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旅立ち〔就活中の大学生、世良琢磨は突然異世界へ飛ばされた。途方に暮れていたが、出会ったガルド一家に助けられる…〕

俺の名前は世良琢磨、大学二年生だ。授業や試験をそれなりにこなし、生活費を稼ぐためにアルバイトもしている。特別勉強熱心というわけでもなくかといって怠惰でもない、優秀というわけでも拙劣でもない、平均的な学生として大学生活を送っている。

将来のことはまだはっきりと決まっていない。周りの友人たちと同じように、普通に就職活動をして、上手く入社できた会社に入って、普通の人生を歩むのだろうと思っている。休日は友人と遊んだり、家でのんびり過ごしたりと、平凡だがそれなりに充実した毎日だ。


そんな俺が、人生を変えてしまうようなあんな出来事に巻き込まれることになるなんて————


* * *


都会の喧騒の中、俺はスーツ姿で街を歩いていた。就職活動の帰り道、周りからは表情に少し疲れが見えていただろう。面接の結果? それは察して欲しい。溜息をつきながら、スマホで次の面接先を確認する。そんな時、電話が鳴った。画面には叔母の名前が表示されている。

「もしもし、叔母さん?」

「琢磨、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

叔母は小さな飲食店を経営しており、琢磨はよく単発のバイトをお願いされていたから、また同じように頼まれるのかなと考えつつ、答える。

「またバイトでしょうか?」

「悪いんだけど、店で使う塩とホールの胡椒をそれぞれ1キロずつ買ってきてくれない? うちはちょっとこだわりがあるから、その辺で買うわけにもいかないんだよね。以前頼んだことがあるだろう? それと同じものを買ってきてくれればいいから。」

「分かったよ。今ちょうど近くにいるから、すぐに買って持っていくよ」

「助かるわ。ありがとう、琢磨」

電話を切り、彼は何度かお使いで使ったことがある業務用の食材店に向かった。店内はプロの料理人や飲食店関係者で賑わっている。

「前に買った塩と胡椒… あ、あった」

商品を手に取り、レジで会計を済ませる。

「これでいいかな」

袋を手に、叔母の店へと向かう。途中、商店街を抜け、大通りに差し掛かった時だった。

突然、視界の端に大きなトラックが見えた。

「えっ――」

体が硬直して動けない。

「あっ… これはもうだめかもしれないな」

次の瞬間には衝撃を感じ、激痛の後、意識が遠のいていった。


* * *


目を覚ますと、見知らぬ森の中にいた。青々と茂る木々から差し込む陽射しが、まぶたを刺激する。

「…ここは、どこだ?」

琢磨はスーツ姿のまま地面に座り込んでいた。手にはまだ、塩と胡椒の袋が握られている。

「さっきまで街にいたはずなのに… まさか、異世界転移?」

半信半疑ながらも、立ち上がって周囲を見渡す。見慣れない植物や聞いたことのない鳥の声が、少なくとも日本の都市部ではないを物語っていた。

「まずは状況を整理しないと。俺は異世界に詳しいんだ」

これまで読んだラノベを思い出し、深呼吸をする。

「ステータスオープン!」

何も起こらない。

「ステータスウィンドウ!」

「ステータス表示!」

やはり反応はない。


「ダメか… じゃあ、魔法はどうだ?」

手を前にかざし、念じてみる。

「ファイアボール!」

何も起こらない。

「ライトニングボルト!」

「アイスランス!」

何度試しても、何の変化もない。誰も見ていなくて良かった。


「やっぱりそんなに甘くはないか。異世界の定番、アイテムボックスはどうだろう?」

手に持っている袋を消えるようにイメージする。すると、袋がふっと消えた。

「えっ、本当に消えた!? じゃあ、取り出すこともできるのか?」

再び袋を取り出すことを念じると、手の中に袋が現れた。

「やった! これは便利だな」

少しだけ希望が見えてきた。


「さて、これからどうしよう…」

その時、お腹が鳴った。

「そういえば、何も食べてなかったな」

周囲を見渡すと、赤い実がなっている木を見つけた。

「これは食べられるのかな?」

慎重に一つ取って口に運ぶ。甘酸っぱい味が広がる。

「美味しい!」

栄養バランスが若干気になるが、そんなことを気にしてても仕方ないので、赤い実で腹を膨らませた。

「空腹も何とかなったし、とりあえず人を探さないと」

そう思い、森の中を歩き始めた。


* * *


しばらく歩くと、遠くから人の声が聞こえてきた。

「人がいる!」

急いで声のする方へ向かう。

「すみません! 誰かいますか」

声を上げると、数人の男女がこちらを振り返った。

「おや、こんなところで何をしているんだい?」

中年の男性が不思議そうな顔で尋ねてきた。

「あの、道に迷ってしまって… ここはどこですか?」

琢磨はできるだけ丁寧に答える。

「ここはアルドナの森だよ。君、一人で入ったのかい?」

「ええ、ちょっと事情がありまして」

曖昧に話を濁す。

「それは大変だったな。俺たちはこの先の村に向かうところだ。一緒に来るかい?」

「ぜひ、お願いします」

ほっと胸を撫で下ろす。

「俺の名前はガルドだ。こっちは娘のリズと息子のトーズだ」

「初めまして、私はタクマです」

リズが微笑んで頭を下げる。

「変わった名前ね。どこから来たの?」

「ええと、遠い国から来ました」

「そうなんだ。旅の途中なのね」

リズの好奇心に満ちた瞳が、琢磨を見つめる。

「そういうことになりますね」

「じゃあ、村に着いたら色々お話聞かせてね」

彼女の明るい笑顔に、琢磨は少しだけ心が和んだ。


「ガルドさん、この辺りには危険な動物とかいるんですか?」

「ああ、森の奥には魔獣も出るからな。今日は森の外れを通ったから大丈夫だったが、君一人で入るのは無謀だぞ」

「魔獣… ですか?」

琢磨は耳慣れない言葉に反応する。

「そうだ。普通の獣よりも凶暴で、魔力を持っている生き物のことさ。」

「へぇ、そんな生き物がいるんですね」

「君の国にはいないのかい?」

「あ、はい。私の国では見たことがありません」

琢磨は慎重に答える。

「それは珍しいな。魔獣のいない国なんて聞いたことがないが、魔獣退治に魔力を使わなくてよい分、他のことに使えて羨ましいな」

ガルドが不思議そうに首をかしげる。

「あと、私の国では魔力を使う人はごく少数で… 私は使えないんです」

「そうか、それは大変だな」

ガルドは同情するように言った。

「でも安心しろ、こちらの国でも魔力を持たない人もたくさんいるからな。無くてもなんとかなるものさ」

「ありがとうございます」

琢磨は礼を述べた。


「ところで琢磨さん、その服装はとても珍しいですね」

リズがスーツを指さす。

「ああ、これは私の国の服で、少し改まった場や仕事をする場合に着ることが多いんです」

「とても素敵だわ。素材も見たことのない感じね。艶もあってかなり高そうに見えるわ」

「ありがとうございます。でも、私の国ではそう特別なものでは無いんですよ」

「そうなんですね。タクマさんの国は豊かなんですね」

日本ではそう高くないスーツだけどそれは大量生産されるからで、こっちの世界の人から見ればでしっかりとした縫製の毛織物だ。高級品に見えるのだろう。目立たないよう、早めに普通の服を調達した方が良さそうだ。


「そうだ、琢磨さん。お腹は空いていないかい?」

ガルドが気遣ってくれる。

「実は少しだけ…」

「それなら、これを食べなさい」

リズが小さなパンを差し出す。

「ありがとう、助かります」

受け取って一口かじると、素朴な味わいが口に広がる。

「美味しいですね」

「よかった。母さんが焼いたパンなの」

リズは嬉しそうに微笑んだ。

「村に着いたら、もっとたくさん食べてね」

「お言葉に甘えます」

和やかな雰囲気の中、一行は歩みを進めた。

やがて木々が開け、小さな村が見えてきた。


* * *


「ここが俺たちの村、エルデだ」

ガルドが胸を張って言う。

「素敵なところですね」

琢磨は素直な感想を述べた。石造りの家々が立ち並び、子供たちが元気に駆け回っている。

「さあ、家に案内するよ。ゆっくり休んでくれ」

ガルドの家に招かれ、琢磨は温かい歓迎を受けた。食卓には美味しそうな料理が並べられ、家族全員が笑顔で迎えてくれる。

「さあ、遠慮しないで食べてね」

ガルドの妻、マリアが勧めてくれる。

「ありがとうございます。いただきます」


食事をしながら、琢磨はこの世界のことを少しずつ尋ねてみることにした。

「ガルドさん、この村はどのような産業があるのでしょうか」

「この村に産業なんていう大層なものは無いさ。畑を耕して小麦や野菜を育てたり、動物やたまに魔物を狩って、余った分を町に売りに行くくらいだな。町では様々な商品が集まるから、その売買を生業としている商人がたくさん集まってるよ。商人と取引するときは相手をしっかりと見定めておいた方がいいぞ。中にはとんでもない悪徳商人もいるからな」

「肝に銘じます」


「ところで、この国の名前は何と言うんですか。」

「ここはアストリア王国だよ。君は外国から来たようだね」

「あ、はい。私は日本という国から来たのですが、国を出てから森の中で目を覚ますまでの記憶を無くしてしまって… アストリア王国というのは聞いたことがないので、かなり遠くまで来てしまったようです」

異世界から来たなどと荒唐無稽なことを言えば逆に怪しまれると思い、記憶喪失ということにしておいた。

「そうなのね。それじゃあ、言葉も違うんじゃないの?」

リズが不思議そうに首をかしげる。

「こちらに来てから不思議と皆さんの言葉が理解できるんです。何かのご縁でしょうか」

「それは不思議なこともあるものだな」

ガルドが笑いながら言った。


「これが私の国のお金です。このようなお金を見たことはありませんか?」

琢磨は財布から日本の紙幣と硬貨を出した。

「青銅貨や銀貨とは違うようだが、見事なものだ。このあたりでここまで精巧な鋳造技術を持つ国は無いだろうね。この紙も通貨なのかね」

「はい。国がその価値を保証しているんです」

「なるほど。証書のようなものなんだな」

「どうやら君はこのあたりの通貨をよく分からないようなので、騙されないように教えておいた方がよさそうだ」

「ありがとうございます」

ガルドがポケットから銀貨を取り出す。

「これが銀貨だよ」

「見せていただけますか?」

琢磨は銀貨を手に取り、じっくりと観察する。表面には紋章のようなデザインが刻まれていた。

「これが銀貨なんですね。価値はどれくらいなんですか?」

「銀貨一枚で青銅貨百枚分だよ。青銅貨一枚が一タルスだから、銀貨一枚は百タルスになる」

「タルス…?」

「おっとそこからだったな。パン1個が数タルスで買えるくらいだと思ってくれ」

琢磨は頭の中で換算してみる。青銅貨一枚は日本円で百円程度のようだから、銀貨一枚は一万円くらいか。

「なるほど、ありがとうございます。とても参考になります」

「このほかには金貨なんかもあるが、そんなのは大商人や貴族が取引で使うようなものでな。当然この家にもそんなものは無い」

ガルドは笑いながら説明する。

「あとは証書というものも使われる。これは発行者がが証書と引き換えに金貨や銀貨を支払うと保証しているものだ。借金の証文と同じだが、なんせ金は重いし嵩張る。証書の形で持っていた方が便利なので、良く使われるようになった。俺たちも纏まった金を受け取る場合、証書払いにすることが多い」

「でも、そんなに高額の証書だと偽造されたり、火事になって燃えてしまったりしませんか?」

「尤もな疑問だな。証書には発行者が魔術印を施すことが決められていて、誰が発行したかわかるような仕組みになっている。魔術印ってのは魔力によって、証書を保証するとか、契約書に同意するといった意思表示に使われる。魔力が無い者でも、術者の力を借りれば魔力印を施すことが可能だ。覚えておくといい」

「あと、高額の証書は金属で作られるのであまり心配することはない。もっとも、銀貨10枚のようなものは紙なので、諦めるしかないがね」

「なるほど。私の国の証書より安全ですね。ところで発行者にお金が無くて支払われないことはあるのでしょうか」

「そりゃあ、たまにはある。国や組合だと滅多に無い話だが、商会が発行するようなものはたまに起きて大騒ぎになるもんさ。だから、信用が得られていない商会は証書を発行しても誰も受け取ってくれない。証書は誰でも法に従えば発行できるが、実際に通用するのは大商会だけさ」


* * *


「ところで琢磨さん、これからどうするつもりなの?」

リズが心配そうに尋ねる。

「正直、これからのことはまだ考えていません。この国のことも何も知らないので、勉強しないといけないですね」

「それなら、しばらくここに滞在してみたらどうだい?」

ガルドが提案してくれる。

「えっ、でもご迷惑では…」

「そんなことはないさ。君の話はとても興味深いし、何より助け合いは大切だからな」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

琢磨は深く頭を下げた。

「それじゃあ、明日は村を案内してあげるわ」

リズが嬉しそうに言う。

「それは楽しみです。ぜひお願いします」

「決まりね!」

彼女の笑顔に、琢磨もつられて微笑んだ。


* * *


夜が更け、琢磨は与えられた部屋で床に就いた。

「今日は色々あったな…」

天井を見上げながら、これからのことを考える。

「異世界に来てしまったけど、なんとかやっていけそうだ」

不安もあるが、それ以上に新しい世界での生活に胸が高鳴る。

「よし、明日から頑張ろう」

そう決意し、彼は静かに目を閉じた。

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