水売り〔商人の夢、それは利益率の高い商売。そんなうまい話は無いが、自分のアイテムボックスを活用すれば…〕
宿の窓から差し込む朝日が、俺のまぶたを優しく照らした。目を覚ました俺は、ベッドの上でゆっくりと伸びをした。
「さて、今日はどうしようか」
昨夜から考えていた商売について、俺は再び思案を始めた。元の世界の知識を利用した情報提供やコンサルティングのようなものは、どこまで出して良いかの判断が必要だし、そもそも契約にこぎ着けるまでには準備が必要だ。そういった特殊なものを除けば、やはり商材を仕入れて売りさばくというのが商人としての王道だろう。アイテムボックスを活用して、他と差別化できる商売ならなお良い。
「でも、何を仕入れればいいんだろう?」
悩んだ末に、以前コップを買った露店へ行き、リナに相談してみることにした。彼女なら、この町の商売事情に詳しいかもしれない。
朝食を済ませ、宿屋を出た俺は、活気あふれる市場の通りを歩いた。商人たちの声や人々の笑い声が耳に心地よい。
* * *
「あの店だったな」
目当ての露店を見つけた。店先には陶器のコップや小物が並べられており、店番をしているのは栗色の髪をツインテールにまとめた少女、リナだ。彼女は真剣な表情で商品を並べ替えている。
「おはようございます」
俺が声をかけると、彼女は顔を上げた。
「あ、前にコップを買ってくれたお兄さんじゃない。今日は何か用?」
彼女はにこりと笑って尋ねた。
「ええ、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「お聞きしたいこと?」
彼女は興味深そうに首をかしげた。
「実は、商売を始めたいと思っているのですが、仕入れが安くて利益率の高い商品って何かありますか?」
「そんなのがあれば私たちがとっくに手を出してるよ」
彼女は肩をすくめて笑った。
「ですよね…」
苦笑した。
「でも、面倒で手を出す人があまりいないって条件なら、なくもないね」
彼女は顎に手を当てて考え始めた。
「本当ですか? ぜひ教えていただけませんか?」
「そうねぇ… この町の中心部、このあたりは便利なんだけど、川から離れていて、もともと水が手に入りにくいんだよね」
「水、ですか?」
「うん。だから水路を引いて水場が用意されているんだよ。ほら、あそこで人が集まっているのが水場さ」
なるほど、みなそれぞれに壺や瓶を持ち寄って水を汲んでいる。
「ただ街中を流れるうちに汚れてしまうから、一回沸かさないと飲めたもんじゃないんだよね。美味しくないし。川の水ならそのまま飲めるけど、持ってくるのが大変だし結局ぬるくなっちゃう。金持ちは魔法や魔道具で冷やすみたいだけどね」
「なるほど…」
腕を組んで考え込んだ。
「そうすると、冷たいままの川の水なら結構高く売れそうですね」
「そうだね。コップ一杯に青銅貨五枚、パン一個分出しても惜しくないよ」
「青銅貨五枚ですか…」
頭の中で計算を始めた。川の水はタダだし、アイテムボックスに入れて売れば冷たいままで提供できる。
「よし、その商売、やってみるか!」
目を輝かせた。
「どうやって冷やすか分からないけど、何か策があるようね」
少女は興味津々といった表情で俺を見つめた。
「企業秘密ということで。でも、まずは道具を揃えたいんです。大きめの水差しを三個、コップを三十個いただけますか? 一番安いもので構いません」
「水差し三個とコップ三十個ね。ちょっと待ってて」
彼女は店の奥から商品を取り出してきた。
「全部で銀貨四枚と青銅貨十枚だけど、端数の青銅貨分はおまけしておくよ」
「ありがとうございます!」
感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
「あのー、これって使えますか?」
俺が取り出したのは商業組合で受け取った証書だった。
「商業組合の証書だね。それなら銀貨や金貨と同じように使えるし、持ち運びも便利だからありがたいくらいだよ」
「よかった、ありがとうございます」
ほっと胸を撫で下ろした。
「ところで、お兄さんの名前は?」
少女が尋ねた。
「申し遅れました。タクマといいます」
「タクマね。私はリナ。よろしくね」
「リナさん、こちらこそよろしくお願いします」
笑顔で握手を交わした。
「また何かあったら相談してよね」
「ええ、そのときはぜひ」
受け取った商品をアイテムボックスにしまい、次の目的地へと向かった。
「さて、次は商業組合だな」
* * *
商業組合の建物に入ると、受付の女性が微笑んで迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか?」
「露店で商売をしたいのですが、手続きをお願いできますか?」
「かしこまりました。商業組合への加入が必要になりますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
「では、こちらの用紙にお名前と住所をご記入ください」
用紙を受け取り、記入しながら尋ねた。
「会費はどのくらいになりますか?」
「お店の規模によって異なりますが、露店などであれば年あたり銀貨三枚です。ただし、正員としての特典は得られません」
なるほど、買取を依頼するとき手数料を取られたが、正員なら不要と言うことか。今後、頻繁に買取を依頼するなら正員になる方が良いかもしれないな。
「わかりました」
商業組合証書を取り出し、支払いを済ませた。
「ありがとうございます。これで手続きは完了です」
「露店を出す場所はどうすればいいですか?」
「市場の端に露店を出すための場所を用意してありますので、その中であれば好きな区画で出してください。駆け出し商人や行商人のために、無料で使えるようにしています。ただし、一人分ごとに引かれている線からはみ出ないようにお願いします」
「承知しました。ありがとうございます」
組合員証を受け取り、組合を後にした。
「よし、これで準備は整った。あとは水を用意するだけだ」
意気揚々と町を出て、東の川を目指した。
太陽は高く昇り、日差しが強くなってきた。道中で汗を拭いながら、昨日の岩場へと向かった。
「やっぱりこの道は長いな」
一時間ほど歩いて、ようやく川に到着した。清らかな水が流れ、涼しげな音が心地よい。
「さて、水を汲もう」
水差しを取り出し、丁寧に水を汲み上げた。冷たくて美味しそうな水だ。
「これをアイテムボックスに入れれば、冷たいまま保てるはずだ」
水差しをアイテムボックスにしまい、深呼吸をした。
「ついでにコップも洗っておこう」
コップを川の水で洗い、清潔にしてからしまった。
「これで準備万端だ」
再び町へと歩き出した。
帰り道、日差しの強さに顔をしかめた。
「ああ、帽子を買っておいてよかった」
そう思いつつも、商売への期待で足取りは軽い。
町に戻ると、市場で看板に使う板を探した。木材屋の親父に声をかける。
「すみません、この板はいくらですか?」
「青銅貨十五枚だよ」
「それをください」
代金を支払い、板を受け取った。
「お兄さん、その板で何を作るんだい?」
「看板にしようと思ってます」
「看板か。それなら、青銅貨五枚で文字を書いてやろうか?」
「本当ですか? ぜひお願いします」
「いいよ。で、何て書けばいいんだい?」
「『冷たい水、青銅貨五枚』と書いてください」
「お前さん、水を売るのかい。しかも冷たい水なんてどうやるんだ?」
「それはまあ、企業秘密ということで」
にやりと笑った。
「はは、面白いね。よし、書いてやるよ」
親父は筆を取り出し、手慣れた様子で文字を書き始めた。
「はい、できたぞ」
「ありがとうございます!」
看板を受け取り、再び市場を歩き始めた。
途中、屋台で厚手の古布やクッション、大きな布の鞄を見つけた。
「これらはいくらですか?」
「全部まとめて銀貨一枚でどうだい?」
「それでお願いします」
銀貨を支払い、商品を受け取った。
「これで座り心地も良くなるし、鞄でアイテムボックスの存在を隠せるな」
心の中で計画を確認した。
露店地区に到着すると、空いている区画を見つけた。
「ここで始めよう」
古布を敷き、クッションを置いて座った。鞄を傍らに置き、看板を立てる。
「これで準備完了だ」
しばらくすると、一人の男が興味深そうに近づいてきた。
「おい、兄さん。冷たい水って書いてあるけど、どのくらい冷たいんだ? ぬるい水じゃ話にならないぜ」
男は腕を組んでこちらを見下ろしている。
「ご安心ください。こちらの水は魔道具を使って川の水をそのまま冷たい状態で提供しております」
鞄から水差しを取り出すふりをして、アイテムボックスから水差しを出した。
「へぇ、面白いじゃないか。じゃあ、一杯もらおうか。ただし、ぬるかったら金は返してもらうぞ」
「もちろんです。さあ、どうぞ」
コップに水を注ぎ、男に手渡した。
男はコップを手に取り、半信半疑で口に運んだ。
「おおっ、これは冷たい! しかも美味い!」
男は目を見開いて驚いた。
「川の水を汲んできておりますので」
「これはいいな。もう一杯もらえるか?」
「ありがとうございます。二杯目もお代を頂きますが、よろしいですか?」
「ああ、構わないさ」
男が青銅貨五枚を手渡すと、再び水を注いだ。
その様子を見ていた周囲の人々が集まってくる。
「何だい、冷たい水だって?」
「俺にも一杯くれ!」
「私もお願い!」
次々と注文が舞い込む。
「はい、ありがとうございます。一列にお並びください」
笑顔で応対しながら、テキパキと水を提供した。
「あっという間に売り切れだな」
手元の水差しが空になったことを確認した。
「本日はこれで終了となります。また明日も販売いたしますので、よろしくお願いします」
人々は名残惜しそうに去っていった。
「思ったより売れてしまった…」
独り言のつもりだったが、それを耳にした男が教えてくれた。
「高価な魔道具を使って冷たい水を用意するなんて貴族や金持ちだけで、わざわざその水を売るなんて酔狂さ。言っちゃ悪いが、俺なら別のところに金を使うね」
なるほど。水売りの商売が成り立たない理由はそういうことか。
手にした青銅貨を数えた。
「これだけ売れれば、初日としては上出来だろう。三十杯売って青銅貨百五十枚。銀貨に換算すると銀貨一枚半か。これを毎日続ければ、当面生活に困ることは無さそうだ」
しかし、ふと考えた。
「でも、水を売るだけでは限界があるし、季節が変われば需要も減るだろう。もっと別の商売も考えないと」
新たなアイデアを求めて、思索を巡らせた。
「アイテムボックスと元の世界の知識を活用すれば、まだまだやれることはあるはずだ」
そう思いつつ荷物をまとめ、宿へと足を向けた。
夕暮れの空がオレンジ色に染まり、町の喧騒も少しずつ静まっていく。
「この世界で、俺は何ができるのか」
空を見上げながら、これからの展望に胸が高鳴った。