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先生、苛まれる

「――ふふふ、ようやくお会いできましたね、領主様」

「あ、はい。どうもはじめまして……」

「はじめまして、私これからは貴方様の代官を務めるイレーネと申します。よろしくお願いいたします、領主様(・・・)

 丁寧ながらも圧の強い挨拶にやや怖気づきながら、先生は応えた。

「よ、よろしくお願いします……?」

 ――先日、過去の善行が暴かれた際に招待状を送ってきた代官に対し、先生がとった選択肢は例によって問題の先送り、伝家の宝刀「行けたら行く」だった。

 もっともこれにはアンゼリカが光の消えた目で「お帰りは何年後に?」と言われただとか、ミランシャから知らされたアグリッピナの誘拐婚計画などの事情もあったため(先生には珍しく)、まったくゆえのないことではなかった。

 そんな事情と「っかー、私もな―! 王都を離れられたらなー! ぜひ挨拶とかしたいんだけどなー! 忙しいからな―! 残念だなー!」という思いを込めた返事を送った結果が目の前の女性――北の隠者の代官となったイレーネ・グレイヴスの来訪である。

 例によって見事な自業自得だった。

 イレーネは淡い水色の髪に赤い瞳が印象的な恐らく美女、そう評していいだろう人物である。

 断定できないのは白目が充血し、頬をがこけ眼の下にくっきりとクマの刻まれた、生気の失せた表情をしているからだ。

 これには普段はへそを天井に晒して寝転ぶイエイヌがごとき危機感に欠ける先生もうかつな言葉をためらった。

 誰のせいでこう(・・)なっているのかは明白だったからである。

「お忙しい中、お時間を作っていただき誠にありがとうございます」

「あ、はい……」

 なんて事のない決まり文句が、ちくちく言葉に聞こえるのは後ろめたさからくる考え過ぎか。

「お礼を言われるようなことは、はは……」

 先生も最近は人に会うたびに自らが追いつめられていることに薄々気がついていたが、それを避けるために隠遁(いんとん)生活にすぐさま戻れるかと言えばできなかった。

 ふわっとした行きずりでの人助けはともかく、恩を返そうとする名前と顔が見える善意の人々を振り切ってまでは逃げられない。

 その能力に比して根が小市民なのだった。

 あと、そのときどきには泣きわめいても一晩寝れば「まぁしゃあないか……」となにか新たな事態が起きるまでは忘れてしまえるのも大きい。

 だがその先生をしても続いたイレーネの言葉は予想外だった。

「今は名実ともに(・・・・・)領主さまの土地となった場所ですが、これまでの陰からのお力添えに、まずはお礼を、と」

 てっきり恨み言から入ると思われたのに、純粋な礼とともに彼女は深々と頭を下げたのである。

 そしてこうなるといよいよ先生は困った。

 元より人にバレない、いずれ忘れられると思えばこそ気楽にあれこれと無双してこれたのである。

 大げさな感謝や返しきれないほどの恩を感じられてもその、何だ、困ってしまうのだった。

 先生としては恩に感じたとしても作りすぎた干物だとか、よく育った野菜だとかそういうもので返してくれれば十分なのである。

 なお、だいたいの場合で食物に換算すると大きな集落が税を物納したときのような規模になる模様。

「私も住人の一人でしたからね。自分自身の為にもやったようなもので、ですからあまりお気になさらず」

「ですが……」

「いえ、本当に。まったく全然、少しもお気になさらず!」

「コルヌ川にかけられた謎の石橋も?」

「あんなのは朝飯前でしたよ」

「峠の道をふさいだ大岩は?」

「谷に落とすだけでしたし」

「その谷から響く謎の鳴き声は――?」

「あれは鳥の繁殖期の声ですね。気味は悪いかもしれませんが、害はありません。可愛いやつらですよ」

「なるほど、ありがとうございます――」

「いえいえ」

 と笑った先生はイレーネがくつくつと喉を鳴らす音に、不穏なものを感じとって動きを止めた。

「ああ失礼しました。いえ、これからは『なにか知りませんが解決しました』と書くしかない報告をしないで済むと思うと、うれしくて……!」

「は、はぁ?」

 戸惑う先生に、顔を上げたイレーネは満面の笑みを浮かべていた。

 そこに含まれている感情は一言では言い表せない。

「――やはりすべてのことは、領主様のなさったことだったのですね」

 やっべ、と顔に書きながら先生は先とは違った事情で頭を下げる。

「そ、その節はご迷惑を……」

「いえ、よいのです、よいのです。ありのままの事実を受け入れられない体制側にこそ問題があるのですから」

 言いながら自身の言葉に興奮したようにイレーネが目をあやしく輝かせる。

「そうですとも、よく探せ、よく調べろなどと、現場も知らずにまぁよくもよくもよくも言えたもので……!」

 どすの利いた恨み節に、最近こなれてきた動きで先生はすっと床に正座した。

 言われる前に動けてえらい。

「本当に、申し訳ない――!」

「思えばつらい日々でした、痕跡が皆無の足取りをたどるのも、人の手によるとは思えない現象にそれらしい理屈をつけるのも」

「うぅぅぅ……」

 しかし謝罪などまるで聞こえていないようにイレーネの独白は止まらない。

 完全に無視された先生は、己の不甲斐なさに涙した。

「振りかえれば私はどれだけの虚偽を重ねたことか、ただもう報告書を書きなおしたくない。そんな一心で私は己を曲げてしまったのです、嘘やごまかしのない人生を送りなさいと、父母にそう教えられて育ったにもかかわらず……」

「ごめんて……!」

「――そうだ領主様、もしほんの少しでも己の過去を悔い、私を哀れに思って下さるならご協力を願えませんか?」

「な、なにを……?」

 ぎろりと獲物を見るような目に若干引きつつ、先生は問い返す。

「もちろん私が積み重ねた虚偽、それら全てを正すのです――」

「具体的には……?」

「領主様の今までの行い全てをまとめて大々的に世に発表いたしましょう、それできっと私と同じような存在も救われるはずです」

「ええ……面倒くさ……」

「そのおっしゃりよう、やはり悪いと思ってらっしゃいませんね!?」

「あああぁぁあ……! つい本音が……!」

「ええ、ええ、ですがそれならこちらとしても好都合……! 遠慮なく責任追及できるというものです……!」

「す、過ぎたことを掘り返してもきっとろくなことにならないから、もっとこう前を向いて生きていく気は……?」

「ええ、ですから前を向くために今、私には区切りの儀式が必要なのです……!」

「うぅぅぅ、この上なく正論……!」


 ――その後、結局根負けした先生はイレーネが代官を務める地域に限り、覚えている範囲で過去の行いを供述する羽目になった。


 §


「ふふふ……ふふふ……」

 ガタゴトと揺れる馬車の中でイレーネは、ここ数年ない上機嫌だった。

 膝の上で大事に抱えている紙束は犯人――先生の供述調書である。

 任地で起こった数えきれないほどの謎の吉事(住民たちにとっては)、それらの多くの疑問が解消されたこと、なによりこれからは同じことが起きようと「この人がやりました」と領主を指せば済む話となったことで心は弾むようだった。

 慢性的に悩まされてきた目のクマや肩こり、不眠からも解放されるかもしれない。

「イレーネ様」

 そんな明るい未来を夢想しているとゆっくりと馬車が速度を落とし、外から声がかかる。

 護衛に連れてきた騎兵だった。声色は少し硬い。

「どうしました?」

「実は少し先の丘で馬車が道をふさいでおりまして」

「往生ですか」

 声音からそれだけではないのだろうとあたりをつけつつも問うと、帰ってきたのはやはり否定の言葉だった。

「かもしれませんが、親切心につけこもうとする賊がこういう手を使います。御者が声をかけてみましたが、反応がどうにもくさい(・・・)

「わかりました、判断はお任せします。私はどうすれば?」

「ただの物取りならやり過ごせると思いますが……このままでお待ちを。外が騒がしくなったら身を低くして、私が開けるまでは外に出ないようお願いします」

「わかりました。お気をつけて」

「はっ、ありがとうございます」

 直後にごとん、と馬車が揺れた。

 ――好事魔(こうずま)多し、ですか。

 尻に敷いていたクッションを頭に乗せながら、イレーネはのそのそと足元にかがみこむ。

 ただの文官でしかない彼女にできることは、騎兵たちの無事を祈りながら耳をふさぐことだけだった


 一方の外ではどこからともなく現れた先生が、馬車の天井に飛び乗ってのんびりと感想を漏らした。

「――うん、まぁこうなるよねえ」

 突如として揺れた馬車を不審に思い見上げた騎兵が驚いた声を上げる。

「領主様!? いったいなぜここに!?」

「いや、イレーネさんは勘違いしてたようだけど、面倒くさいことになるのは私だけじゃないと思ってね」

 言いながら先生は右手を無造作に振って何かを投じた。

 それが飛んで行った先の茂みから「ぎゃっ」と悲鳴があがる。

「やはり賊が……!」

 別動隊を伏せていた事態に、騎兵が剣を構える。

「ああ、いいよ。私が対処するから、なんなら馬車ごと少し引き返したほうがいいかもね」

 それを制止して先生は身軽に地に降りると手で下がっているよう合図した。

 道をふさいでいた馬車と丘向こうから複数の男たちが姿を現したのを見て、騎兵は馬の首を巡らせつつ声を張った。

「――よろしいのですか?」 

「私は面倒が嫌いな方だけどね。これくらいのことはまったく面倒でもないよ」

 まったく気負わぬ先生の言葉には、しかし確かな説得力があった。

 今をときめく「槍の姫」の師である「北の隠者」の名を知らぬものは少ない。

 まして騎兵はイレーネの任地で起こった数々の変事を知るものだった。

 何なら先生がちょっと痛い目に遭っても構へんか……という程度の個人的な恨みは抱いている。

「承知しました。イレーネ様のことはお任せを」

「うん。お願いします」

「は――行くぞ!」

 騎兵に促されて御者がゆっくりと馬車を動かしはじめる。

 一方の先生は散歩でもするような気軽さで、八人まで数を増した賊へ向かって歩み寄っていく。

 ヒュンと風切り音のあと、その足元に矢が落ちた。

 外れたのではない。

 二つ、三つと無造作に積み重なっていくそれは、先生がその手でつかみ取って落としたものだった。

「乱暴だなあ」

 問答無用に射られたにしては、のんきな感想が漏れる。

「――おい、手前! 命が惜しけりゃそこをどけ! 用があるのは馬車だけだ!」

 弓を構えた七人を後ろに置いて賊の先頭、先生よりも頭二つほどは背が高い大男が叫んだ。

 いかにも慣れた脅し方だ、野良仕事の副業(・・・・・・・)などではないことがよくわかる。

 つまり容赦をする理由も必要もないということだ。

 ここで少々手痛い目にあわせなければ、また別の力無い誰かが彼らの糧とされるだろう。

「おい、聞こえてねえのか!」

 大男が叫ぶ。

 その間にも矢が三つ、先生の足元に落ちた。

 会話で気をそらしておいての射撃、やはり慣れている。

「聞こえてるけど、そっちは言うことを聞いてくれそうにはないね」 

 ふう、とため息をつきながら先生は右腕を掲げ、立てた人差し指で天を示した。

「――見なよ、天の道のつかさ(・・・)の力を。太陽ソーラー極小炎フェムトフレア

 直後、天から降り注いだ赤い光があたりをまぶしく照らし、真夏の日差しのような熱が一瞬、走り抜ける。

「うおっ、まぶし――!?」

「ぎゃぁぁぁぁっ!?」

 直後、大男以外の七人は絶叫し地面に倒れこんだ。

「お、おまえらどうした――な、なんだこりゃ!?」

「あちぃ、あちいよおお!!」

 動揺した大男が仲間たちの様子を見れば、彼らの手にしていた弓と服の右袖がこつぜんと消え失せているのがわかった。

 七人は一部が真っ赤に焼けただれた腕を抑えて、脚をばたつかせ痛みに苦しんでいる。

「な、なにが……? おい、まさか、今ので――」

「今後、物騒なことができないように利き手をちょっと(・・・・)焼かせてもらったよ。なにすぐに手当すればに死にはしないさ」

「ひェっ……!」

 大男のそばに一瞬で歩み寄った先生がのんきな調子で告げる。

 転がる面々を見る目は「痛そうだけどまぁしょうがないね」と語っていた。

「それで、彼らの手当てができるように君だけはとりあえず残したんだけど――誰に命じられてなんのためにここにいたのか、教えてもらえるかな?」

 淡々とした言葉に非情さはない、同時に慈悲をかける理由もないと思っているのは明白だった。

「あぁ話す、全部話すよ!」

 自分がとんでもない厄介ごとに首を突っ込んでしまったことを、今さらに知った大男は恐怖に駆られたように何度も首を縦に振る。

 それから襲撃犯たちは、追加で側頭部の髪を親指の爪ほどの幅を焼き切られたた上で騎兵に引き立てられて最寄りの集落へと向かうことになった。


 §


「――そうですか、彼が……」

 先生が大男から聞き出した首謀者の名を告げられたイレーネは苦々しい表情で頷いた。

「イレーネさんは知っている人物かな」

「はい。近隣の代官です。私と同じく謎の事象が起きていた――いえ、彼の任地では謎ではありませんでしたが」

「ああ、そういう……」

 ようは生真面目なイレーネとは違い上手くやっていた(・・・・・・・・)、ということだろう。

 それが、ずっと彼女を悩ませた謎が解けると聞きつけて全てを闇に葬ろうと古都に及んだ、そんなところか。

「短慮だなあ」

「まったくですね」

「私は気にしないのに」

 それはむしろ先生にとってはありがたい対応だったし、改めて自身の功績を主張する気がない以上、イレーネの報告も本来は致命的にはならないはずだった。

「王陛下には私からもお伝えしておくよ、さすがにイレーネさんが命を狙われたのは申し訳ない」

「お願いいたします。しかし領主様は本当にそれでよろしいので?」

「ん、なにがかな?」

「領主様の功績を我がものとしたことです」

「ああ……」

 イレーネには伝えられないことだが、なによりかのアグリッピナ・ロズィエールがより大きな範囲で同じようなことは行っているのである。

 いわば件の代官も手間賃をもらっていたようなもの、国としても本来であれば表だっての非難はできまい。

「だって彼らが私のやったことを再現はできないだろうけど、私に彼らのかわりもできないしねえ」

 そんな先生の言葉にイレーネは頷く。

 いかな人間離れしたことを起こせようとも、それだけでは人も地も治まらない。

 結局のところ、統治とは地道で堅実なものなのだ。

「ところで領主様、本当に代官のかわりができないのですか? 本当に?」

 ただし、先生がそれをできないとするのは果たして能力が理由であるものか。

 イレーネがじっとりとした目を向けると、先生はあっさりと顔を反らした。

「――だ、だってねえ、ほら面倒くさいというか、体がいくつあっても足りないというか……」

「はぁ……」

「うぅぅぅ……危ないところを助けたのに……!」

 イレーネの深々としたため息に、先生はがっくりと肩を落とした。

「それにはもちろん感謝を申し上げますが、元をただせばそれも領主様が原因では?」

「ぐう」

 冷静で的確なイレーネの言葉にいよいよ先生は言葉を失った。

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