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先生、迫られる

「――えー、本日はお日柄も良く……」

「ええ、過ごしやすい曇りの日ですね」

「そうですね……」

 王都レマの自分には不釣り合い(先生談)な屋敷。

 応接室に迎えた初めての来客は、先生のクッソ雑な挨拶をぶったぎって紅茶に口をつけた。

 優雅に椅子に腰かける赤毛の女性は、先生の脇に控える家令アンゼリカよりもいくらか年長の美女だった。

 目線は鋭く、ややキツい印象を与える。

 それもそのはず、宮廷魔導士の正装に身を包んだその人物の名をアグリッピナ・ロズィエール。

 王国所属の特級魔導士、「魔人」あるいは「血まみれ女男爵(レッド・バロネス)」ともうたわれる、表面上は隠遁生活を送っていた先生でさえ名を知るほどの人物だった。

「いやあ、しかしあのロズィエールさんにお会いできるとは光栄な話で」

「アグリッピナ、と」

「――はい?」

「どうぞアグリッピナとお呼びください。隠者殿」

「は、はぁ……少し失礼」

 両手で丁の字を作り、先生はアンゼリカの耳元に顔を寄せる。

「なんだか距離が近い気がするんだけど、これって都流ですか?」

「おそらく例によって旦那様の過去が関係しておられるのかと思われます――それと、目の前で内緒話は失礼ですよ」

「はい、すみません……」

 侍女服の美女に諭されて、先生はすごすごと席に戻る。

 なお涼しい顔のアンゼリカの耳がわずかに赤くなっていることには気づかない。

 こほん、と咳払いをして先生は笑みを浮かべて改めて問う。

「それで、ええと本日はどのようなご用件で……?」

「失礼ながら、本題に入る前におうかがいしたいのですが……隠者殿はわたくしのことについてなにかご存じでしょうか」

「え? ええ、それはもちろん。アグリッピナさんのお名前は王国では知らない人はいないんじゃないかなあ」

「恐縮です――例えばどんな話をご存じで?」

 自慢話をするにしては遠回りだな、と先生は首をひねる。

 くわえてアグリッピナは見た目こそやや剣呑で物言いも直截だが、態度にはあまり偉ぶったところはない。

 なんともちぐはぐな印象だった。

「えー、七年前の馬鷲(ヒポグリフ)の群れの討伐とか、五年前の匪賊討伐ですとか?」

「なるほど。他には」

「あぁ、カイエ峡谷の大穴がアグリッピナさんの術によるものだって話もきいたことがありますねえ」

「実によく覚えていらっしゃる」

「いえ、まぁ大変話題になっていましたし」

 なんだかちょっと棘があるぞ? と思いつつ先生は自身もカップに口をつける。

 ちらりと眺めた美しい家令はにこにこと笑みを浮かべているばかりだ。

 本日愛弟子であるミランシャは王宮に用事があり不在である。

「実際のところ、カイエのあれはどうされたんです?」

「隠者殿は現物を見たことがおありですか」

「ええ、いやぁアレはすごかった。星の降ったあとや火口は私も見たことあるんですがそのどれとも違って――」

「まるで巨大な口で一息にかじり取られたような穴でしたね」

「そうそう、しかもそのあとがなんとも滑らかで! どんな魔法を使われたんです?」

「――――」

 先生の問いにアグリッピナはなんとも言えない笑みを浮かべた。

「?」

「そうですね、ご説明さしあげることができればいいのですが、あいにく――」

「あぁ、秘匿魔法の類ですか、しょうがないですね。あれほどの規模の効果だ、おいそれとは話せないか」

「ええ、そのようで」

 なんだかちょっと他人事だな、と思いつつ先生はもう一度アンゼリカを見た。

 先ほどよりもまぶしい笑顔が返ってくる。

 これ以上聞くなってことかな? とあたりをつけて本題にもどすことにした。

「あの、アグリッピナさん。それで結局何のお話にいらしたんでしょうか」

「いえ、なに。先に述べられたことはすべて隠者殿の功績を民草に説明するために私が引き受けさせていただいた――というただそれだけの話です」

「え――」

 言われたことが理解できない、と硬直する先生にたたみかけるようにアグリッピナは続ける。

「馬鷲たちの親である白銀の鷲頭獅子(グリフォン)、匪賊の用心棒、無双の剣客、東方の魔剣使い――」

「あ? あ? あ……?」

「彼らがいかにして倒れ、そしてカイエの大穴がどのような術によって作られたのかそれをお教えいただければ、殿方が寄り付かないほどの功績を押し付けられ、婚期を逃がしたかつての小娘の無念も少しは晴れるというもので」

「……」

 何を言われたのかを理解した先生は、すすす、と滑らかな動きで床に膝をつき、止める間もなく額を床におしつけた。

「まことにもうしわけありませんでしたッ!」

「旦那様!?」

 アンゼリカが驚きの声を上げるなか、アグリッピナは表面上は落ちついた態度を保ったままだった。

「なにも、謝られることなどありません、隠者殿。『誰がどうしたか知らぬが収まった』で、済まないのはあくまで統治者の事情。名乗り出られなかったのは相応の理由がおありだったのでしょう」

「そ、その説は、ご迷惑を……」

「おやめなさい、隠者殿。強者の責任と重圧はこのわたくしが一番理解している。ええ、できることならこんなものを負いたくない気持ちはよくわかりますとも」

「ぐう」

「口ではたたえながらも、目ではおそれられる――人とのかかわりを一切捨て世を離れる、そうできればどれだけよいか……!」

「も、もうしわけ――」

「先ほどからいったいなにについて謝ろうとしておいでなのです、隠者殿? まるでわたくしに降りかかった不運についてなにかご存じでいらっしゃるようですが」

「うう、うぅぅぅ~……!」

 アグリッピナのちくちく言葉に耐えかねて、床に突っ伏したまま先生は泣いた。

 きっとこの日、この時に備えていたのだろう女傑の積年の恨みの前にはさすがに「私悪くなくない?」とは思いながらも口に出すのははばかられたのである。

「それで、カイエの大穴についてうかがっても? それともそれも(・・・)お忘れになってしまったかな」

「その、ですね。忘れていたんですが、忘れたわけではなくて……」

「言い訳は結構、術理をお伺いしても」

「すべての物にはこう、それを形作っている『結びつき』がありまして、それを解いてしまう、という――」

「なるほど、まったくわからん」

「うううぅ……」

 説明を求めておいてバッサリ切られ、先生はまた少し泣いた。

「ですがまぁ、そんなとんでもない術を扱うとされる女に、嫁の貰い手どころか婿の成り手さえないのは当然でしょうね」

「うぅぅぅぅぅぅ……! ずびばぜんでじだぁ……!」

 にこやかに言って先生を泣かせ、アグリッピナは残っていた紅茶をやや乱暴に飲み干して、一息を吐いた。

「ですが隠者殿、済んだことは良いのです。こぼれた水が盆へ戻らぬように、過ぎたときは帰らない」

「そ、そういっていただけると……」

「ですが!」

「ひぇっ」

「ですがわたくしが未婚である事実は変えられる! そう、今からでもあなたに取れる責任があるのです、隠者殿――!」

「あ、あ、あぁぁぁ……責任問題……! なにもしてないのに、なにもしてないの……!」

 この世で一番嫌いな言葉を突きつけられ先生は泣きアンゼリカが顔色を変える。

 しかしアグリッピナの語ったところは王都に至るまでの流れでもっとも重く、そしてまたあまりにも生々しかった。

 彼女の背負ったものはまさしく先生が逃れたかったものであり、まさしく先生の罪そのものと言えた。

「――先生ッ、ご無事ですか!」

 そこに飛び込んできた救いの主は少女の姿をしていた。

「ミランシャか……」

「ロズィエール師! お伝えしましたよね、先生の責任(およめさん)は私のものだと! それを私が不在のときを狙うなんて策まで弄して!」

「だまれ小娘! 求婚に困らぬお前にわたくしの苦しみのなにがわかる!」

「そちらこそわかるんですか! 完璧で優しい師だと思っていた初恋の人が、だいぶダメで『私が見ててあげなきゃ』って思わされた小娘の気持ちが!」

「お前ほどの器量よしならいくらでも美男の人格者に嫁げるだろう! 師の不始末で迷惑をこうむったわたくしに申し訳ないと思わんのか!」

「それはそれ、これはこれです! 大事なのは互いの気持ちです!」

「きれいごとを言う! ではこのわたくしの気持ちをなんとする!」

 互いが互いの必殺の呪文を励起させ、一触即発の空気が漂う中、アンゼリカがそっと手招くのにあわせて先生はひっそりと部屋を退出した。

「あ、ありがとう、アンゼリカさん……うぅ、ぅぅ」

「旦那様、この場はひとまずお離れ下さい。ロズィエールさまも少し時間を置かれれば落ち着かれるでしょう」

「――じゃあ」

 ぱあっと顔を輝かせる先生を、人差し指を立ててアンゼリカは制す。

「ただし、遅くとも明後日の朝までにはお戻りください。もしお戻りにならなかった場合は……」

「ば、場合は……?」 

「王陛下が進めている私どもと同じ境遇の娘たちの捜索と、国内への旦那様の手配書の配備がいっそう進むことになろうかと」

 笑みを浮かべたまま、アンゼリカの目から光が消える。

「あぁぁぁぁぁぁぁ――――! 包囲網が、包囲網が……! どうしてッ、なんで、私悪くないのに……っ!」

「そうでもないと思いますけれど」

「うう、うぅぅ……! じゃ、じゃあまた明日、アンゼリカさん……」

「はい。お帰りをお持ちしております、旦那様。いつまでも、ええ、いつまででも……」

「微妙に信用されていない……!」


 ――血まみれ女男爵アグリッピナ・ロズィエール。

 ガイウス七世の時代に活躍した魔導士で、一説には当時に原子分解(ディスインテグレート)の術を開発し、カイエの大穴を作ったとも言われる。

 そのあだ名通りに若かりし頃は武勲で知られていたが、ある日を境に王都に定住し後進の育成に努めるようになった。

 門下から多くの優秀な魔導士を輩出し、同時代の「槍の姫」ミランシャと並んで王国魔導士の黄金時代の礎を築いたとされる。

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