先生、家をもらう
馬車で玄関まで乗り付けた建物を見上げて、先生ははえーと息を吐いた。
「立派なお屋敷だねえ」
「そうですね」
「ここが今ミランシャが住んでいる……?」
「いいえ、違います」
「え、じゃあいったい誰の――」
「先生、現実を見ましょう?」
「はい、先生現実を見ます……」
慈愛に満ちた弟子の視線に、先生はうなだれた。
ヨシ、と頷いてミランシャは両手を広げる。
「こちらが王都滞在用に陛下から下賜された、先生のお家です」
「ちょっと立派過ぎる、立派過ぎない……?」
「一の騎士のものと考えれば妥当ではないでしょうか」
「ちゃんと、ちゃんと断ったのに……」
「というかそれならなんで、あの短剣をいつまでも使ってたんですか。陛下の素性はともかく、意味に気づいてなかったわけじゃないんですよね」
「え、断ったし褒美がわりに貰っといてもいいかなって思って……」
「先生……」
「ほ、ほらいい剣だったし、使わないのももったいないし……」
「そうですね」
わが師はもしかして馬鹿なのでは? と言わんばかりの弟子の視線に耐えかねて、先生は話題を変えることにした。
「ええとそれで、貰ったカギは――精巧だよねえ」
「無くさないようにしましょうね」
「あれ、もしかして私幼児と思われてない?」
それだけで価値がありそうな細工がほどこされた鍵を差しこみ扉を開いた。
「――お帰りなさいませ、旦那様」
そうして先生は静かにドアをそっ閉じすると鍵をかけた。
しばし考えこむように天井を見上げたあと、弟子へと向きなおる。
「ミランシャ、ここにはもう住んでる方がいるみたいだよ。いや陛下もうっかりされてるなぁ」
「そんなわけないでしょう。こんな規模のお屋敷。先生一人じゃ維持できないじゃないですか」
「いやできるよ。先生一人で頑張れるよ。伊達に長いこと田舎で暮らしてないよ」
「いいですから、皆さんに挨拶してください」
「あああぁぁぁ……! 雇用主の責任……! 問われる品格……! 田舎者に冷たい都会……!」
「大げさですね、もう」
「痛い痛い」
さっと先生の手から鍵を奪いとり、ミランシャは耳を引っ張って先生を屋敷の中へひっぱりこんだ。
「あらためまして、お帰りなさいませ旦那様」
脱いだ帽子を胸に当てた料理人と園丁風の二人の中年男性と、お仕着せを着た中年女性と若い男性らの四人が一列に並び、そこから一歩前に出た侍女風の上品なエプロンドレスを着た美女が優雅に礼をする。
身だしなみのしっかりとした、一流の使用人と言った風情の面々だったが、満面の笑みを浮かべているにもかかわらず妙な圧がある。
「よ、よろしくおねがいします……?」
ふええ、なんでえと顔に大書して先生がミランシャを見るも、愛弟子もまたニコニコと笑顔を浮かべるばかりで何も言わなかった。
対人関係においては、飼い慣らされたイエネコ並みに危機感というものが欠如している先生も、さすがになんとなく察せられるものがあったか、顔を引きつらせて口を開いた。
「あの、もしかして皆さんとは以前お会いしたことが?」
「はい」
「あぁぁぁ…………」
揃った返事に先生が絶望のうめき声を上げる。
「私は七年前に」と料理人。
「手前は五年前で」とこれは園丁。
「私どもは十年前に」
と言った中年女性の言葉に、若い男性が頷く。
見れば二人は何となく雰囲気に似たところがある、母子なのかもしれなかった。
「あれからもう八年がたちました」
最後に女中風の女性が、大抵の男はころりとやられてしまうような魅力的な微笑みとともに言った。
声といい、仕草といい王宮に出入りしていておかしくない品のある娘だった。
「ワ、ワァ……ッ」
気圧された先生が若干引くのに構わず、使用人たちはニコニコと微笑んでいる。
これは――
「思い出さないといけない的な……?」
「いえ、さすがに国王陛下も思い出せなかった先生にそれは酷かと思います」
「ひどい」
師の抗議を無視してミランシャが手でどうぞ、と料理人を示す。
「以前勤めていたお屋敷で、大勢の人をお招きする予定の前日に、橋が流され荷が届かず、間が悪く氷室もダメになるということがございまして」
「うぅぅん、それだけだとちょっと……」
「そこへ荷運びに頼まれたと旦那様が代わりの食材を持って来てくださいました」
「だいぶ絞れてきたな……」
「確定しないんですか……」
それ自体は手放しでほめていいのだが、と思いつつミランシャが呆れる。
料理人が苦笑しながら続けた。
「料理は大好評で、私どもも無事役目を果たせたのですが、旦那様が届けてくださった食材の一部がどうしてもわからず再現ができないで、と苦労しまして――お屋敷を売りに出しても足りるかという珍味だったと知らされたのは一年後でしたねえ」
「あっ……」
答えに思い至ったか、先生が何かを察した声を上げる。
「なるほど、では園丁さん」
「へえ、手前の場合は逆に、お屋敷のお客さまとしていらした旦那様に巣から落ちたって鳥のヒナの世話を頼まれましてね」
「あぁ、いやどうも助かりました。すみませんあのときは無理におしつけてしまって」
「いえいえ、あんな世話くらいでお礼を言われるなとんでもない話で……駄賃にと頂いた枝切りバサミの素材や、ヒナを迎えに来たしゃべる母鳥の礼に比べればねえ」
朴訥とした園丁の顔がニタアと複雑な笑みを作る。
「つ、次の方……?」
行くも引くも地獄、そう思いながらも先生は残る二人へ視線を移す。
「旦那様は息子の命の恩人でいらっしゃいます。子供のころ、息子がひどいおこりとなりまして」
「どれだ……?」
「そんなに病気の親子を助けてるんですか先生」
「本当に、それ自体は善行だと思うのですけれど」
ミランシャと侍女風の美女が何とも言えない声を上げるのを無視して、視線で続きをうながす。
「それがまさか、伝説と言われるような霊薬のおかげだったなんて」
「おかげさまであれ以来風邪ひとつひいたことありません」
青年が胸を張り、母親がそれを優しい目で見るのに、先生が頷く。
「これは私悪くなくない? 悪くないよね!」
「念のために、と頂いたお薬の残りをようやくお返しすることができます」
「やったね母さん! これで安心して眠れるよ!」
ふるふると女性が細かく震えながら貼りつけたような笑みを浮かべ、青年が肩を抱く。長く背負ってきた荷をようやく下ろせる、万感の思いがうかがえた。。
「あっ」
「ダメみたいですね……」
幾重もの布で厳重に包まれた薬を受け取った先生が、捨てられた子犬のような目を最後に残った一人へ向ける。
侍女風の美女は、他の四人とはまた違う雰囲気をまとっていた。
「家令として旦那にお仕えさせていただきます、アンゼリカでございます」
美しさとそれ以上の底知れなさをたたえてアンゼリカが微笑む。
「あれは、継母とのいさかいから家を飛び出した夜のことでした、悪漢に襲われそうになったところをお助けいただいたのです」
「二択、だな……!」
「二人も犠牲者を作ってるんですか先生……」
「家に帰りたくない、連れて行ってほしいと訴える私に、旦那様は『わかった』とおっしゃってくださいました。その後安心と、緊張から解放されてついうとうとと――目が覚めたときは自分の部屋のベッドでした」
「おお……」
四人が揃って深いため息をつき、一同の視線が先生へ向かった。
特に愛弟子の視線は厳しかった。
「先生!?」
なんなら言葉も伴っていた。
ぶんぶんと首を振りながら先生は必死に弁解を口にする。
「だって危ないし! 見た目で家での扱いが悪くないのはわかったし! そういう子連れて行くわけにはいかないかなって……!」
「いえ、いいのです。私も世間知らずな娘でしたし、継母ともその後和解できましたから……」
「ほら、ほらね! アンゼリカさんもこう言ってるし!」
「ただ、だまし討ちのように置いていかれたのと、継母と話しあってくださったり、その後数年は様子を見に来られていたのに私にはお声がけいただけなかったのが少し、ええほんの少し恨めしいだけで……」
「ああぁぁ――――……!」
胸を押さえて、先生が苦しむ。
救いを求めるように一同に視線を向けるも、皆黙って首を横に振った。
「で、でも、でも……! 今回は、今回は私そんなに悪いことした!? してないよねえ!?」
「ええ、ただみな恩をお返しする機会を手ぐすね引いてお待ちしていただけにございます」
「それは恩返しに関連する言葉としてはあんまり使わないんじゃないかなぁ……!?」
「では置いて行かれた娘の未練がましい願いがかなったということに――」
「ああぁぁぁ、そ、そう言われると余計に酷いことをした気がする――――……!」
「気がするじゃなく、実際にしてますよ先生」
「今後は末長くよろしくお願いいたします、旦那様」
「えっ、み、ミランシャ……? 『王都滞在用』に下賜されたって言ったよね?」
「そうですね、先生がアンゼリカさんを置いて行かれたときのようにどこに行かれるかまでは縛れませんが……」
「旦那様が留守になさる間は私どもで家をお守りいたします。いつまでも、ええ、いつまでも……」
「王都に滞在する間だけって聞いたのに! 王都に滞在する間だけだってえぇ――――!」
先生の絶叫を使用人たちは温かい目で見守る。
――ガイウス七世の世より今に残る古都レマの「先生の館」。
その独特の名前から文献にたびたび登場する屋敷は、しかしその由来となったされる館の主の記述はあまりに荒唐無稽であり、史家の頭を悩ませている。