから」
イザベラの声に、若干の歪みがあった。
魔術師長メルセデは、その言葉の“温度”を測るように、視線をそらした。
(……陛下は、“選ばれること”に縋っている)
「儀式、開始!」
イザベラの宣言と共に、魔術陣が闇色の光を放つ。
供物が焼かれ、贄の声が空間に満ち、祭壇に淡く形が現れる。
剣。
それは、月光を反射するかのように、黒銀の輪郭を描いて現れた。
けれど――その剣には、魂がなかった。
空気は冷え込み、魔力はよどみ、剣の周囲に結界が張られたような拒絶が走る。
「……応えなさい」
イザベラが手を伸ばす。
その指が柄に触れた瞬間、
空気がはじけるように拒絶し、彼女の身体が一歩弾き飛ばされる。
「なっ……」
「陛下!」
アルドリック・ヴェインが即座に駆け寄り、彼女の身体を支える。
イザベラは、肩で息をしながら、なおも剣を睨みつけていた。
「……なぜ……私は、“選ばれている”はず……なのに……」
メルセデは一歩、彼女に近づく。
「剣は、主を選びます。
形式ではなく、“在り方”を」
「黙りなさい!」
イザベラは叫んだ。
「私は……王太子妃よ!
夜竜の契約者よ!
こんな……剣ごときに拒まれるなど――認めるものですか!」
剣は、何も答えなかった。
ただ静かに、誰にも触れられぬまま、月の光に沈んでいった。
* * *
地下拠点の最奥で、私は目を閉じた。
「……夜が、震えてる」
部屋には誰もいない。
ただ、気配だけがあった。
風がないのに、何かが揺れていた。
光がないのに、胸の奥で何かがきしんでいた。
「夜竜……あなた、何を見てるの?」
問いかけても、答えはない。
けれど、確かに感じる。
――剣が、揺れている。
契約の座が、いままさに“誰か”を選ぼうとしている。
私はまだ、手を伸ばしていない。
けれど、剣の方から、私を見ていた。
それだけは、間違いなかった。




